芹沢光治良が90歳を過ぎてから書いた 神の微笑み の中に出てくる伊藤青年の著書の中で 無 についてお釈迦様が生まれたインドのスジャータ村を訪ねた時に、書いてありましたので記します。
あらゆるものは、光と風、そして何よりも、大地から生まれてくるのです。 大地は単なる物質ではありません。 もっと精妙で、力を持った、大きな命なのです。 無 とは何もないとか、虚無であるということではなく、人間には捉えられない、この精妙で、力を持った、大きな命をあらわしているのではないでしょうか。 一粒の種を育てることを人は知ります。 まったく何もないところから,芽が出、大きな葉が茂り、豊かな実が実ることを。 それはどんな物質的な理屈でも説明できない、大きな命の営みであり,人知や人為をはるかに超えた 無 の表れなのです。
座禅(静功)を行う中で、私自身は 無 とは何もないということではなく、ゼロの感覚から、とても表現できない大きなものということを意識していました。
本の中で、面白い表現だと思いましたので、書いてみました。
あらゆるものは、光と風、そして何よりも、大地から生まれてくるのです。 大地は単なる物質ではありません。 もっと精妙で、力を持った、大きな命なのです。 無 とは何もないとか、虚無であるということではなく、人間には捉えられない、この精妙で、力を持った、大きな命をあらわしているのではないでしょうか。 一粒の種を育てることを人は知ります。 まったく何もないところから,芽が出、大きな葉が茂り、豊かな実が実ることを。 それはどんな物質的な理屈でも説明できない、大きな命の営みであり,人知や人為をはるかに超えた 無 の表れなのです。
座禅(静功)を行う中で、私自身は 無 とは何もないということではなく、ゼロの感覚から、とても表現できない大きなものということを意識していました。
本の中で、面白い表現だと思いましたので、書いてみました。
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