こんばんは、白黒茶々です。
最近、お城の人気が上がりつつありますよね。
それにともなって、安住紳一郎アナさん、田村淳さん、石原良純さん、高橋英樹さん、坂東三津五郎さん、春風亭昇太さん、栗山英樹監督、……… など、有名人がお城好きをカミングアウトすることが増えてきました。
お城といえば、高い石垣や深い堀、それに壮大な天守をよく連想されますけど、その前の年代の中世では、険しい山の上に土塁(土を盛って固めたもの)や木柵などで築かれた山城が主体でした。彼らはそのようなお城にも興味があるみたいなので、ここは私が……… なんて言ったら、さすがにおこがましいですよね。
とにかく、今回はその戦国時代の山城に焦点を絞ろうと思います。

そんな流れで、私、たつぴ、箔の白黒茶々家の男衆が今回訪れたのは、静岡県掛川市の南部、土方地区にある高天神城です。ちなみに、看板の後方に見える山がそのお城に当たります。

高天神城が築かれた山は標高約130メートルとそれほど高くないのですけど、四方が切り立った断崖となっていて、攻め落とすのが困難な難攻不落のお城でした。
また、その位置も重要で「高天神を制するものは遠州を制す」とも言われていました。
このお城は、当初は今川氏の支城としての役割を担っていました。その後、今川氏の衰退に伴って徳川氏の城となったのですけど、天正2年(1574年)に武田勝頼に落とされてしまいます。
しかし、徳川家康は負けてはいません。横須賀城、獅子ヶ鼻砦など、主要な地に6砦を築いて包囲網をめぐらせ、天正9年(1581年)にようやく高天神城を攻略したのです。

そして、話は現代に戻ります。お城の麓の駐車場には、これまたお城風なトイレがあるのですけど、「ここは、かわや(便所)でござる」との立て札が。それならば、拙者はそちらで用を足させてもらうでござる。

さらに、このような案内看板もありましたよ。
このお城は二つの峰にまたがるように築かれ、曲輪も効果的に配置されていました。

高天神城は南に大手口、北に搦手口が設けられていました。今回、私たちが登る搦手口は、城内にある高天神社の参道になっていることもあって、きれいに整備されています。そうしたら、気合い入れて頂上を目指しましょう

ハアハア………
多少キツいことは覚悟していたのですけど、長い階段はけっこうヒザにきますね。
しかしそんな私を尻目に、たつぴと箔はスタスタ進んでいました。
そして、登り詰めた先には………

三日月井戸がありましたよ。
高天神城にはこのような水源がいくつかあり、飲料水には事欠きませんでした。これは攻める側からしたら、なかなか手強いです。

その先の西の峰には、先ほど触れた高天神社が。
こちらの神社は、「天神」の名前が入っていることから、学問の神として信仰されてきたみたいです。

また、尾根を大きくえぐって寸断し、攻めにくくする掘割りという遺構も残っていました。これほど幅があると、さすがに「よっこいしょ ………ういち」とひとっ跳びで越えることはできません。

それから、本丸など主要部のある東の峰に至るまでの20メートルほどは、昨秋の台風の影響で木が倒れる恐れがあるために、現在通行止めとなっています。
そちらに行くには一旦山の麓まで降り、南側の大手道から登り直さなければならないので、お気をつけくださいませ。

その東の峰の山際には、大河内幽閉の石窟がありました。徳川方の武将だった大河内源三郎政局は、高天神城が武田勝頼に攻め落とされたときに捕虜となり、この石窟に幽閉されてしまいました。
しかし、彼は決して屈伏することなく、そのお城が家康に奪回されるまで約7年間も耐えてきたのです。その石窟の中は薄暗く、彼の忍耐強さも伝わってきたのですけど………

現在ではこのような状態に。こちらも昨秋の台風で、天井が崩れ落ちてしまったのでしょうか?お城の攻防戦の生々しさを伝える場所のひとつだっただけに、惜しいです。

そして、最も高いところには、本丸跡がありました。こちらは周囲が土塁に囲まれていて、中世の山城の雰囲気がありありですよ。
おおっ、その向こうには………

書き割りがあったので、ここは顔を突っ込んでおきましょう
しかし、天険の要害、激しい攻防戦、現在に伝わる城の痕跡ときて、書き割りに至るとは。それでも、このようなものがあったら、私は性分からして無視できないのですよ。

