波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

田舎の小藩の砦・田原城(三河田原訪問記その2)

2011-04-20 00:01:20 | お城
こんばんは、白黒茶々です。
古代の縄文ネタに引き続いて、今回のテーマは近世ということで、田原城を採り上げてみようと思います。 田原市の中心に位置するこのお城は、四月上旬のこの時季には満開の桜に囲まれていました。



お城の桜は、ちょうど見ごろの時季(※取材当時のコト)を迎えていました。ちなみにこちらは、駐車場からお堀の跡を通って、城内に至る入口です。

田原城は、文明12年(1480年)頃に戸田宗光によって初めて築かれました。その後、天文16年(1547年)まで戸田氏が三河支配の拠点としました。
のちに城主が入れ替わり、吉田城(豊橋市)の池田輝政の支配下にあった伊木氏の頃にほぼ現在の規模に整備されました。その後さらに戸田氏を経て、寛文4年(1664年)以降は三宅氏が入封し、その統治は明治まで続きます。
それから、海に面した小さな丘に築かれたことから、別名を巴江城といいます。



このお城は、1万2千石の小藩の居城ということもあってこじんまりとしているのですけど、大手口(お城の正門)沿いにはこのように立派な水堀と石垣があります。そのまわりの桜もいい感じに咲いていますね。



大手門に当たるこちらの門は桜門といって、平成5年頃に外観のみ復元されました。桜の時季の桜門っていうのも、いいですね♪しかし、この角度からはあまり門らしく見えないので、正面に廻ってみますね。



改めまして、こちらが桜門にございます。では、さっそくお城の中に………



おおっとその前に、せっかくなので記念撮影をしておきましょう。 箔ちゃ、興味を引き付ける人などはいませんけど、カメラのほうを向いてくださいね。



その桜門をくぐったところには、この建物があります。田原城には天守はなく、二重櫓がお城のシンボル的存在となっていました。その跡に現在では模擬二重櫓が建てられていて、隣接する田原市博物館の分館となっております。



さらにすぐ向こうの本丸跡は、現在は巴江神社が鎮座しております。
今年の桜は今(※しつこいようですけど、あくまでも取材した日のコトです )が最盛期ということで………



お約束の頭乗せをやってみました。 それにしても箔ちゃ、今回もスキだらけというか、油断しまくりですね。 おかげで、すんなりとこの写真を撮ることができましたよ。

全国各地には桜の名所となっているお城がたくさんあるのですけど、今回白黒茶々家は初めてこの時季に田原城に行ってみました。そうしたら、けっこう堪能することができましたよ。 次回は近代ということで、特にこの地方で有名な偉人を採り上げるので、そちらのほうにもぜひ、お付き合いくださいませ~


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コメント (2)
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