こんばんは、白黒茶々です。
世の中はお盆休みに突入し、お子様や学生だけではなく、大半の大人の方もまとまった休暇を取られていることと思います。 さらに、終戦記念日も近いということで、今回は夏休みの自由研究というだけではなく、戦争と平和にも関わるネタを持ち込もうと思います。
ということで、私は箔や波とともに浜名湖の北側にやって参りました。 こちらは東名高速道路の三ヶ日インターチェンジに直結しているレイクサイドウェイの終点のあたりで、駐車場や売店も整っています。また景色もきれいで、箔と波の後方には浜名湖で唯一の無人島の礫島(つぶてじま)が見えます。こちらの島にはダイダラボッチ伝説があるのですけど、話すと長くなるので今回は割愛させていただきます。 また、島には船に乗らないと渡れないのですけど、安全面から上陸は禁止されているそうです。私は小さい頃から、いつかは礫島に行ってみたいと願い続けているというのに。
その浜名湖の奥は入り江となっていて、猪鼻湖という湖が広がっています。8月上旬には、こちらの湖上で三ヶ日花火大会がおこなわれ、2500発ほどの花火が打ち上げられるのですよ。こちらの花火は手筒花火とは違って、上から見ても横から見てもよろしいですね。
浜名湖と猪鼻湖の間には、赤い鉄橋と銀色の吊り橋が架かっています。ということで、私たちは今からそれらを仰ぎ見ながら、猪鼻湖神社というところを目指します。
そのあたりはマリンスポーツが盛んで、この日はクルーザーやマリンジェットなどが湖上を行き交っていました。 また、何人かの釣り人も糸を垂らしていましたよ。
さらにバーベキューを楽しむ団体もいたのですけど、その中のおばちゃんが「わぁ~懐かしい、これって昔のスピッツだよね?」と言ってきました。しかし、私は「ええ、まあ」としか答えられませんでした。なぜそこで「今でもスピッツですよ」と言えなかったのか?その時の私よ。
それはさておき、遠くのほうに私たちが目指している猪鼻湖神社が見えてきましたよ。 湖岸に沿って、赤い鉄橋の下を潜り、銀色の吊り橋を越えていったら………
小さな鳥居が姿を表しました。 猪鼻湖神社まであと少し………
と思いきや、私たちの前には岩場が立ちはだかっていました。 かなり足場が悪いのですけど、箔と波は乗り越えられるのでしょうか?………って、大丈夫みたいですね。 その難関(?)を乗り越えた、私たちの視線の先には………
猪鼻湖に突き出た巨岩の上に鎮座する、猪鼻湖神社がありました。 神橋と相まって、聖地感がありありですね。それに、まわりと合わせた景観も、いい感じですし。
まずは、岩場の上に建てられている神社の本殿を参拝し………
せっかくなので、その神橋の上で記念撮影をしておきましょう 猪鼻湖神社の創祀年代は不明なのですけど、古代からあったと思われます。また、こちらは天下泰平・家運隆昌・海上安全・五穀豊穣・縁結びの神様として有名とのことです。私はこのあたりを通る際には、この神社を対岸から見たことはあるのですけど、直接降り立ったのは今回が初めてとなります。
猪鼻湖神社にたどり着いたら、今回のミッションは終わり!というワケではありません。 実は、私たちがこちらに来たのには、もう1つの目的があったのですよ。浜名湖から猪鼻湖に入ってすぐのあたりは、深さが16mもあるそうです。さらにその湖底には、あるお宝かが沈んでいると云われています。
そのお宝とは、戦車のことであります 平成11年(1999年)に、地元に住んでいた大平安夫さん(享年81歳)が「戦時中に戦車を沈めた」と証言したことから、すべてが始まりました。 戦車は「四式中戦車チト」というもので、太平洋戦争末期に米軍に対抗する切り札として、旧日本軍によって2両が試作されたそうです。そのうちの1両は旧三ケ日町の戦車部隊にあったのですけど、終戦直後に秘匿のため浜名湖北部の猪鼻湖に沈められたと伝えられています。
それから幾らかの月日を経て、地元有志によって引き揚げを目的とした探査チームが結成され、そのことは地元紙にも掲載されました。 猪鼻湖の湖底に幻の戦車が沈んでいるなんて……… 私の冒険心というか、探究心も掻き立てられました。 しかし、資金難などの問題があって、決定的な成果を挙げられないままそのプロジェクトは霧散し、私もそのことを忘れつつありました。
それからさらに年月を経た今年の4月に、テレビ東京系の「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」という番組で、猪鼻湖の戦車のことが採り挙げられたのです。 その番組は、「日本の秘境」と呼ばれているところを探険したり、開かずの金庫をこじ開けたり、………などなど、思わず引き込まれてしまうような内容となっております。 そんなテレビ局が本気で取り組んだら、猪鼻湖の戦車の件にもきっと新たな発見や動きがあるに違いありません。
