再検・日本の建物づくり-11(了):「専門家」を「専門家」として認めるのは誰だ

2010-02-22 01:18:44 | 再検:日本の建物づくり
[註記追加 8.36][文言改訂 12.45]「語句改訂 15.32][標題に追加 26日16.09] 

今、茨城県の建築士たちの間で「ひそかに」話題になっているのは、ある町とある設計事務所にかかわる「入札妨害」「談合」事件です。
建設工事がらみでは数多見られる話ですが、設計業務がらみで挙げられるのは、きわめて珍しいようです。

なぜ「ひそかに」なのか。
それは、その設計事務所代表が、茨城県建築士会土浦支部の支部長だからです。茨城県建築士会の理事をも務めています。
そしてまた、当然ながら、談合にかかわったのは他の設計事務所で、具体的に名前は公表されていませんが(ある町とは最近の合併で市になった茨城県神栖市。その入札状況・結果は公開されていますから、そこから特定できますが)、その代表たちもまた茨城県建築士会の会員で、なかには役員を務めている者もいるようです。

   [事件を伝える「茨城新聞」2月12日記事]の抜粋
    神栖市教委が発注した小学校改築工事の設計業務委託の入札で、予定価格に近い価格を業者に漏らし、
    特定業者が落札できるよう便宜を図ったとして、鹿嶋署と県警捜査2課は11日、競売入札妨害の疑いで、
    神栖市産業経済部長、笹本昭(59)と同市教委教育総務課副参事兼課長補佐、沼田清司(55)の両容疑者ら
    計4人を逮捕した。
    県警は笹本容疑者が業者に便宜を図った経緯などについて調べを進めている。
    ほかに逮捕されたのは、同業務を落札した由波設計(土浦市)社長、由波(よしば)久雄容疑者(61)と、
    同社の営業を担当している設計会社顧問、黒沢周三郎容疑者(67)の業者側の2人。
    4人の逮捕容疑は神栖市立波崎西小学校の校舎改築工事に絡み、2008年5月の同工事設計業務に関する
    指名競争入札で、黒沢容疑者の依頼を受けた笹本容疑者が沼田容疑者に口利きし、由波設計を含む計5社を
    指名業者に選定させた上で、沼田容疑者が由波容疑者に非公表の予定価格に近い価格を漏らして落札させ、
    公正な入札を妨げた疑い。
        中略
    同業務は由波設計が予定価格の92・55%に当たる2400万円で落札し、改築工事は継続している。
    笹本容疑者は入札の約1カ月前の08年4月中旬ごろ、業者選定にかかわり予定価格を知る立場にあった
    沼田容疑者に、黒沢容疑者の意向に沿った指名業者の選定案を作成するよう指示した。
    由波、黒沢両容疑者は「この5社を入れてくれ」と笹本容疑者に依頼したという
    沼田容疑者は神栖市内で由波容疑者に会い、予定価格に近い価格を教えたという。
    笹本容疑者は08年4月から神栖市産業経済部長。由波容疑者は県建築士会の理事で、08年度から
    同会土浦支部長を務めている。

一般に、建築士の加入する団体には、建築士会の他に建築士事務所協会、建築家協会などがありますが、今回の「事件」に関係した設計事務所は、茨城県建築士事務所協会の会員でもあり、なおかつ代表は同会の役員でもあります。

   註 私も、両会の一会員です。[註記追加 8.36]

つまり、この「事件」にかかわった者たちが、茨城県建築士会、同建築士事務所協会を動かしている人たちであるがゆえに当惑し、表だって話すには気がひけ、ひそひそ話となるわけなのです。

もっとも、茨城県内の建築士が全て茨城県建築士会に加入しているわけではなく、同様に建築士事務所が全て茨城県建築士事務所協会に加入しているわけではありません。
そして、加入していない人たちの中には(もちろん会員の中でも)、この「事件」を、冷やかな目で見ている方々が少なくないようです。

なぜか?
理由は二つあるように思います。

一つは、茨城県建築士会、茨城県建築士事務所協会の運営を仕切るのが、県域のいわゆる大手事務所の代表たちであり、市町村をはじめとする公共団体の大きな仕事は、余程のことでもないかぎり、それらの事務所が請け、それを覆すのは容易ではありません。
「大きいことがいいこと」だと考え、そうなりたく思う人たちは、いろいろと既存の「権力・権威」(「語句改訂 15.32])に擦り寄ったりするようです。
先の「事件」で「談合仲間」になる、などというのも上方志向の強い人たち特有の、日ごろから「仲良し・仲間」をつくっておこうという「傾向・性向」の一つの現れ、結果であると見ることもできます。
こういう「上層部」およびその周辺の「動き」に、すべての会員が同感の意を表すはずはないのです。

