こんばんは、白黒茶々です。
大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、井伊直虎(柴咲コウ)が今川氏真(尾上松也)からの徳政令を受け入れてから、波乱の展開となりましたね。 それまでの「女城主編」がまったりとしていただけに、これからはより目が離せません。
そんな8月初旬の日曜日に、私は箔と波をともなって、浜名湖の北部を車で移動していました。 その時季は1年の間で最も暑く、そのような状況の中で私たちは猪鼻湖神社周辺を散策しつつ、その湖底に沈んでいる戦車に思いを馳せました。
暑さで少々バテ気味の波ちゃ、後ろ足が真横に開いていますよ
………というのは前回の話で、実はそのあとにもまだ続きがあったのですよ。 彼らのお出かけ要求に応えたとはいっても、猪鼻湖のあたりはほとんど私の意向に沿ったものだったので、せめてそのあとは彼らが喜ぶようなところに連れていってあげることにしました。 ということで私は、日差しが和らぐ夕方頃に新東名高速道路の浜松サービスエリア(上り)にたどり着けるようにしました。
そのような流れで、私たちは気賀に差し掛かりました。 気賀は浜松市北区細江町気賀のことで、「おんな城主 直虎」では浜名湖畔屈指の商業都市として描かれています。そのドラマのなかで、龍雲丸(柳楽優弥)が薦めた場所に直虎が築いた「気賀の浮き城」とされているのが………
こちらの堀川城跡にございます。 実際にはこのお城は、当時周辺を治めていた斎藤為義が、徳川家康の侵入を防ぐために、遠江と三河の国境と接する最前線のこの地に築いたみたいです。
正確な場所は不明なのですけど、このあたりにあったと推定されています。 まわりは見渡す限りの田園地帯で、現在の地形からしても、かつてのお城は満潮時は湖上に浮き、干潮時は泥湿地に囲まれていたと推定できます。 私は以前からこのお城のことは知っていたのですけど、こちら方面に来たときでもつい素通りしてきてしまいました。 城跡周辺には駐車できるスペースはなく、バスの便もないので、現在でもある意味難攻不落なのですよ。
「それならば、今回はどのようにして近付いたのか?」ですって。大きな声では言えないのですけど、路駐にございます。 なので、できるだけ短時間で取材を切り上げますよ
お城の跡には「古戦場」の文字も刻まれた城址碑と、首塚があります。
永禄11年(1568年)に徳川家康は、遠江に進攻。 気賀の南東にあった刑部城を落としたあと、堀川城に迫りました。今川方で堀江城主の大澤基胤(幻の堀江県の県令となった大澤基寿の先祖)は、新田友作らの諸将や農兵とともに抗戦。 しかし堀川城は落ち、城兵の半数が討ち死にしてしまいました。その際に新田友作は逃げ出し、のちに出家して法休と名乗り、城兵の供養をしたそうです。
その後も家康は攻撃の手をゆるめず、城兵の生き残りや城に逃げ込んだ女子供を含む約700人も処刑してしまいました。 何か特別な理由があったのかも知れませんけど、家康が敵方を皆殺しにするなんて……… この時以外はそのようなことは一切なく、彼の黒歴史となることでしょう。
さらに家康(阿部サダヲ)の進撃によって、井伊谷の小野但馬守政次(高橋一生)は……… これ以上書いたらネタバレになってしまうので、このあたりで場所と話を変えさせていただきます。
ちょっと寄り道してしまいましたけど、引き続き私たちはその日の最終目的地となる浜松サービスエリア(上り)に向かって走っていきました。 その通り道に大河ドラマ館があるのですけど……… 私がそこに行ってから、2ヶ月ほどにもなるのですね。 あの時は、高橋一生さんご本人と出くわしたり、侍の衣装で気賀関所を闊歩したり、………と、キャッキャしまくりでした。
その一角にある田空直虎ショップの前を通りかかったら、その広場の特設ステージでゆるキャラたちが踊っているのが見えましたよ これはぜひ、突撃しなければ 私は迷わずその臨時駐車場に車を止め、箔と波を引き連れて大河ドラマ館界隈に入っていきました。
