先回の架構模型を正面から見たもの。正面だと製作のアラがよく見える!
「古井家」の建設時からの間取りの変遷。「上屋」部分には、時代を通じて不変の「壁」はない。
この架構が、「壁」に依存していなかった証拠。
四周の「壁」(「下屋」の四周)は、「上屋」部分とはいわば独立している。[変遷図追加 14日 11.03]
[文言追加 14日 11.19][文言改訂 15日 16.19][文言追加 15日16.33][文言追加 15日 18.23]
先回書いた内容については、あまりにも極論だ、と思われる方々が多いのではないでしょうか。
しかし、私は、事実に基づかないこと、非論理的なことは書いていないつもりです。
こと「技術」に関して、こまごまとした「指針」を決め、それ以外を認めない、それ以外の方法を採りたければ、データを持って来い、という現行の行政のありかたの「おかしさ」「不条理」を指摘しただけにすぎません。
この「おかしさ」「不条理」は、大方が認めていて、だからこそ「法律」の見直しを、という「運動」が起きるのだと思います。
けれども、仮に「法規」が見直されたとしても、もしそれが相変わらず「技術」の中味を一律に決めてしまう形式を採るのであれば、それは、単にこれまでとは異なる「基準・規制」をつくることに過ぎず、新たな悪弊を生み出すことは必至です。
これは「なしくずし」で、言い換えれば「小手先の改良」で、更に別の言い方をすれば「姑息な手直し」で、ことが済むような問題ではない、というのが私の認識です。
現在私たちが置かれている状況に慣れてしまわず、「姑息な手直し」で済ませてしまわないためには、問題がどこにあるか、問題が何であるか、問題が何故生じているのか、皆で根本に立ち帰って考えることが必要のはずです。
私は、現在の状況のいわば対極に位置する考え方を目の前に示してみることで、皆で問題を考える一つの契機になることを願っています。
先回の一文を書いた後、文化財建造物の保存修理に携わっておられる方から、その方がまとめられた修理事例の報告書をお送りいただきました。
ざっと目を通したとき、本題の修理建造物についての本編に至る前に私が引っ掛かったのは、「耐震補強」の項目でした。耐震補強は、耐震専門(構造設計)の方の担当です。
耐震診断、耐震補強は、当然の如く、法令の「指針・基準」に拠っています。
先ず、当該建物の地震履歴が語られ、M6~M8の地震に10回遭遇していることが調べられています。M8は、濃尾地震です。
その内のM8の濃尾地震のとき、当該建物の建つ場所では、震度5の揺れだったと推定されています。それはそれでよいでしょう。
問題は、次の展開です。この履歴から、当該建物は、震度6以上の地震に遭遇したことがない。ゆえに、震度6に相当する地震では不安である。ゆえに診断、補強を・・・という論理?展開になっているのです。
このとき、万一震度6で壊れて人命に被害が出たらどうするのだ、という「究めつけの論拠」「反論しにくい論拠」が語られます。
私は、当該地の地震歴を調べてみました。また、内閣府の「地震のゆれやすさ全国マップ」で当該地の「ゆれやすさ」も見て見ました。地震歴で先の10件とは別の地震を見てみると、先の10回と大差ない大きさです。したがって、当該地の震度も同程度と考えてよいはずです。「ゆれやすさマップ」でも、揺れやすい地域をはずれているようです。
そこで私は、以前に書いたことを思い出しました(「耐震診断・耐震補強の怪-1」)。
この記事で紹介している「理科年表」所載の地震頻発地を示した地図上でも、当該地ははずれているように見えます。
にもかかわらず、震度6強の地震に遭う、という前提?で診断が始まるのです(そのあたりについてのコメントは前掲記事にあります)。
診断は、既存の「土壁」を耐力壁と見なしての「解析」で行なわれます。算定用の荷重を設定し、それに規定の水平力がかかったらどうなるか、を解析ソフト(SAP2000というソフトだそうです。私はそのあたりの知識は皆無です)を使って解析し、柱の歪みなどを図化してあります。
地震の頻発する日本で建てられた木造建築は、
「耐力」を「壁」だけに期待する考え方ではなかったことは、
すでに何度も書いてきました。