「冷やかな目で見る」理由のもう一つは、「建築士会とは、会員の協力によっての品位の保持、向上を図り、建築文化の進展に資することを目的に、建築士法第22条の2に基づいて都道府県ごとに設立された社団法人です。茨城県建築士会土浦支部は、建築士資格(一級・二級・木造建築士)を持つ個人(正会員)及び将来建築士をめざす個人(準会員)、また会活動をサポートする賛助会員(法人)で構成された公益法人です。」(茨城県建築士会土浦支部HPから)という「建前」とは裏腹な「行動」を日ごろ目にしているからです。

どういう「行動」か?
視線が個々の会員建築士に向うのではなく、「上」に向いているからです。
その端的な一つの例として、建築士法の改変にあたって、明確な意思表示を示さなかったことが挙げられるでしょう。
いま建築士は、3年に一度講習を受けなければならず、事務所を営む場合には、別途の講習を同様に受けなければなりません。建築士として適正であるか「審査」を受けるということ。
一見すると、建築士としての「資質」のチェックをするのだから妥当な方策だ、と思えるかもしれませんが、そうではない。

一番の問題点は、審査をする側の「資質」は、常にノーチェックである、ということ。
審査する職として適切であるか否かは問われないのです。
具体的には、行政にかかわる建築士、大学など教育にかかわる建築士は、定期講習をまったく免除されているのです。そういう方々が「審査」にかかわり「講習会の講師」となる・・・。
つまり、建築士という資格は同じでも、その資質が「常に適切である」とされるグループと、「常に資質が疑われる」グループとの「階層」に分類されていることになります。

当然ながら、建築士会としては、このような二分法についてノーと言うべきなのですが、押し切られています。辛うじて、せめて5年ごとにしてくれ、という「見解」がボソボソと出てくる程度。

なぜそうなるか?
「会員の協力によって、品位の保持、向上を図り、建築文化の進展に資する」は建前にすぎず、会の運営費は大半が会員の会費ありながら、実際は、行政の代行機関の役割の方が大きいのです(ちなみに、茨城県建築士会土浦支部の事務局は、土浦市役所 建築指導課内にあります。水戸支部も同じ。他府県でもそういう例が多いのではないでしょうか)。
言うなれば、行政と持ちつ持たれつ。ゆえに、大きな声を出せない。ややもすると「御用機関」になってしまいがち。
そこは「医師会」とはまったく違うのです。

そして、こういう会の運営にあたる「上層部」のからむ今回の「事件」。どうやら氷山の一角に過ぎないようです。
この「氷山」の全容が陽の目を浴びないかぎり、そして建築士会や建築士事務所協会の「自浄能力」が発揮されないかぎり、そしてまた、建築士会や事務所協会が、建築士の人権にかかわる「不条理な侵害」に対して異議を唱えることもできないのならば、会員数は、さらに減少の一途をたどることは間違いないでしょう(もともと、建築士会、協会への加入は、建築士の「義務」ではなく、最近は入会者が減っています)。

したがって、真面目な建築士たちは、自らの「権利」を、自らで護らなければならない状況にあることになります。
私はそれでよい、そう思っています。
そのような「自覚」が持って人びとが集まり、新たな「自立した建築士会」をつくればよいのです(建築士会という名称である必要はありません)。

       

ところで、現在のような資格試験の存在しなかった時代でも、「専門家」「専門職」は存在しました。明治の頃の用語で言えば「実業家」です(下記参照)。
私も、各地の「実業家」:大工さんにいろいろと学ばせていただきましたが、上の写真は茨城の大工さんたちのチームです。[グループの語をチームに変えました。その方が適切だからです。12.45]

   「『実業家』・・・・『職人』が『実業家』だった頃」

「実業家」の多くは「世襲制」であったようですが、全てが一家の子弟に世襲されたのではありません。「弟子」が代を継ぐことがあったようです。
そこでは、次代を継ぐに相応しいかどうかの「選定」がなされていました。
しかしそれは、現在のような「試験」に拠るものではありません。
そもそも、「世襲制」の「祖」自体も当然「実業家」です。
では「祖」は、どのようにして「実業家」として認められたのでしょうか。もちろん、そこでも認定試験などがあったわけではありません。

先に、現在「伝統建築文化を継承・発展させるための法整備を求める」署名運動が行なわれていることを紹介しました(下記)。
そのなかで私は、「技術」が自由に羽ばたける環境をつくるならばともかく、法が「技術」にかかわること、「技術のありよう」を法に依存することは間違い・誤りだ、したがってそれを「要望する」こと自体を訝る旨、書きました。

   「再検・日本の建物づくり-9:技術の進展を担ったのは誰だ」
   「再検・日本の建物づくり-10:名もなき人たちの挑みの足跡」

その署名運動では、同時に、「大工職人の資格認定制度」「育成・教育制度」の「法整備」も求めています。
私はこれにも首をひねります。
なぜなら、その挙句は、さらに悪い状態になることが目に見えるようだからです。

こういう「認定制度」「認定試験」は、「漢字検定」や流行の「ご当地検定」などと同一視されてはなりません。
「資格認定」の「認定」は誰が行なうのでしょう。
そこに、認定者と被認定者の差別が必ず発生します。
しかもその選定差別は、かつての「実業家」たちの世襲の際の選定法式ではなく、法の名の下のそれですから、「法の名の下で認定者が被認定者を統制する状況」が必ず生じます。
それでいいのでしょうか?
第一、大工職人の「資格」について、「固定したイメージ」を持ってはいませんか?
「育成・教育制度」について言うとき、現行の「建築教育」の状況・実体について、真っ向からの「分析」は済んでいるのですか?そして、どんな「制度」をイメージしているのですか?