高天神城は立地からいって見晴らしがよく、頂上からは遠くに遠州灘や、その海岸に沿うように並んでいる風力発電の風車を臨むことができます。
山城を散策するのには、草が生い茂ってなくて、蛇や虫に刺される心配のない冬場の時季がオススメです。
そこに行き着くまでは大変ですけど、登り詰めたときの達成感は、たまりません。また、戦国武将になってその地を制したような気分にもなれるので、なかなかいいですよ。興味を持たれた方は、ぜひお近くの山城へ。

山城と書き割りを制覇してみたい方は、こちらに投票してやってください。
最近、お城の人気が上がりつつありますよね。




そんな流れで、私、たつぴ、箔の白黒茶々家の男衆が今回訪れたのは、静岡県掛川市の南部、土方地区にある高天神城です。ちなみに、看板の後方に見える山がそのお城に当たります。


高天神城が築かれた山は標高約130メートルとそれほど高くないのですけど、四方が切り立った断崖となっていて、攻め落とすのが困難な難攻不落のお城でした。

このお城は、当初は今川氏の支城としての役割を担っていました。その後、今川氏の衰退に伴って徳川氏の城となったのですけど、天正2年(1574年)に武田勝頼に落とされてしまいます。



そして、話は現代に戻ります。お城の麓の駐車場には、これまたお城風なトイレがあるのですけど、「ここは、かわや(便所)でござる」との立て札が。それならば、拙者はそちらで用を足させてもらうでござる。


さらに、このような案内看板もありましたよ。


高天神城は南に大手口、北に搦手口が設けられていました。今回、私たちが登る搦手口は、城内にある高天神社の参道になっていることもあって、きれいに整備されています。そうしたら、気合い入れて頂上を目指しましょう


ハアハア………




三日月井戸がありましたよ。


その先の西の峰には、先ほど触れた高天神社が。



また、尾根を大きくえぐって寸断し、攻めにくくする掘割りという遺構も残っていました。これほど幅があると、さすがに「よっこいしょ ………ういち」とひとっ跳びで越えることはできません。


それから、本丸など主要部のある東の峰に至るまでの20メートルほどは、昨秋の台風の影響で木が倒れる恐れがあるために、現在通行止めとなっています。


その東の峰の山際には、大河内幽閉の石窟がありました。徳川方の武将だった大河内源三郎政局は、高天神城が武田勝頼に攻め落とされたときに捕虜となり、この石窟に幽閉されてしまいました。


現在ではこのような状態に。こちらも昨秋の台風で、天井が崩れ落ちてしまったのでしょうか?お城の攻防戦の生々しさを伝える場所のひとつだっただけに、惜しいです。


そして、最も高いところには、本丸跡がありました。こちらは周囲が土塁に囲まれていて、中世の山城の雰囲気がありありですよ。


書き割りがあったので、ここは顔を突っ込んでおきましょう



高天神城は立地からいって見晴らしがよく、頂上からは遠くに遠州灘や、その海岸に沿うように並んでいる風力発電の風車を臨むことができます。

山城を散策するのには、草が生い茂ってなくて、蛇や虫に刺される心配のない冬場の時季がオススメです。






ピータンパパです!
昨年老朽化で崩れる恐れがあり解体してしまいました、かなりの範囲での補修工事をしました
南口の階段も崩れてしまったので
背負子に土を入れ、えっちらおっちら運びました
あの階段はマジきついです・・・
台風の影響、ほんとすごかったですもんね!
大木があちこちでバッタンバッタン倒れてしまって(+o+)衝撃です・・・。
先日はカカにお祝いコメをありがとうございました☆嬉しかったです^^
今度、お会いできるとき楽しみにしてまっす^^
昨秋の台風の爪あとはあちこちで見られ、高天神城ではいまだに倒木などがそのまんまになっていましたよ。
みくろさんやカカ君との初対面まであと2週間あまり。白黒茶々家の男衆は、その日が来るのを楽しみにしています。