先回架構模型を紹介した室町時代に建てられた「古井家」なども、その一例です。
「古井家」の場合、「解析」しようにも、「上屋」部には「壁」がありませんから、
「解析」以前に「補強」が要る、と言われてしまうでしょう。
ところが、400年以上、健在だったのです。
もしも建物が喋ることができたなら、
現在の「耐震診断」なるものを知ったとき、
そんな風な変な目、変な見方では見ないでくれ、と怒るに違いありません。
ところで、診断「解析」の前提になる荷重の設定・算定は、きわめて「大雑把」なものです(法令の数値がそもそも「大雑把」です)。
しかし、その後の図化までの過程は、ソフトに拠るものだ思われますが、「おそろしく精密」です。前提を疑わずに、ただ演算するだけですから、それはあたりまえ。計算だけは間違いがない、というヤツです。
そして描かれた「図」は、視覚的表現であるだけに、これまた「おそろしく《説得力》」があります。普通の人は、地震でこんなに柱が歪んでしまうんだ、と思ってしまうでしょう。
しかし、この「解析」には重大な盲点があります。
先の荷重算定の「大雑把」さもさることながら、建物にかかる地震の水平力の大きさ:数値には、この建物が「礎石建て」であることが反映されていません。
つまり、地震によって建物にかかってくる(水平)力の発生過程についての考察なしに、直ちに「教科書どおり」に「地震時には建物に水平力がかかる」として、「解析」が「精密に」進められてしまうのです。
この「発想法」は、以前紹介した日本建築学界のパンフレット(「現行法令の根底にある『思想』参照)にある文言、「木造軸組工法の住宅が地震にあうと、柱、はり、すじかいで地震のカを受け持って、土台、アンカーボルト、基礎、地盤と力が伝わります。」と同じです。
そのとき私は、建物にかかってくる「地震の力」は、いったいどこから来るの?と問うたはずです。建物と地震の関係が如何なるものかを、まったく考えていないのです。
したがって、「解析」が精密」であっても、いかに「結果」が数値で語られようが、「前提が大雑把」である以上、「結果もまた大雑把」なものだ、私ならそう思います。
更に、水平力によって架構が歪むという解析・図化にあたっては、「壁」ばかりを考え、柱相互を縫っている「貫」の働き、つまり「立体としての架構」の働きは、まったく考えられていません。
なぜなら、壁材を張らない「貫」だけの働きについては、法令の「指針・基準」では(つまり、「学界」では)認められていないからです。
それゆえ、実際の架構は、ソフトが解析・図化したように歪まないはずなのです。
一言で言えば、「大雑把」な前提で、「現実にはあり得ない仮説」を基に、「精密な図」を描き、こんなに怖いのだ、というのが診断結果。
だから、霊感商法と同じ、と言うのです。
そしてその診断の結果為されたのは、土壁を構造用合板下地にしたり、鉄骨製のバットレスを設けたり、耐力を与えられた壁の浮き上がり防止をアンカーボルトで止めたり・・・・という「補強」です。
註 アンカーボルトで耐力壁を止めれば、水平力による浮き上がりは止まるかもしれません。
しかし、その「水平力」は、地震が惹き起こすもの。
地面に固定するということは、建物が地面とともに動け、ということ。
このあたりについて、如何に考えているのでしょう?[文言追加 14日 11.19]
そうして軸組のなかに生まれてしまった甚だしい強弱は、実際に地震に遭ったら(震度6に達しない場合でも)、とんでもない現象を軸組に生じさせるのではないか、と私には思えました。
修理を担当された方は、このような「文化財ツーバイフォー化補強」が広く行なわれるようになり、この先どうなるのか、見通しが立たないこと、こういう耐震補強を見て多くの「途惑い」を覚える人たちも、「地震で倒壊したら中にいる人の人命はどうするのだ?」という「論」に物言えなくなっているようだ、との旨、語られていました。
このような「文化財の補強」は、阪神の震災以後、もっぱら目先(10年先くらい)のことだけを見て実施され、事例数も増えてきているので、あらためて耐震補強の問題点を見直し、そのありようについて考える時期に来ているのではないか、と指摘されています。[文言改訂 15日 16.19]