なぜこうまでして法に依存したいのか分りません。
法治国家とは、生き方や暮し方、日々の行動を、法に依存することではありません。私はそう思います。
法に依存しないと、何をしでかすか分らない、とでも言うのでしょうか。
法に定められた「方法」が、最善、最適な方法である、とでも言うのでしょうか。
それでは現在の建築法令の世界と何ら変りはありません。新たな「法という土俵」を求めているに過ぎないような気がしてなりません。それとも、これと違う「法」をイメージしているのでしょうか。

かつて、各町村に各種の「実業家」:「職人」がおられました。現代風に言えば「専門家」です。
では、彼らは、どうして「実業者」:「専門家」であり得たのでしょうか?
誰か「偉い人」がそのように認定したのでしょうか?
そうではありません。その町村に暮す人たちが、彼らを「実業者」:「専門家」と認めたからなのです。
では、「認める」とはどういうことか。

もともと、町村に、その最初から「実業者」がいたわけではありません。
当初は、たとえば住まいをつくるにあたっては、近在の人びとが集まって協働で作業をしたはずです。
その過程で、例えば木材を加工するのが他より上手な人、組立てる作業にすぐれた人・・・など、作業ごとの「達人」が分ってきます。これが「実業家」の発生紀元なのです。
つまり、その地域に暮す人びと全てから認められて「実業家」が生まれたのです。

そして、一旦「実業家」として人びとから認められたものの、いい気になって振る舞い、手を抜いた仕事でもしようものなら、二度と仕事を頼まれなくなる・・、それが人びとの行なう「厳格な」「認定・選定」なのです。

では、人びとは、なぜ、仕事の達人を見抜けたのでしょうか?
それは、人びとが皆、仕事に(仕事の仕方に)通じていたからです。通じていたからこそ、上手、下手が見抜けたのです。
前提は、「人びと皆が建物づくりを知っている」ということなのです。したがって、建物づくりに通じていて、なおかつ仕事が上手い人が建物づくりの「達人」、すなわち「実業家」だったのです。


ひるがえって現在を考えてみましょう。
建築士は、たとえば「専門の学校」を出て「資格試験・認定試験」を通ればなれます。「専門の学校」次第で受験資格が一級か二級かに分けられます。そうして生まれる「建築士」は、「専門家」でしょうか?
きつい言い方をすれば、「試験」だけ通れた「専門家」も生まれているのです。そして、3年ごとの講習を受ければ「専門家」を持続できます。
それで本当にかつての「専門家」と同じ、あるいはかつての「専門家」以上の「専門家」になっていると言えるのでしょうか。
そんなはずがありません。
かつての「実業家」たちは、日々学ぶことを厭いませんでした。だからこそ、歳をとるほど円熟したのです。
ところが、今の「専門家」は、必ずしもそうではありません。


何故こんな事態になってしまうのでしょう?
その根本は、現在のあらゆる「専門家」に存在する「特権意識」にある、と言えるでしょう。そして、その「特権意識」は、現行の「資格検定」に拠って生まれているのです。あるいは「実業家」養成制度:「教育」に拠って生まれてしまっているのです。
冒頭に触れた「事件」もまた、その「特権意識」の為せる一つの結末なのです。

かつてのように、(普通の)人びとが「専門家」を進んで認定できるようになるには、「知見」を一握りの人たちに堆積・滞積させてはならないのです。
今の状況を変える策は、私に思い浮かべることのできる最上の策は、先回までに書いたこととまったく変りありません。


すなわち、再掲すれば、
・・・・建物づくりの「技術」は、実際に建物をつくらなければならない人びと、「現場」で実際に建物をつくることにいそしんだ人びと:職方、その双方の手と頭脳によって、太古以来、進展を続けてきたのです。
これは、歴史上の厳然たる事実です。
それにブレーキがかかったのが明治の「近代化」、そして現在、完全に「進展」の歩みは止められてしまいました。
誰により止められたか。「官・学」によってです。
「官」も「学」も、近世よりも衰えたのです。
この事態の打開は、「官」「学」が、人びとの暮し、生活に「ちょっかい」を出すことをやめること、そして人びとも、「ちょっかい」を「官」「学」に求めることをやめること以外にありません。
・・・私たちは、私たちの「知見」を広く共有し(一部の人たちの占有物にしないで)、それを基に、臆せず語ること、皆で語り合うことが必要なのです。
そうして来なかったばっかりに、「偉い人」たちを生んでしまったのではないでしょうか。


ボタンの掛け違いを直すのは、今からでも決して遅くはない。
私はそう思っています。

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