波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

関ヶ原の戦いの結末

2014-11-29 00:46:39 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
今月16日の日曜日は、私・箔・波は岐阜県の関ヶ原にいました。 古戦場関連の史跡を廻りつつ、ココカフェで戦国武将メニュー(?)を平らげ、これから後半戦に突入するところです。 そのような流れで、まず私たちが向かったところは………



石田三成が陣を置いた笹尾山でした。 その麓には島左近の陣があったみたいですけど、現在そのあたりには竹矢来や馬妨柵が復元されています。それらに加えて、たくさんののぼりも立っているので、陣地の雰囲気がよく出ています。



その笹尾山は、いい感じで紅葉していましたよ。 おかげで私の気分が高揚するという効用がありました。



それはさておき、こちらの山を登っていくことにしましょう。 麓から5~7分ほど山道を歩いていったら………



山頂の石田三成の陣跡にたどり着くことができました。 木陰に大きな石碑があって、独特の雰囲気がありますね。



その先には大きなのぼりと、ちょっとした展望台が設けられていました。 そこからは………



すみません、なぜか展望台から写真を撮ってなくて、こちらは一段下がったところからの眺めとなります。 それでも視界が開けていて、石田三成はいいところに腰を据えたと、つくづく思います。 あ、さりげなく脇に写っているのは、私の昼食です。やっぱり戦の場で喰うのは、握り飯に限ると思って。そいつをほおばりながら、関ヶ原の戦いの流れを説明いたします。

徳川家康率いる東軍と石田三成の西軍は、関ヶ原で激突 当初は西軍のほうが優位に立っていて、それに苛立った家康は自らの軍を激戦地から程近いところに移動しました。 しかし、戦況は思わしくなく……… 家康といえば、冷静沈着なイメージがあるのですけど、このときはかなりイライラしていたそうです。 爪を噛むクセが出たり、雑兵の旗指物を刀で斬り落としたり。あげくの果てには、「こんなときに、信康がいてくれたらなぁ………」とグチを言う始末。 信康とは、箔波日記でも触れたことがあるのですけど、織田信長の命令によって殺処分させられた家康の長男のことです。



その一方で、西軍に属していながらも、家康と密約していた小早川秀秋は、なかなか動くことができませんでした。「小早川の小わっぱは、何をしておる 」沸点に達した家康は、そこで思いきった策に出たのでした。それは……… 秀秋がいる松尾山に、催促の意味を込めて威嚇射撃をするというのです。「撃てっ!」ダダダダン

「あ、あわわわ………」
その勢いに押し出されるように秀秋の軍は松尾山を降っていき、麓にいた脇坂安治らの軍と一緒になって、石田三成の盟友の大谷吉継隊を撃破 吉継を自害に追い込みました。

………といいところなのですけど、戦況が一変したので私たちのほうも移動することにします。笹尾山を降っていったら………



そこから程近いところに、旧関ヶ原北小学校がありました。そこは現在、なぜかヤギ牧場となっていましたよ。 ちょっと合戦から脱線しますけど、そのヤギたちに挨拶しておきましょう。



珍しい生物に、箔は興味津々のご様子だったのですけど………



これまで無敵と思われていた波は、ビビっているご様子。 まさに波、敗れたりです。



廃校と同じ敷地内には、馬妨柵風のものに守られるようにして、関ヶ原笹尾山交流館があります。今回の私は箔と波を連れていることもあってその中には入らなかったのですけど、そちらでは甲冑の貸し出しもやっているみたいです。
それよりも、石田三成がとんでもないことになっていますよ。 等身大パネルとなった赤髪の武将は、ゲームやアニメに出てくるものと思われるのですけど、実物はこうではなかったのではと。それでも、こちらのキャラクターが歴史に興味を持つきっかけとなったという方も多々いると思うので、またこれもアリかと。



そして、旧関ヶ原北小学校をそのまま南下していったところには………



関ヶ原古戦場の決戦地があります。歴史関係の本などで「関ヶ原古戦場」といって、よく貼付されている写真がこちらの石碑なのですよ。 ちなみにこちらは、東軍の諸隊が石田三成の首を狙って激戦を繰り広げた地なのですよ。
小早川秀秋の寝返りによって形成は逆転し、西軍は総崩れとなり、そちら側の諸将はことごとく敗走 関ヶ原の戦いは、開戦から6時間後の14時頃には勝負が決まり、東軍の完全勝利で幕を閉じました。

戦いは終わったのですけど、私たちの合戦関連の史跡探訪にもう少しお付き合いくださいませ。 三成軍の笹尾山から決戦地をはさんだ東側には………



いきなり目的地にワープとはいかないので、少しばかりそこに至るまでの経路を歩んでいきますよ。 見学者用の駐車場に車を止め、さらに竹やぶの中の坂道を登っていったら………



黒田長政竹中重門が布陣した岡山烽火場に行き着きます。黒田長政は、現在NHKで放送されている「軍師官兵衛」で松坂桃李君が演じている役柄で、黒田孝高(如水)の嫡男でもあります。また、竹中重門は竹中半兵衛の後取りで、関ヶ原一帯は彼の領地でもありました。それから、烽火場はのろし台のことで、こちらから開戦を報ずる合図が送られたりしました。