文化財までもツーバイフォー化されるようになったのは、平成11年(1999年)4月の
文化庁から出された「文化財建造物耐震診断指針」以来のようです。
先回架構模型の写真を載せた「古井家」のような場合は、どのように補強するのでしょうか。
私は、しばし逡巡しました。
現場では、仕事の進行のために、「これでいいのか」と疑問を抱きつつも、「指針」に従わざるを得ない方々がたくさんおられる。一方の私はといえば、いわば傍目八目的に言いたいことを言っている。そこに齟齬を感じたからです。
しかし、結局、今のまま言い続けることにしました。
私も実際の設計では、「指針・基準」と「格闘」してきました。本意でない計算をして、しかしそれで、本意に大きく反しないで「指針・基準」に従っている?形をとってきました。
それはあくまでも「形式」です。
そうする一方で、やはり、おかしなことはおかしいと言ってきたし、やはり、言い続けないと、ますます悪くなるだけだ、そう思い直したのです。[文言改訂 15日 16.19]
このような「おかしさ」「不条理」を感じておられる方々の多くは、この状態から脱け出すためには、現行の法令の根拠になっている「木造建築の構造解析法」を改めればよいのだ、と考えるはずです。
先に触れた現在進行中の「伝統木構法にかかわる法整備」「大工職人の育成制度の整備」を国会に求める署名運動では、同時に「伝統木構法の科学的検証の推進」をも求めています。これも「構造解析法」を改めればよいのだ、という考え方によると見てよいでしょう。
しかし、あわてないで、冷静になってください。
なぜ、現行の「構造解析法」が生まれたか、その理由を冷静に考えてみてください。
それには、「材料力学」「構造力学」という「学問」の発生・発展過程と、それの「(日本の)木造建築」への適用において、何が生じたか、についての冷静な考察を必要とするはずです。
その要点は、「樹木」「木材」を、如何なるものとして捉えるかにかかっています。
「木造建築」を奨める方の多くは、「木は生きもの」という文言を使います。間違いではありません。樹木は生きものですから、それから製造される「木材」もまた、生きものの様態を維持しているのは当然だからです。
しかし、多くの場合、そこでオシマイ。
「生きもの」とは何を意味するかが問われないのです。
「生きもの」であるということの一つの特徴に、「千差万別」である、ということがあります。それは「人間」と同じ。同じ樹種でも、一本ずつ、その特徴、性質は異なります。
木造の建物は、そのような「千差万別」の性質をもった木材を集めてつくられます。
このことは、「材料力学」「構造力学」の概念を「木造」建築に適用するにあたっての最大の「ネック:妨げ」であったはずです。
なぜなら、「材料力学」「構造力学」発展の契機となった「鉄」や「コンクリート」とは大きく異なり、「一律の数値、一律の定式で考えることができない」からです。
たとえば、木材の強度一つとっても、きわめて「悩ましい」ことなのです。ましてや「ヤング係数」などの諸定数・係数を一律に設定することは、一層「悩ましい」。
だから、現在の法令の中では、これらの数値は、きわめて「大雑把」なのです(強度にしても、これ以下にはなり得ないだろう、という数値にしています。これを安全率と称しているようですが、それは言い訳にすぎません)。
しかし、一律の定式化を行なえないと、「材料力学」「構造力学」の適用ができない。
そこで強引につくられたのが現在の「在来工法」の考え方だったのです。
この過程については、すでに「在来工法はなぜ生まれたか」で概要を書きました(下記)。
「在来工法は、なぜ生まれたか-5・・・・耐力壁依存工法の誕生」
要は、「材料力学」「構造力学」の一般的概念・方法にのっかるようにするための「便法」が、現行の法令の根拠になっている《もの》なのです。
なぜ《もの》と書いて「学」と書かないかは、自明でしょう。ご都合主義の便法に過ぎない代物だからです。それは「学」ではなく、単に「材料力学・構造力学風」に見せるための「装い」に過ぎないからなのです。
建築構造学者・研究者:専門家たちは、それが「事実」に合っているか、ではなく、「材料力学」「構造力学」風になっているかどうか、の方を重視してしまったのです。