気賀関所や大河ドラマ館に通じる、田空直虎ショップ前の広場で、私たちが目にしたのは………
その特設ステージで「浜松出世音頭」を躍り終えたばかりの出世大名家康くんや出世法師直虎ちゃん、それにえんちゃん、ふらまる、うなもといったご当地キャラが集結していました。 彼らは出番を終えて引き上げるところだったのですけど………
私の要求に快く応じ、一緒に写真に納まってくれました。 しかも、箔と波の高さに合わせてくれて。やらまいかバージョンの家康くんはいろいろと話しかけてくれたのですけど、すみません。そちらの内容はよく覚えていないのですよ。とにかくワンコも含めて、暖かい対応が嬉しかったのですよ。
その箔波ちゃは、なぜかうなもにも気に入られていました。 こちらは、浜名湖名産のうなぎの頭や骨、皮といった残骸の肥料で育てたサツマイモ(うなぎいも)をモチーフにしたキャラクターであります。しかも、うなもは喋れるタイプで、「うわ~、白くてふわふわでカワイイなも~」とか「ほとんどのワンちゃんは(うなもを)恐がるのに、平気にしているなんて、エライなも~」とか言っていました。 しかし、そんなうなもに対して、箔波ちゃは喜んだり驚いたりすることはなく、いたって普通にしていました。 私の趣味で、この手のものと行き逢う機会がたくさんあるので、慣れているのでしょうか?それにしても、うなもは大き過ぎて、画面からはみ出していますよ。
期せずしてゆるキャラたちと交流することができ、私は得した気分で大河ドラマ館界隈をあとにすることができました。 これは、井伊直虎のお導きでしょうか?それはともかくとして、次こそは本当にワンコが喜ぶドッグランのある浜松サービスエリア(上り)に連れていくので、箔波ちゃは楽しみにしていてくださいませ。
うなぎいも商品が気になり出したという方は、こちらに投票してやってください。
大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、井伊直虎(柴咲コウ)が今川氏真(尾上松也)からの徳政令を受け入れてから、波乱の展開となりましたね。 それまでの「女城主編」がまったりとしていただけに、これからはより目が離せません。
そんな8月初旬の日曜日に、私は箔と波をともなって、浜名湖の北部を車で移動していました。 その時季は1年の間で最も暑く、そのような状況の中で私たちは猪鼻湖神社周辺を散策しつつ、その湖底に沈んでいる戦車に思いを馳せました。
暑さで少々バテ気味の波ちゃ、後ろ足が真横に開いていますよ
………というのは前回の話で、実はそのあとにもまだ続きがあったのですよ。 彼らのお出かけ要求に応えたとはいっても、猪鼻湖のあたりはほとんど私の意向に沿ったものだったので、せめてそのあとは彼らが喜ぶようなところに連れていってあげることにしました。 ということで私は、日差しが和らぐ夕方頃に新東名高速道路の浜松サービスエリア(上り)にたどり着けるようにしました。
そのような流れで、私たちは気賀に差し掛かりました。 気賀は浜松市北区細江町気賀のことで、「おんな城主 直虎」では浜名湖畔屈指の商業都市として描かれています。そのドラマのなかで、龍雲丸(柳楽優弥)が薦めた場所に直虎が築いた「気賀の浮き城」とされているのが………
こちらの堀川城跡にございます。 実際にはこのお城は、当時周辺を治めていた斎藤為義が、徳川家康の侵入を防ぐために、遠江と三河の国境と接する最前線のこの地に築いたみたいです。
正確な場所は不明なのですけど、このあたりにあったと推定されています。 まわりは見渡す限りの田園地帯で、現在の地形からしても、かつてのお城は満潮時は湖上に浮き、干潮時は泥湿地に囲まれていたと推定できます。 私は以前からこのお城のことは知っていたのですけど、こちら方面に来たときでもつい素通りしてきてしまいました。 城跡周辺には駐車できるスペースはなく、バスの便もないので、現在でもある意味難攻不落なのですよ。
「それならば、今回はどのようにして近付いたのか?」ですって。大きな声では言えないのですけど、路駐にございます。 なので、できるだけ短時間で取材を切り上げますよ
お城の跡には「古戦場」の文字も刻まれた城址碑と、首塚があります。
永禄11年(1568年)に徳川家康は、遠江に進攻。 気賀の南東にあった刑部城を落としたあと、堀川城に迫りました。今川方で堀江城主の大澤基胤(幻の堀江県の県令となった大澤基寿の先祖)は、新田友作らの諸将や農兵とともに抗戦。 しかし堀川城は落ち、城兵の半数が討ち死にしてしまいました。その際に新田友作は逃げ出し、のちに出家して法休と名乗り、城兵の供養をしたそうです。
その後も家康は攻撃の手をゆるめず、城兵の生き残りや城に逃げ込んだ女子供を含む約700人も処刑してしまいました。 何か特別な理由があったのかも知れませんけど、家康が敵方を皆殺しにするなんて……… この時以外はそのようなことは一切なく、彼の黒歴史となることでしょう。
さらに家康(阿部サダヲ)の進撃によって、井伊谷の小野但馬守政次(高橋一生)は……… これ以上書いたらネタバレになってしまうので、このあたりで場所と話を変えさせていただきます。
ちょっと寄り道してしまいましたけど、引き続き私たちはその日の最終目的地となる浜松サービスエリア(上り)に向かって走っていきました。 その通り道に大河ドラマ館があるのですけど……… 私がそこに行ってから、2ヶ月ほどにもなるのですね。 あの時は、高橋一生さんご本人と出くわしたり、侍の衣装で気賀関所を闊歩したり、………と、キャッキャしまくりでした。
その一角にある田空直虎ショップの前を通りかかったら、その広場の特設ステージでゆるキャラたちが踊っているのが見えましたよ これはぜひ、突撃しなければ 私は迷わずその臨時駐車場に車を止め、箔と波を引き連れて大河ドラマ館界隈に入っていきました。
気賀関所や大河ドラマ館に通じる、田空直虎ショップ前の広場で、私たちが目にしたのは………
その特設ステージで「浜松出世音頭」を躍り終えたばかりの出世大名家康くんや出世法師直虎ちゃん、それにえんちゃん、ふらまる、うなもといったご当地キャラが集結していました。 彼らは出番を終えて引き上げるところだったのですけど………
私の要求に快く応じ、一緒に写真に納まってくれました。 しかも、箔と波の高さに合わせてくれて。やらまいかバージョンの家康くんはいろいろと話しかけてくれたのですけど、すみません。そちらの内容はよく覚えていないのですよ。とにかくワンコも含めて、暖かい対応が嬉しかったのですよ。
その箔波ちゃは、なぜかうなもにも気に入られていました。 こちらは、浜名湖名産のうなぎの頭や骨、皮といった残骸の肥料で育てたサツマイモ(うなぎいも)をモチーフにしたキャラクターであります。しかも、うなもは喋れるタイプで、「うわ~、白くてふわふわでカワイイなも~」とか「ほとんどのワンちゃんは(うなもを)恐がるのに、平気にしているなんて、エライなも~」とか言っていました。 しかし、そんなうなもに対して、箔波ちゃは喜んだり驚いたりすることはなく、いたって普通にしていました。 私の趣味で、この手のものと行き逢う機会がたくさんあるので、慣れているのでしょうか?それにしても、うなもは大き過ぎて、画面からはみ出していますよ。
期せずしてゆるキャラたちと交流することができ、私は得した気分で大河ドラマ館界隈をあとにすることができました。 これは、井伊直虎のお導きでしょうか?それはともかくとして、次こそは本当にワンコが喜ぶドッグランのある浜松サービスエリア(上り)に連れていくので、箔波ちゃは楽しみにしていてくださいませ。
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