「在来工法」はなぜ生まれたか-4・・・・なぜ基礎へ緊結することになったか?

2007-02-12 02:23:11 | 《在来工法》その呼称の謂れ
礎石上に建てるようになって以来、日本の建物は、「基礎(礎石・布石)上に据え置くだけ」であったことはすでに触れた(2月9日、10日)。

では、なぜ「土台の基礎への緊結」が必要とされるようになったのか。
これには、「建築学者の誕生」と、彼らによる「筋かい」導入の提案が関係している。

昨年12月5日の「日本の建築教育・・・・その始まりと現在」で、1870年代初めに、建築の近代化=西欧化のための学校がつくられ、近代化を指導するエリートの養成が始まったことに触れた。当初の卒業生は、年に10人程度、まさにエリートである。これがすなわち「建築家」・「建築学者」の誕生である。

それ以来、現在に至るまで、日本の建築技術者には、従来の大工棟梁:「実業者」の系譜(12月10日記事参照)と、学校出の人たちの系譜の二系統が存在することになる(同時に、建築家・建築学者が実業者よりも優位との誤解も生まれ、これも未だに引継がれている)。

これもすでに触れたが、近代化を使命と考える建築家・建築学者は、当初、日本の建築およびその技術は捨て去るべきものと考えていたため、それらについて無知に等しく、また知ろうともせず、(12月29日掲載記事参照、現在はどうだろうか?)、それでいてなお、近代化へ向けて人びとを先導・指導することを使命と考えていた(この傾向も、一部に引継がれている)。

この建築家・建築学者たちを驚かせたのが、明治24年(1891年)の「濃尾地震」であった。大きな地震は、古来、日本では頻繁に起きていたのだが、彼らにとっては初めての経験だった。そして関東大地震はさらに彼らを驚かした。

もしも彼らが、自国の建物について多少でも関心があれば、古来の日本の建物づくりの技術は、多雨多湿、頻発する地震、毎年襲う台風など、日本の環境の中で生まれ、培われた技術であることを知っていたはずであるが、彼らはそうではなく、大地震に遭遇してただ驚愕し、まったく違う反応を示した。

これらの大地震では、多くの建物が被災した。当然、大半が木造建築である。

しかし、木造建築と言っても、すべてが同様のつくりであったわけではない。
これは、建物を建てる場面を考えれば明らかなのだが、建物をつくるにあたっては、「とりあえずの住み家を建てたい」という立場から、「今後代々住み続けることができる建物をつくりたい」という立場まで、多様な立場がある。

この立場の違いは、当然、建物のつくり方に素直に反映する。
「とりあえず」の建物は「とりあえずのつくり」になる。そして、そういうつくりの建物に被災例が多かった。
これは、阪神・淡路地震でも同様である(1月23日下記記事参照)。

   註 「地震への対し方-2・・・・震災現場で見たこと、聞いたこと」

つまり、建物が地震で壊れるには理由がある。
材料や工法の違いは、直接は関係ない。
いかなる材料、工法であれ、壊れるのは「壊れるべくして壊れる」のである(12月23日下記記事参照)。

   註 「学問の植民地主義」

今でもそうだが、震災があると、人の目は壊れた建物に行く。建築家・建築学者も同じであった(現在も変らないこともすでに触れた)。
被災地には、致命的な被害を受けない建物も多数あるのだが、彼らはそれを見なかったのである。そして、見ようともしない。

多くの被災建物は、本来「長方形」であるべき柱と横架材で構成される軸組が、「平行四辺形」に変形している場合が多い。
建築学者は、この変形を防げば地震で壊れない、「長方形」の対角線に斜材を入れ、安定した三角形をつくれば変形が防げる、と考えた。
たしかに、傾いただけの建物ならば、引き起こして斜め材を入れると、一定程度は本来の形を復活・維持できる(そのまま長持ちするかどうかは別である)。