つまり、日本の木造に関する建築構造学者・研究者:専門家たちのやってきたことは、science ではない、「現象・事象・対象の存在の理を究める営為ではない」ということです。
「近代主義」「合理主義」を旨とする明治政府は、「千差万別」の人びとを差配することに苦慮しました。
そこで為されたのが、「千差万別」の人びとを「一律化」する「試み」でした。「一律」なら、簡単だからです。
そこで使われたのが「教育」です。
人びとを、「一定の範型」に鋳直すことができれば、事が簡単に進む、と考えたのです。確かに《合理的》です(これは日本だけではなく、ある時期、西欧の国々でも行われたことです)。
註 「標準語教育」も、その一環と言ってよいでしょう。
最近になって、「共通語」に言い直されました。[文言追加 15日 18.23]
戦後でさえ、「期待される人間像」などということが説かれています。
ひるがえって、近世の「教育」を見ると、そこでは、そういうことが行なわれた、という形跡がありません。
「近代化」の名の下で国家により人びとに対して行なわれたと同様なことが、木造建築の世界でも為されたのです。
冷静に考えてみれば分ることですが、
木造の建物の架構・構造を「材料力学」「構造力学」的に理解するためには、個々の建物ごとに、そこで使われている木材の「性質」を1本ごとに調べ、また各接合部の力の伝わり方を箇所ごとに調べ上げ、それぞれを数値化しなければならないことになります。
スーパーコンピュータを使えばできるかもしれません。しかし、仮に解析ができたとしても、それは、常に「特殊解」であって「一般解」ではないのです。
だから、と言って、面倒なことには目をつぶった、そのために「事実」とは異なってしまった、それが現在の「木造の構造学」なのです。
では、この「問題」に立ち向うには、何が残されているでしょうか。
それには、
はるか昔からの「技術」は、どのように進展してきたか、を考えればよいはずです。
この「再検・・・・」シリーズで触れてきたように、現在のような「学問」の存在しない時代から、「技術」は進展を遂げているからです。
そして、数百年も、この日本の環境のなかで壊れることなく存在し続けてきた建物・構築物をつくってきたのです。この「事実」を直視すればよいのです。
私はそれを「疫学的研究・観察」と言いました。数々の先達たちの残してくれた財産を観察することを通じて、そこに流れる「考え方」を思い遣ればよいのです。
ただしそのとき、「材料力学」「構造力学」、まして「現在の木造構造学」の援用は無用・不用です。もちろん、数値化にこだわる必要はありません。数値化しないと科学ではない、などという時代遅れのことを考えるのをやめましょう。
多分、このような観察のなかから、私たちの目の前にある先達たちの育てた「技術」は、偉い人たちがつくりだしたのではなく、もちろん「学問」がつくりだしたのでもなく、建物をつくるにあたって「名もなき人たち」が挑み続けた、その「足跡」なのだ、ということが分ってくるはずです。
「名もなき人たち」こそ、私たちの先達なのです。
そして、「名もなき人たち」の営為の素晴らしさが見えてきたとき、私たちには、もう一度私たち自らの力を取り戻す、再確認する「自信」がよみがえってくるはずです。偉い人任せから脱却できるはずです。私は、そう思っています。私たちの生き方を、偉い人任せにする必要はない、私はそう思います。
そして、私たちに、私たち自らの手による営為が可能になったとき、そのとき初めて「自己責任」という言葉が、真に生きてくるのです。「自己責任」を、偉い人たちや行政にに説かれる謂われはありません。
私たちは、「偉い人」たちの「よらしむべし、知らしむべからず」という考えに毒され、「偉い人」たちに媚を売ってこなかったでしょうか?
私たちは、私たちの「知見」を広く共有し(一部の人たちの占有物にしないで)、それを基に、臆せず語ること、皆で語り合うことが必要なのです。
そうして来なかったばっかりに、「偉い人」たちを生んでしまったのではないでしょうか。[文言追加 15日16.33]
「名もなき人たちの挑みの足跡」は、小椋佳の曲にある言葉です。
曲名を忘れました。
なお、来週は、週末の講習会資料作成準備のため、間遠になると思います。