本屋さんで見かけた本で「胎児はみんな天才だ」を立ち読みして、胎息と云う言葉の意味を考えていた時期もあり、早速、買って読んで見ました。
日本人の平凡な奥さんが、ご主人に言われるままに、子供を身篭った瞬間から胎児に話しかけるように3人の女の子を育てました。 公園を散歩する時には、緑に覆われた情景を胎児に話しかけるように、説明します。
クラッシック音楽を聴いている時にも、その感じるままを胎児に話しかけます。 お母さんだけでなくお父さんも一緒に話しかけます。 胎児はその情景や感動を共に感じることが出来るのです。
胎児は胎内に居ながらにして、父母から受ける言葉を介して、あらゆる情報をインプットされるのです。 胎児の胎内での10月10日は、胎外で体験とは比べものにならないぐらい濃縮された情報として、インプットされるのでしょう。
本には、生まれた子供たちに特別なことは一切しなかったそうですが、3人とも3年も4年も飛び級して大学に進級していったそうです。
私は、胎児は気を通して、あらゆる胎外のことを感知し、それを情報として蓄積していったけっか、この世に生まれ出た時には、既に普通の子供たちとは違った形になっているということでしょうか。
この本を読んで理解した時に、私自身で実践してみようと思ったのですが、既に連れ合いは高齢になっており、では外で実践しようとも考えたのですが、何時も夫婦一緒に胎児に話しかける必要があり、連れ合いと別れなければ実践出来ずとなり、結局、これからの若い方に、それらのことを伝えて実践して貰えればということになったのですが。
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