しかし、被害の少ない建物を見ていれば、そこから別の「対震」の知恵を見出すことができたのではなかろうか。

その後、建築学者からは、この斜め材を、建物をつくるとき、最初から入れておくという提案がなされ、積極的に奨められ、実施例も増えた。
これが「対震」部材としての「筋かい」の誕生である。
そして、「筋かい」を入れるためには、軸組を長方形に構成するため、柱の足元に「土台」を流すことが不可欠であった。

ところが、「筋かい」を入れた建物が地震に遭うと、「予想外の現象」が起きることが判明する。
すなわち、「引張り筋かい(薄い板の筋かい)」では柱が土台から引き抜け、あるいは、基礎から土台ごと持ち上がり、「圧縮筋かい(角材などによる筋かい)」では、横架材が押し上げられ、柱から抜けてしまうのである。

   註 たとえば、縦横比が3:1、つまり横1m×高さが3mの軸組に
      「引張り筋かい」を設け、たとえば上辺を水平に1の力で引くと、
      「筋かい」の下端の取付け箇所では、垂直方向に3の力がかかる。
      「筋かい」が、水平の力を増幅し垂直方向の力に変えてしまうのだ。
    
そこで、その対策として、新に、「土台を基礎に固定する」こと、「柱と土台、柱と横架材を金物(当初は「かすがい」が一般的)で補強する」ことが提案される。
土台を基礎に固定するためのアンカーボルトの誕生である。

つまり、「土台を基礎に緊結する」工法は、「筋かい」を設けたことから派生的に発生したのである。

けれども、土台をアンカーボルトで布基礎に緊結した結果、新たに別の事態が起きることになる。土台が基礎=地盤に固定された結果、建物は、地震すなわち地盤の揺れに追随し揺さぶられることになったのである。
簡単に言えば、地盤の動きと一緒に(地盤が上に動けば上に、右に動けば右に・・)建物も動く。

その結果、地面が揺れている間、「筋かい」によって増幅された垂直方向の力によって土台と柱、柱と横架材の接合部は、衝撃を受け続けることになる。当然、接合部が抜けたり外れたりする事態が一層起きやすくなる。 

   註 このような現象への対応策が、「ホールダウン金物」の使用規定を
      示した国土交通省告示第1460号「木造の継手及び仕口の構造方法を
      定める件」である。
      告示内容を精査すると、「ホールダウン金物」取付けを要するのは、
      「筋かい」使用の場合に限られることが分かる。
      「土台の緊結」と「筋かい」が引き起す現象の大きさが、予想以上
      だったからであろう(この点については、いずれ解説する)。

では、基礎=地盤に固定されない場合(法令規定以前の建物)はどうなるか。
「だるま落し」のゲームと同じで、建物は地震の起きる直前の状態を維持しようとするから(いわゆる「慣性」)、建物は地盤の動きには追随しない(1月20日記事23日記事参照)。つまり、地盤の動きと同じ動き、同じ力が、建物にかかり続けることはない。

多くの瓦屋根の寺院が、震災を免れているが、それはおそらく、非常に重量のある建物が(その重量は大部分瓦である)礎石上に置かれているだけだからだろう。重量が重い分、その慣性で(つまり、その場に居続けようとするので)、倒壊しにくいものと思われる(ただし、架構そのものが強固でないとそうはゆかない)。

逆に、もしも、架構を礎石に緊結したならば、慣性が大きい分、倒壊の危険は大きくなる(上部が現状位置を保とうとしているのに、基礎に結ばれた下部は、地面とともに動くからだ)。
現在盛んに言われる「重い瓦屋根は危険、という《通説》」は、架構が基礎に緊結されている場合の話なのだ。

古来、日本の技術者たちが、木造架構を礎石の上に据え置くだけで、緊結を特に考えなかったのは、長年にわたる経験の中で、その必要を感じなかった:認めなかったからにほかならない。

しかし、以上のような点を根本的に見直すことなく、いわゆる「在来工法」=「法令の規定する軸組工法」を支える「理論」が、「筋かい」ともども、「緊結」にこだわるには、理由がある。
次回以降解説する。
 

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