波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

磐田市にある明治の学校と邸宅

2023-01-25 02:58:47 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回から白黒茶々家の3人と2頭は、磐田市に来ています。 矢奈比賣神社霊犬神社で初詣を済ませた私たちは、まっすぐ帰るのもナンだったので、それらの神社から近いといえなくもないところにある………

まずは、旧見付学校に寄っていくことにしました。 磐田市内には、明治時代初期に建てられた学校の校舎が残っているのですよ

旧見付学校は、明治5年(1872年)に学制が発布されてから2年後に工事に着手され、翌年の明治8年(1875年)に落成 引き続いて開校式をおこないました。 内部は無料で見学できるのですけど、聞いた話によるとワンコは抱っこしていけば一緒に入れるそうです。 しかし、のどちらかだけでも抱えて昔の階段を上がっていくのはかなりキツいので、彼女らには車の中で待機していてもらうことにしました。

その1階には、昔の教室が再現されていました。 木製の机と椅子は子供用のサイズ。それから全ての席には、石盤と教科書が置かれていました。 さらに、昔ながらの足踏み式のオルガンもありましたよ 私は昭和世代なのですけど、小学校の頃にはそのようなオルガンが教室に置いてありました。 係員さんが「自由に弾いていいですよ」と仰るので、さっそく……… 弾ける曲がないので、音だけ鳴らしてみました。

その旧見付学校には、伝酒井之太鼓なるものが保管されています。 前々回の夏目吉信の話の続きになるのですけど、三方ヶ原から逃げ帰ってきた徳川家康は浜松城に入ってから、家臣たちに驚くべき指示を出しました。 「帰ってくる兵のためにも城の門を全て開け放ち、かがり火を焚け 」と。それはヘタをすると、武田の兵にも容易に入られるということに。 そのような状況の中で、徳川四天王の1人の酒井忠次は、太鼓を打ち鳴らしました。 その様子を見た武田の兵は「これは罠に違いない」と判断し、深入りするのはやめたのです。 その時使われた太鼓が廻り廻って、こちらに来たそうです。 実は私が旧見付学校に来たのは、その伝酒井之太鼓も目当てだったのですよ 前置きはこのくらいにしておいて、いよいよその実物を………

………って、ないじゃないですか 以前に来た時には、間近で見られたのに。 ま、まあ、修繕中なら仕方がありません。 復活した太鼓も見たいのですけど、「どうする家康」で酒井忠次役の大森南朋さんが、その場面をどのように演じるのかを、楽しみにしています。

この校舎は増設した階も含めて5階あります。 その最上階の塔屋からは………

見付の町並みや、遠方に先ほど私たちが参拝してきた矢奈比賣神社の杜を臨むことができます。そうそう、せっかくなので(?)、悉平太郎にもやったうそこメーカーの書き初めをこちらでも試してみましょう

この書き初めは、人や動物の名前ではなくてもよかったのですか それよりも、「味付け海苔」って、いったい………

さらに私たちは、旧見付学校からは北西に1,2kmほど行ったところにある、旧赤松家に向かいました。

煉瓦の詰所を両側に持つが、写真映えしますね。 こちらは明治20年代に建てられた、海軍中将男爵赤松則良氏の邸宅の跡です。 さっそくその敷地内に潜入するのですけど、ここから先はワンコ禁止となっているので、波と狛は車の中で休んでいてくださいませ。

その庭には、こちらの邸宅の主だった赤松則良氏の胸像があります。 彼は江戸時代末期に、アメリカへの使節として咸臨丸に乗りました。 さらにオランダで海軍兵制の諸述や造船の技術、法学などを学び、明治以降は政府のもとでその経験を生かしました。 そういえば大河ドラマの「青天を衝け」にはチョイ役だったのですけど、しっかりと出ていましたね。
そんな則良氏ですけど、52歳となった明治26年(1893年)にこの見付の地に本籍を移し、磐田原大地での茶園の開拓に尽力しました。そんな赤松則良氏をうそこメーカーの書き初めにかけてみたら………

こうなりました。 う~む……… 大邸宅に住んでいてお金持ちのイメージがあるのですけど、何かあったのでしょうか?

まずは、先ほどの門の南側に併設されている図書蔵にご案内いたします。 こちらの建物は2階建てで、1階の床は蔵書の保護のために高く造られています。

2階にも入れるのですけど、備え付けの本棚は空となっていました。 そこにあった蔵書は江戸時代初期からの貴重なものも含まれていて、現在は磐田市立中央図書館に保管されています。

他にも蔵などいくつかの見どころがあったのですけど、洞穴好きの身としてはどうしても庭に掘られた貯蔵庫が気になってしまって。 ただし、こちらの中に入るのは禁止されていました。

大きくて立派だったことが想像される母屋は残ってないのですけど、その跡にはその入口部分を模して旧赤松家記念館が建てられました。 気になるその内部には………

赤松則良氏に関する資料や、旧赤松家にまつわる文化財などが展示されています。 さらに、その奥の和室や庭に面した通路に置かれた席では、磐田茶とお菓子をいただくことができて、今回はそれを楽しみにして来たのですけど……… 前回から十ン年もの時を経ている間に、そのサービスは終わっていました。 その代わりといってはナンですけど、その時にはなかった………

記念館を入ってすぐのところに、則良氏の顔ハメの書き割りが設けられていました。 赤松則良氏のなりきり体験なんて、めったにできないことです たぶん、きっと。 皆さんもこちらに訪れる機会があったら、是非やってみてくださいませ



にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 「青天を衝け」で、草彅剛君の徳川慶喜が超ハマり役!と思われた方は、こちらに投票してやってください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする