こんばんは、白黒茶々です。
話のほうは前々回の予告通り、お盆休みにまでさかのぼります。 私の今年のお盆休みは全部で4日間。その前半は家族旅行に費やしたのですけど、帰ってきたその翌日からは、今度はたつぴと男二人旅に行くことになっていました。
まずは早起きして、箔と波を散歩に連れ出しました。 彼らは「この流れからすると、また列車の旅に連れていってくれるのでは?」と思い込んで勝手に盛り上がっているのですけど、今回は置いていくのだよ。スマン、許せ
………とはいっても、さすがに始発列車に間に合わせるのはキツいので、6時台に出ている三番列車ぐらいのヤツに乗っていくことにしました。 ちなみに今回は、家族旅行とは逆方向の、西のほうに向かっていきました。家の最寄り駅から列車に揺られること5時間ほどで………
私たちは姫路駅に到着しました。そのホームからは、今春改装工事を終えたばかりの姫路城が見えましたよ。 その日は終戦記念日の8月15日で、時間のほうも正午になったので、私たちは姫路城に向かって黙祷しました。今から70年前の昭和20年(1945年)の7月に、こちらの姫路市は2回目の空襲に遭いました。その時の死者173人、重軽傷者160人あまり、全焼家屋約1万300戸、被災者45182人にもなりました。
その空襲で、姫路城の大天守の最上階に焼夷弾が飛び込んだのですけど、不発だったみたいで焼失をまぬがれました。焼け野原のなかに奇跡的にお城が残り、その姿に勇気づけられた被災者もいたそうです。
その乗り換え時間の間に、私はこちらの明太海苔唐揚げ弁当を買っていき、次の列車の車内で食べました。 それから間もなくしてたどり着いた相生駅では………
1分の乗り換え時間で、次の列車に飛び込まなければならないのですよ。 向かいのホームに停車していたとはいえ、先ほどまで乗っていたものより車両は短く、さらに通路の階段が私たちの行く手を阻みました。それに、他の乗客も必死になって走っていますし。 これを「相生ダッシュ」というそうですけど、その様子を撮りながら移動していたら、私が乗り込む頃にはすでに満席になっていました。
そこから次の中継地となる岡山駅までは、とにかく長い 田舎の小さな駅ばかりが続いているということもあって、途中で降りる人はほとんどいませんし。 それでも、どうにかして岡山にたどり着きました。ただし、この日の目的地はもう少し先にあるのですよ
そこから、今度は瀬戸大橋線に乗っていき………
そうです その名前からして、私たちは今から四国に渡るのですよ。 その列車の車窓からは、瀬戸内海がよく見えました。ちなみにたつぴが四国に行くのは、今回が初めてとなります。 岡山を出てから、50分ほどで………
私たちは丸亀……… って、こちらは丸亀製麺のお店ですよ。 しかも、白黒茶々地方にあるヤツですし。編集長さん、早く写真を探し出してくださいっ
あ、ありました こちらも、讃岐うどんで有名な丸亀市にある、丸亀駅にございます。実は同市内には、私が喜ぶような名所、いや、名城があるのですよ。 その駅を出てから、歩いて15分ほどで………
お堀に囲まれ高石垣の上にそびえ立つ、丸亀城に行き着きました。 こちらのお城は、慶長2年(1597年)に生駒親正・一正親子によって、標高66mの亀山を利用して築かれました。しかし、一国一城令によって一旦廃城となってしまいました。時を経て、寛永18年(1641年)に山崎家治が西讃に封じられ、城郭を再興しました。山崎氏は明暦3年(1657年)に改易されてしまうのですけど、その後京極高和(浅井三姉妹の次女お初の夫、京極高次の孫)が入城し、明治に至るまで京極氏のお城となりました。
その京極氏の時代に、お城の正面口となる大手口が、北側に移されました。そのとき築かれた、高麗門形式の大手二の門、櫓門の大手一の門、土塀がセットで現存しているのですよ
その手前のお堀をのぞき込んだら、亀がたくさんいました。 丸亀城の亀……… そのほとんどが外来種のミシシッピアカミミガメ(ミドリガメ)でしたけど、甲羅干しなどをしていて、みんな幸せそうでした。
そうしたら、丸亀城の散策に入りましょう 大手一の門は開放されているみたいなので、まずはその中に入りますよ。
古くて頑丈な柱や梁からは、歴史を感じます。 またその内部には、お城から出土した瓦などの展示品だけではなく、かつてこちらで打ち鳴らされたであろう太鼓も置いてありました。
その西側の広場には、藩主の屋敷の門だった玄関先御門も残されていました。こちらから見える山上の天守も、なかなかいいでしょ 麓の主な見どころは堪能したので、いよいよその天守を目指しますよ
ハアハア……… 写真からはわかりにくいかも知れませんけど、そこに行くにはこちらの「見返り坂」という急な坂を登っていかなければならないのですよ。 それから間もなくして………
三の丸の高石垣が、大迫力で見えてきました。 ちなみに高さのほうは20mほどあるそうです。
先ほどの坂をなんとかして登り詰め、三の丸の東南隅の月見櫓跡に立つと………
そこからは、讃岐富士の通称で知られている飯野山(標高422m)がよく見えるのですよ そういえば、全国チェーンの丸亀製麺には、この讃岐富士の特大パネルが飾ってありました。
その一段上の二の丸の石垣も、グッときますね。 もうひといき、そこを突破すれば………
お城の最頂部の本丸跡に行き着きます。 それにしても、こちらは青空や視界が広がっていて開放感があるだけではなく、風通しもいいですね。 その一角には、万治3年(1660年)に京極高和によって建造された天守があります。それにしては、やけに小さいような………
そうなんですよ 天守が現存しているお城は全国に12(そのうち国宝は5)あるのですけど、その中でも丸亀城のものは最も小さいのですよ。 そいつをバックにして、記念撮影を済ませたら………
内部に入りますよ やはり限られたスペースを有効に使うということから、階段は急でした。 この角度が恐い方は、ムリをしないで手すりにつかまってお昇りくださいませ。
その最上階からは、丸亀市の町並みはもちろんのこと、海側にある丸亀競艇場、さらにその向こうには瀬戸内海や、私たちが先ほど列車で通ってきた瀬戸大橋を臨むことができます。
帰りは、来るときには通らなかった天守の真下から降りていきましょう。 こちらから見ると、なんかズッシリ感がありますね。 丸亀城の天守はかなり小さいのですけど、城下町から見える側を幅広にして、少しでも大きく見せようとしています。さらにそちらの方向に下見板張りの壁、石落し、唐破風、素木の格子などを配置し、意匠的にも美しく見せています。
丸亀城の見学は以上で終わりです。あとは、晩御飯にこちらの名産の讃岐うどんを食べて、宿泊先となる岡山市に戻るだけです。
讃岐うどんといえば、郊外の小さな製麺所でお昼に食べ、売り切れたらお仕舞いというスタイルが定番なのですけど、列車での旅でそれに割ける時間が限られている私たちのような者は、そのようなお店に行くのは難しいです。 それでも、心配要りません。事前に調べたら、街中に夜まで営業しているお店を見つけたので。
ちなみにそのお店の名は、Sうどん。 そこに向かっている間、たつぴは友達にメールで「今から丸亀のうどんを食べにいく」と送っていました。 そうしたら、「丸亀製麺か。あそこは揚げたての天ぷらも一緒に食べられるで、いいね 」というような返事がありました。私たちの思惑どおり、勘違いしてくれましたね。 丸亀とはいっても、讃岐うどんの本場の丸亀市のことで、あのチェーン店のことではないのですよ。 ネタばらしをするときのことが、今から楽しみですね。
………という悪巧み(?)をしているうちに、Sうどんがあるという駅前の商店街にたどり着きました。 しかしそのあたりをいくら探しても、そのお店は見つかりませんでした。「何か探しているのかのう?」そのような状況の中で、その商店街の方と思われるお爺さんが話しかけてきました。「このあたりに、Sうどんというお店はありますか?」いいタイミングで地元民のほうから聞いてきてくれて、本当に助かりました。 ところが「Sうどんなら、2、3ヶ月前に(お店を)閉めちゃったよ」というではありませんか 「そ、そんな………」私たちは丸亀城を歩き回ってお腹を空かせ、すっかりうどんを受け入れ体制に入っているというのに……… せめて、私たちにうどんを食べさせてから、潰れてくれ。というよりは、今最もうどんを食べたい心境なのですよ 果たして、私たちは讃岐うどんにありつくことができるのでしょうか?皆さんまでうどん食べたい欲に巻き込んだところで、次回に続けさせていただきます。
Sうどんは、伏せ字にされた段階から怪しいと思われた方は、こちらに投票してやってください。
話のほうは前々回の予告通り、お盆休みにまでさかのぼります。 私の今年のお盆休みは全部で4日間。その前半は家族旅行に費やしたのですけど、帰ってきたその翌日からは、今度はたつぴと男二人旅に行くことになっていました。
まずは早起きして、箔と波を散歩に連れ出しました。 彼らは「この流れからすると、また列車の旅に連れていってくれるのでは?」と思い込んで勝手に盛り上がっているのですけど、今回は置いていくのだよ。スマン、許せ
………とはいっても、さすがに始発列車に間に合わせるのはキツいので、6時台に出ている三番列車ぐらいのヤツに乗っていくことにしました。 ちなみに今回は、家族旅行とは逆方向の、西のほうに向かっていきました。家の最寄り駅から列車に揺られること5時間ほどで………
私たちは姫路駅に到着しました。そのホームからは、今春改装工事を終えたばかりの姫路城が見えましたよ。 その日は終戦記念日の8月15日で、時間のほうも正午になったので、私たちは姫路城に向かって黙祷しました。今から70年前の昭和20年(1945年)の7月に、こちらの姫路市は2回目の空襲に遭いました。その時の死者173人、重軽傷者160人あまり、全焼家屋約1万300戸、被災者45182人にもなりました。
その空襲で、姫路城の大天守の最上階に焼夷弾が飛び込んだのですけど、不発だったみたいで焼失をまぬがれました。焼け野原のなかに奇跡的にお城が残り、その姿に勇気づけられた被災者もいたそうです。
その乗り換え時間の間に、私はこちらの明太海苔唐揚げ弁当を買っていき、次の列車の車内で食べました。 それから間もなくしてたどり着いた相生駅では………
1分の乗り換え時間で、次の列車に飛び込まなければならないのですよ。 向かいのホームに停車していたとはいえ、先ほどまで乗っていたものより車両は短く、さらに通路の階段が私たちの行く手を阻みました。それに、他の乗客も必死になって走っていますし。 これを「相生ダッシュ」というそうですけど、その様子を撮りながら移動していたら、私が乗り込む頃にはすでに満席になっていました。
そこから次の中継地となる岡山駅までは、とにかく長い 田舎の小さな駅ばかりが続いているということもあって、途中で降りる人はほとんどいませんし。 それでも、どうにかして岡山にたどり着きました。ただし、この日の目的地はもう少し先にあるのですよ
そこから、今度は瀬戸大橋線に乗っていき………
そうです その名前からして、私たちは今から四国に渡るのですよ。 その列車の車窓からは、瀬戸内海がよく見えました。ちなみにたつぴが四国に行くのは、今回が初めてとなります。 岡山を出てから、50分ほどで………
私たちは丸亀……… って、こちらは丸亀製麺のお店ですよ。 しかも、白黒茶々地方にあるヤツですし。編集長さん、早く写真を探し出してくださいっ
あ、ありました こちらも、讃岐うどんで有名な丸亀市にある、丸亀駅にございます。実は同市内には、私が喜ぶような名所、いや、名城があるのですよ。 その駅を出てから、歩いて15分ほどで………
お堀に囲まれ高石垣の上にそびえ立つ、丸亀城に行き着きました。 こちらのお城は、慶長2年(1597年)に生駒親正・一正親子によって、標高66mの亀山を利用して築かれました。しかし、一国一城令によって一旦廃城となってしまいました。時を経て、寛永18年(1641年)に山崎家治が西讃に封じられ、城郭を再興しました。山崎氏は明暦3年(1657年)に改易されてしまうのですけど、その後京極高和(浅井三姉妹の次女お初の夫、京極高次の孫)が入城し、明治に至るまで京極氏のお城となりました。
その京極氏の時代に、お城の正面口となる大手口が、北側に移されました。そのとき築かれた、高麗門形式の大手二の門、櫓門の大手一の門、土塀がセットで現存しているのですよ
その手前のお堀をのぞき込んだら、亀がたくさんいました。 丸亀城の亀……… そのほとんどが外来種のミシシッピアカミミガメ(ミドリガメ)でしたけど、甲羅干しなどをしていて、みんな幸せそうでした。
そうしたら、丸亀城の散策に入りましょう 大手一の門は開放されているみたいなので、まずはその中に入りますよ。
古くて頑丈な柱や梁からは、歴史を感じます。 またその内部には、お城から出土した瓦などの展示品だけではなく、かつてこちらで打ち鳴らされたであろう太鼓も置いてありました。
その西側の広場には、藩主の屋敷の門だった玄関先御門も残されていました。こちらから見える山上の天守も、なかなかいいでしょ 麓の主な見どころは堪能したので、いよいよその天守を目指しますよ
ハアハア……… 写真からはわかりにくいかも知れませんけど、そこに行くにはこちらの「見返り坂」という急な坂を登っていかなければならないのですよ。 それから間もなくして………
三の丸の高石垣が、大迫力で見えてきました。 ちなみに高さのほうは20mほどあるそうです。
先ほどの坂をなんとかして登り詰め、三の丸の東南隅の月見櫓跡に立つと………
そこからは、讃岐富士の通称で知られている飯野山(標高422m)がよく見えるのですよ そういえば、全国チェーンの丸亀製麺には、この讃岐富士の特大パネルが飾ってありました。
その一段上の二の丸の石垣も、グッときますね。 もうひといき、そこを突破すれば………
お城の最頂部の本丸跡に行き着きます。 それにしても、こちらは青空や視界が広がっていて開放感があるだけではなく、風通しもいいですね。 その一角には、万治3年(1660年)に京極高和によって建造された天守があります。それにしては、やけに小さいような………
そうなんですよ 天守が現存しているお城は全国に12(そのうち国宝は5)あるのですけど、その中でも丸亀城のものは最も小さいのですよ。 そいつをバックにして、記念撮影を済ませたら………
内部に入りますよ やはり限られたスペースを有効に使うということから、階段は急でした。 この角度が恐い方は、ムリをしないで手すりにつかまってお昇りくださいませ。
その最上階からは、丸亀市の町並みはもちろんのこと、海側にある丸亀競艇場、さらにその向こうには瀬戸内海や、私たちが先ほど列車で通ってきた瀬戸大橋を臨むことができます。
帰りは、来るときには通らなかった天守の真下から降りていきましょう。 こちらから見ると、なんかズッシリ感がありますね。 丸亀城の天守はかなり小さいのですけど、城下町から見える側を幅広にして、少しでも大きく見せようとしています。さらにそちらの方向に下見板張りの壁、石落し、唐破風、素木の格子などを配置し、意匠的にも美しく見せています。
丸亀城の見学は以上で終わりです。あとは、晩御飯にこちらの名産の讃岐うどんを食べて、宿泊先となる岡山市に戻るだけです。
讃岐うどんといえば、郊外の小さな製麺所でお昼に食べ、売り切れたらお仕舞いというスタイルが定番なのですけど、列車での旅でそれに割ける時間が限られている私たちのような者は、そのようなお店に行くのは難しいです。 それでも、心配要りません。事前に調べたら、街中に夜まで営業しているお店を見つけたので。
ちなみにそのお店の名は、Sうどん。 そこに向かっている間、たつぴは友達にメールで「今から丸亀のうどんを食べにいく」と送っていました。 そうしたら、「丸亀製麺か。あそこは揚げたての天ぷらも一緒に食べられるで、いいね 」というような返事がありました。私たちの思惑どおり、勘違いしてくれましたね。 丸亀とはいっても、讃岐うどんの本場の丸亀市のことで、あのチェーン店のことではないのですよ。 ネタばらしをするときのことが、今から楽しみですね。
………という悪巧み(?)をしているうちに、Sうどんがあるという駅前の商店街にたどり着きました。 しかしそのあたりをいくら探しても、そのお店は見つかりませんでした。「何か探しているのかのう?」そのような状況の中で、その商店街の方と思われるお爺さんが話しかけてきました。「このあたりに、Sうどんというお店はありますか?」いいタイミングで地元民のほうから聞いてきてくれて、本当に助かりました。 ところが「Sうどんなら、2、3ヶ月前に(お店を)閉めちゃったよ」というではありませんか 「そ、そんな………」私たちは丸亀城を歩き回ってお腹を空かせ、すっかりうどんを受け入れ体制に入っているというのに……… せめて、私たちにうどんを食べさせてから、潰れてくれ。というよりは、今最もうどんを食べたい心境なのですよ 果たして、私たちは讃岐うどんにありつくことができるのでしょうか?皆さんまでうどん食べたい欲に巻き込んだところで、次回に続けさせていただきます。
Sうどんは、伏せ字にされた段階から怪しいと思われた方は、こちらに投票してやってください。