まず番組スタッフは、現地となる猪鼻湖周辺に聞き込み調査に行きました。 すると、また新たな証言が続出 近くに住む90歳ぐらいの老人は、その戦車を沈めるのに直接携わったというではありませんか 四式中戦車チトは、試作機として2両造られたのですけど、そのうちの1両は終戦直後に米軍に回収されたのちに解体されてしまいました。「せっかく苦労して開発したのに、米軍に亡きものにされてなるものか 」ということで、彼らはその戦車を猪鼻湖に沈めることにしました。そうしたら、どのようにして沈めたのかというと……… 彼は戦車のエンジンをかけてから飛び降り、無人となったその戦車は自走して湖に向かっていったそうです。
さらに50~60代の男性は、中学生の頃に遠泳でそのあたりを泳いでいたら、戦車が沈んでいるのがハッキリと見えたというのです。しかも、彼らが指差した方向は、すべて一致しているではありませんか それらのことから、その場所に戦車が沈んでいることは間違いないと言ってもいいでしょう。
そうなったら、今度は湖底の戦車を調査&確認し、引き揚げにつなげたいですね。 番組はそこまで踏み込もうとしたのですけど……… 長い年月の間にみかん畑からの土砂や農薬が流れ込んだからなのか、戦車はそれらに埋まっているみたいで、見つけることはできませんでした。 また、掘り起こしたくても、湖水が濁ったら近くの漁猟にも影響が出てしまうので、難しいというのです。
今となっては、世界に1つしか存在しない幻の四式中戦車チト。私は決して戦争に興味があるというワケではないのですけど、その時代に実際に存在した兵器は、きっといろいろなことを語りかけてくれるハズです。 宮崎駿氏も「戦争は嫌いだけど、兵器は好き」と仰っていますし。できることなら引き揚げて、実物を見てみたいのですけど、沈んでいるあたりの湖上を眺めつつ、まだ見ぬその戦車に思いを馳せるのにも、ロマンがあると思います。
「今度は番組に、礫島の調査を依頼してみては?」と思われた方は、こちらに投票してやってください。
世の中はお盆休みに突入し、お子様や学生だけではなく、大半の大人の方もまとまった休暇を取られていることと思います。 さらに、終戦記念日も近いということで、今回は夏休みの自由研究というだけではなく、戦争と平和にも関わるネタを持ち込もうと思います。
ということで、私は箔や波とともに浜名湖の北側にやって参りました。 こちらは東名高速道路の三ヶ日インターチェンジに直結しているレイクサイドウェイの終点のあたりで、駐車場や売店も整っています。また景色もきれいで、箔と波の後方には浜名湖で唯一の無人島の礫島(つぶてじま)が見えます。こちらの島にはダイダラボッチ伝説があるのですけど、話すと長くなるので今回は割愛させていただきます。 また、島には船に乗らないと渡れないのですけど、安全面から上陸は禁止されているそうです。私は小さい頃から、いつかは礫島に行ってみたいと願い続けているというのに。
その浜名湖の奥は入り江となっていて、猪鼻湖という湖が広がっています。8月上旬には、こちらの湖上で三ヶ日花火大会がおこなわれ、2500発ほどの花火が打ち上げられるのですよ。こちらの花火は手筒花火とは違って、上から見ても横から見てもよろしいですね。
浜名湖と猪鼻湖の間には、赤い鉄橋と銀色の吊り橋が架かっています。ということで、私たちは今からそれらを仰ぎ見ながら、猪鼻湖神社というところを目指します。
そのあたりはマリンスポーツが盛んで、この日はクルーザーやマリンジェットなどが湖上を行き交っていました。 また、何人かの釣り人も糸を垂らしていましたよ。
さらにバーベキューを楽しむ団体もいたのですけど、その中のおばちゃんが「わぁ~懐かしい、これって昔のスピッツだよね?」と言ってきました。しかし、私は「ええ、まあ」としか答えられませんでした。なぜそこで「今でもスピッツですよ」と言えなかったのか?その時の私よ。
それはさておき、遠くのほうに私たちが目指している猪鼻湖神社が見えてきましたよ。 湖岸に沿って、赤い鉄橋の下を潜り、銀色の吊り橋を越えていったら………
小さな鳥居が姿を表しました。 猪鼻湖神社まであと少し………
と思いきや、私たちの前には岩場が立ちはだかっていました。 かなり足場が悪いのですけど、箔と波は乗り越えられるのでしょうか?………って、大丈夫みたいですね。 その難関(?)を乗り越えた、私たちの視線の先には………
