ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

米田健治先生の通夜に級友たちを連れて行くことが出来なくて

2016-12-23 01:45:53 | 社会・経済

昨夜は、黒門小学校の3年生の時に、1年間しか習わなかった米田健治先生の通夜で、奥さんから南大沢の南多摩斎場で葬儀が行われると聞いて、都内から3人が駆けつけてくれました。

私は車で20分前に到着するも、何処にも米田家の看板が見当たらず、直ぐに奥さんと甥っ子の携帯に繋がらず、斎場の方から聞いた近くの斎場に行くも、看板はありませんでした。

友人たちが南大沢の駅に着く頃なので、Yくんの携帯に連絡を入れました。 ちょうどタクシーに乗るところでしたので、取り敢えず迎えに行くことにしました。

4人が車に乗って、取り敢えず斎場に案内するも、ただ時間が過ぎていくだけです。 先生の自宅そばの聖蹟桜ヶ丘にある観蔵院で、もしかしたら葬儀が行われているかも知れないと、30分かかって行くも人影もなく、取り敢えずみんなで食事をしようと聖蹟のレストランに入りました。

通夜の時間も1時間過ぎて、やっと奥さんの携帯に繋がりました。 聴けば南多摩斎場は取れなかったので、近くのアシスト多摩境と云う葬儀場で行っているとのこと。

考えてみれば94歳になられる奥さんが、先生が天に還られて混乱し、私に十分な情報が伝えられなかったのかなあと思うのでした。 通夜に出ることが出来なかった級友のこともさる事ながら、私から葬儀の連絡を受けた方々が、参列できなかったのではないかと、気になりながら級友たちと会食をしました。

私は告別式に参列するものの、級友たちの香典袋を預かりながら、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 告別式でお別れの言葉を言って欲しいと、奥さんから云われているものの、どんなことを話して良いのやら、改めて考え直す有様です。