ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

松尾澄夫君が米田健治先生と話がしたいと来られて

2015-02-23 07:10:22 | 友人

 黒門小学校で6年間、一緒のクラスで過ごした級友の松尾澄夫君が、是非、米田先生と話したいことがあるし、聞きたいことがあるといって、昨日、一緒に先生のお宅へ伺いました。

 

 消息が分からなかった宮田忠男君の消息も分かったと云って、知らせてくれました。 お肉屋さんを開いていた旧宅へ行ったところ、宮田ビルとあったので、近所の方に話をしたところ、年賀状の交流があるということで、住所を教えていただいたとのこと。

 

 私たちのクラス会が長く続いているのは、松尾君が何かと今まで面倒を見てくれたこともあります。 

 

 先生にお会いしたときに始めに、自分の7歳上の兄貴が上野高校から早稲田大学文学部に進学し、社会主義系の活動の一環として、街頭でチラシを配っているときに、心臓弁膜症で急死され、残された級友たちが遺稿集の本を出版し、それを米田先生にお渡ししたかったといって、古びた本を差し出しました。

 

 松尾君の家は酒屋をやっており、卒業してから遊びに行った印象では、サラリーマンが帰り道で酒屋さんで、かわらけを肴に日本酒のコップ酒やビールを飲みながら談笑し、帰るという雰囲気を持っていました。

 

 長く御徒町に住んでおられたせいもあるでしょうが、私たちの年代だけではなく、上下関係の方たちの消息についても、よく分かっているようでした。

 

 米田先生が私たちの3年のクラスを受け持つ前に、6年生のクラスを担任の綿引先生が、事故で怪我をされ半年間だけ、ピンチヒッターで担当されたのですが、その綿引クラスの方々が、毎年開くクラス会に、先生をお呼びして楽しまれているようです。

 

 昨年は、体調が悪く参加出来なかったら、年末に急遽、先生宅に13人が集まって来られたそうです。 半年間しか教えて頂かなかったのに、綿引クラスの方々は、米田先生には強い印象を持たれているようです。

 

 松尾君は、米田先生が多摩村小学校の先生方からの強い要請で、黒門小学校は1年半過ごしただけで、また元おられた多摩村小学校に戻られましたが、それ以降も黒門小学校と多摩村小学校との交流が、米田先生を介してあったのです。

 

 私はすっかり忘れていましたが、黒門の父兄たちと一緒に、今の市役所があるところに建っていた木造2階建ての校舎で、泊り込んでの交流会があったことを、松尾君が話してくれました。

 

 また黒門の6年のときに日光に修学旅行に行ったときに、丁度、多摩村小学校からも修学旅行で来られて、米田先生と出会ったことも、話してくれました。 私は、すっかり忘れてしまっていることでしたので、松尾君は、今でもよく覚えているようでした。

 

 帰りがけに、米田先生がぽつりともらしました。 松尾君は「語り部」だなあと。 改めて松尾君の良さを感じた次第です。