清新で溌剌としていた時代・・・・鉄を使った建物に見る-1

2010-02-27 17:45:23 | 鉄鋼造
暗い話を吹き飛ばすには・・・、と明るい話題を探していたとき、手に取った書物:“LOST MASTERPIECES”(1999年、Phaidon Press,London 刊)で、清真で溌剌とした建物を見つけました。

この本には、1851年ロンドンに建てられた Joseph Paxton 設計のクリスタル・パレス(水晶宮)、1905~10年にニューヨークにつくられた McKim,Mead and White 設計のペンシルバニア駅とともに、1889年に建ったFerdinand Dutert 設計の「パリ万国博・機械館」が紹介されています。エッフェル塔がつくられた万博です。
いずれも近代建築史の書物にはかならず載っている建物で、当時の技術で鉄とガラスを最大限使った建物です。
そしてまた、いずれも溌剌としていじけたところがない。きわめて健やかです。

イギリスのワット(蒸気機関の発明者)とブールトンが、世界最初の鉄鋼を使った建物、7階建ての木綿工場(紡績工場?平面は長さ140ft:約35m×幅42ft:約10.5m。高さは25m前後)をマンチェスターに建てたのが1801年(http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/4e20811a5310328a715054d0bdf9c0f6参照)。
クリスタル・パレスの頃は、まだ緒についたばかりだった「材料力学」「構造力学」も、それからほぼ50年、パリ万博やペンシルバニア駅の建てられる頃には、「微積分学」を駆使してほぼ体系化されています。

ただ、この時代、これらの「学」は、現代とは異なり、設計者の意図を裏打ちするために使われていることに注目したいと思います。
当時は、「理論が実作を追いこす」ことがなかったのです(http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/4f8f4651ffc6129b69ebb7e286bc8be9)。

これは、日本でも同じ。当初、日本でも、「学」は「謙虚」でした。
それは多分、建物づくりに係わる「学」の「根」は「現場」にあることを知っていたからです。
おかしくなったのは、「学」が「現場」を離れ、「机上」で遊びだしてからなのです。


クリスタル・パレスはよく紹介されていますので、今回は、パリ万博・機械館を紹介します(もっとも、この書物にはクリスタル・パレスの施工過程も詳しく載ってますので、紹介したいとは思っています)。

下の図版は、1889年パリ万博の会場全体を俯瞰した図と会場全図(配置図)。
配置図の右端の赤い線で囲った部分が機械館。
同じく左端の黄色にぬった箇所は、エッフェル等の脚部。



機械館の平面図と外観を当時の写真から(右側は絵葉書らしい)。
平面図は、配置図の機械館を左に90度回転してあります。





断面透視図で見る全容。アーチの幅は360フィート:111メートル。とてつもない大きさです。


下は立面図。



下の左上の写真は竣工後の機械館内部。人の大きさに比べていかに巨大かが分ります。
他は実際の展示の様子の写真。


今回は、この建物の概要の紹介まで。
この書物(“LOST MASTERPIECES”)には、設計図と施工工程の解説が載っていますので、次回、整理して紹介します。
現在のような重機がない時代ですから、施工はすべて人力による建て方です。

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