猪鼻湖に突き出た巨岩の上に鎮座する、猪鼻湖神社がありました。 神橋と相まって、聖地感がありありですね。それに、まわりと合わせた景観も、いい感じですし。
まずは、岩場の上に建てられている神社の本殿を参拝し………
せっかくなので、その神橋の上で記念撮影をしておきましょう 猪鼻湖神社の創祀年代は不明なのですけど、古代からあったと思われます。また、こちらは天下泰平・家運隆昌・海上安全・五穀豊穣・縁結びの神様として有名とのことです。私はこのあたりを通る際には、この神社を対岸から見たことはあるのですけど、直接降り立ったのは今回が初めてとなります。
猪鼻湖神社にたどり着いたら、今回のミッションは終わり!というワケではありません。 実は、私たちがこちらに来たのには、もう1つの目的があったのですよ。浜名湖から猪鼻湖に入ってすぐのあたりは、深さが16mもあるそうです。さらにその湖底には、あるお宝かが沈んでいると云われています。
そのお宝とは、戦車のことであります 平成11年(1999年)に、地元に住んでいた大平安夫さん(享年81歳)が「戦時中に戦車を沈めた」と証言したことから、すべてが始まりました。 戦車は「四式中戦車チト」というもので、太平洋戦争末期に米軍に対抗する切り札として、旧日本軍によって2両が試作されたそうです。そのうちの1両は旧三ケ日町の戦車部隊にあったのですけど、終戦直後に秘匿のため浜名湖北部の猪鼻湖に沈められたと伝えられています。
それから幾らかの月日を経て、地元有志によって引き揚げを目的とした探査チームが結成され、そのことは地元紙にも掲載されました。 猪鼻湖の湖底に幻の戦車が沈んでいるなんて……… 私の冒険心というか、探究心も掻き立てられました。 しかし、資金難などの問題があって、決定的な成果を挙げられないままそのプロジェクトは霧散し、私もそのことを忘れつつありました。
それからさらに年月を経た今年の4月に、テレビ東京系の「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」という番組で、猪鼻湖の戦車のことが採り挙げられたのです。 その番組は、「日本の秘境」と呼ばれているところを探険したり、開かずの金庫をこじ開けたり、………などなど、思わず引き込まれてしまうような内容となっております。 そんなテレビ局が本気で取り組んだら、猪鼻湖の戦車の件にもきっと新たな発見や動きがあるに違いありません。
まず番組スタッフは、現地となる猪鼻湖周辺に聞き込み調査に行きました。 すると、また新たな証言が続出 近くに住む90歳ぐらいの老人は、その戦車を沈めるのに直接携わったというではありませんか 四式中戦車チトは、試作機として2両造られたのですけど、そのうちの1両は終戦直後に米軍に回収されたのちに解体されてしまいました。「せっかく苦労して開発したのに、米軍に亡きものにされてなるものか 」ということで、彼らはその戦車を猪鼻湖に沈めることにしました。そうしたら、どのようにして沈めたのかというと……… 彼は戦車のエンジンをかけてから飛び降り、無人となったその戦車は自走して湖に向かっていったそうです。
さらに50~60代の男性は、中学生の頃に遠泳でそのあたりを泳いでいたら、戦車が沈んでいるのがハッキリと見えたというのです。しかも、彼らが指差した方向は、すべて一致しているではありませんか それらのことから、その場所に戦車が沈んでいることは間違いないと言ってもいいでしょう。
そうなったら、今度は湖底の戦車を調査&確認し、引き揚げにつなげたいですね。 番組はそこまで踏み込もうとしたのですけど……… 長い年月の間にみかん畑からの土砂や農薬が流れ込んだからなのか、戦車はそれらに埋まっているみたいで、見つけることはできませんでした。 また、掘り起こしたくても、湖水が濁ったら近くの漁猟にも影響が出てしまうので、難しいというのです。
今となっては、世界に1つしか存在しない幻の四式中戦車チト。私は決して戦争に興味があるというワケではないのですけど、その時代に実際に存在した兵器は、きっといろいろなことを語りかけてくれるハズです。 宮崎駿氏も「戦争は嫌いだけど、兵器は好き」と仰っていますし。できることなら引き揚げて、実物を見てみたいのですけど、沈んでいるあたりの湖上を眺めつつ、まだ見ぬその戦車に思いを馳せるのにも、ロマンがあると思います。
「今度は番組に、礫島の調査を依頼してみては?」と思われた方は、こちらに投票してやってください。