そこからは見晴らしがよく、関ヶ原を一望することができます。 烽火場ということもあって、戦況を掴みやすい場所に設けられたみたいですね。



あとは、石碑と一緒に記念撮影をしておいて………



関ヶ原では最後の目的地に向かいますよ。 関ヶ原町歴史民族資料館や陣場野公園から徒歩7分ほどのところに、朱色の門などが設けられた東首塚というところがあります。ちなみにこちらは、先述の竹中重門が合戦後に、戦死した兵士たちを東と西の二ヵ所に分けて埋葬したうちの東のほうです。



現在そこは小公園となっていて、林の中にこれもまた重みのある「史蹟関ヶ原古戦場 東首塚」の石碑や………



「首洗いの古井戸」という物騒な名前の井戸があります。波がその井戸が気になる様子ですけど、生首が踊っているのが見えるとかいうのは、やめてくださいよ。



その東首塚に隣接するようにして、松平忠吉井伊直政の陣跡があります。 合戦の勝負がついたあと、徳川家康隊を突っ切って退却していく島津軍を、彼らは深追いしていきました。しかし返り討ちに遭い、二人とも深傷を負ってしまいました。井伊直政はその傷がもとで亡くなったとも云われています。

敗軍の将となった石田三成は、伊吹山中を逃亡中に田中吉政に捕縛され、小西行長、安国寺恵瓊らとともに六条河原で処刑されました。同盟、密約、裏工作……… 関ヶ原の戦いは、戦闘が始まるから勝負がついていたのかも知れませんね。そして、合戦当時に徳川方についていた戦国大名は優遇され、楯突いたものは減封や左遷、島流し……… と、厳しい仕置きを受けました。それによって全国の戦国大名の運命が決まったことから、関ヶ原の戦いは「天下分け目の戦い」とも言われています。

関ヶ原町内には、諸将の陣跡などの古戦場関連の史跡が点在していて、それらを廻っていくとスタンプラリーをしているような楽しさがあるだけではなく、合戦を点から面、さらには物語として捉えることができます。 この日ワンコ連れはウチ以外は見かけませんでしたけど、今ぐらいの時季なら、紅葉を見ながらレンタサイクルで廻るのもいいですね。今 回私たちは、関ヶ原は初心者ということで基本となるビギナーコースを廻ってみたのですけど、次回は松尾山や関ヶ原ウォーランドに行ったり、甲冑を装着したりしてみたりしたいですね。では、合戦で亡くなった方たちに手を合わせてから、次の目的地に向かうことにしましょう。 その目的地とは………

場面を尾張一宮に移し、今度はそちらでワンコの箔や波が一戦交えるのですけど……… 言ってしまえば、シェルティ&スピッツさん家モコちゃんルルちゃんをはさんで、波をけいママさん家のゆめちゃん夢来君ら親きょうだいと逢わせるというのですよ。 果たして、感動的な再会劇となるのでしょうか?その様子については、次回お伝えします。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ユミママさん♪ (白黒茶々)
2014-12-03 00:48:47
お褒めのお言葉、とても嬉しいです。
私も実際に現地を訪れるまで、知らないことがかなりありました。それでも、いろいろと巡っていくうちに、関ヶ原の戦いを立体的に感じることができました。

竹田城跡、かなり人気みたいですね。
私がそちらを訪れたことは……… もちろんありますよ。 ただし、10年ほど前のことですけど。その頃はそのお城のことはまだ知られていなかったのか、観光客は私以外にはもう一組いるかいないかぐらいでした。
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Unknown (ユミママ)
2014-12-02 11:39:41
いつも関心してしまいます。
史跡を巡りながらの解説は頭に入りますね。
おおおお、ここが!!という感動があります。

先日テレビで天空の城・竹田城跡をやっていました。
あの美しさは感動です。
泣いてる方もいましたよ。
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シェルティ&スピッツさん♪ (白黒茶々)
2014-12-01 00:26:08
お褒めのお言葉、とても嬉しいです。
とはいっても、私も実際に関ヶ原を訪れるまではそこに何があってどのように繋がっているのか知りませんでした。 ちょっと違うかもし知れませんけど「百聞は一見にしかず」です。

その関ヶ原は見どころ満載で、一日では廻れないぐらいです。なので、私はまた行ってみようと思っています。
シェルティ&スピッツさんにも、ぜひ訪れていただきたいです。景色がきれいで鍾乳洞もあるので、オススメですよ。
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すごいです~♪ (シェルティ&スピッツ)
2014-11-29 14:58:55
白黒茶々さんの豊富な知識、本当に驚くばかりです!

学生の頃に、こんな風に臨場感あふれる授業をしてくれる先生がみえたら、もう少~しは賢くなれたかもしれないのに…などと、(自分の不勉強を棚にあげて)思っちゃいますね(^^)/

ちなみにこの古戦場、白黒茶々さん地方よりはウチの方がずっと近いと思うのですが、今まで一度も行ったことが無く、今回の記事でいろいろ知った感じです(^_^;)
勉強になりました(*^_^*)
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