設計図で何を示すか・補足

2008-02-23 22:28:14 | 設計法

先回、「建地割図」では、半分を断面、半分を立面とする図があることを紹介した。その一例として、「善光寺如来堂」:長野市の善光寺の本堂:の建地割図と指図を、「古図にみる日本の建築」から転載させていただいた。

善光寺は、たびたび火災に遭っていて、この図は宝永4年(1707年)の再建時のもの。設計は幕府の作事方の甲良宗賀。図にはその署名が見える。

この図で分ることは、「立面」が、構造的な裏付けの下にできている、更に言えば、建物の形体、空間の形状は、構造・架構と切っても切れない関係にある、ということ。
構造的に意味があり、なおかつ結果が、つまりできあがったときの見栄えもよいこと、そうなるために工人は苦労を重ねる。
おそらくこれが「設計」という作業・営為の本来の姿なのではないだろうか。

前掲書には、どのようにつくるか考え抜いた「建物をつくる上で役に立つ図面」が、この他にも多数集められている。


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設計図で何を示すか

2008-02-23 04:05:52 | 設計法

[振り仮名など字句追加:2月23日 9.03]

先日紹介した富沢家、高野家、あるいは、古井家、椎名家、高木家等々の民の建物はもちろん、社寺等の建物を観ていていつも思うのは、それをつくった工人たちの空間・立体の捉え方の凄さである。
というのは、そのつくりかたを見ると、建物全体、架構全体を、立体的・空間的に捉えていなければ、あのような架構を考えだし、つくりだすことはできない、と思うからだ。
あるいは逆に言うと、立体的・空間的にとらえて架構をつくれたからこそ、それらの建物は構造的にも長命なのだ、と言えるのかもしれない。

昔からよく語られる言葉に、工人たちは、「板図1枚でつくってしまう」、というのがある。たしかに今でも、工人たちの仕事ぶりを見ていると、そうである。
ということは、彼らは、頭の中に全体が見えていて、時折り確認のために「板図」を見る、つまり「板図」は、肝要な事項が書き込まれているメモ帳と言ってよいのだろう。
そこには、今かかわっている仕事を進める上で必要な事項が、それだけが、要領よく書き込まれているのだ。

では、彼らはどのようにして全体が見えるようになり得たのか。
「古図にみる日本の建築」(国立歴史民俗博物館 刊)に、浜島正士氏が「指図・建地割図について」という論説を書かれている。
「指図(さしづ)」とは、通常、配置図あるいは平面図を指し、「建地割図(たてぢわりづ)」とは一般に断面、立面図のこと。

それによると、古代、工人たちが堂塔を建てるにあたって、事前に「模型」をつくることがあたりまえに行われていたらしい。最初の本格的な仏教寺院とされる飛鳥寺は、朝鮮・百済からの工人により建てられているが、その際、「模型」が百済から献上された旨、日本書紀に記載されているという。
つまり、そのような「模型」で全体をつかみ、それに基づき施工をしたのである。模型の縮尺で多いのは十分の一で、単に外形だけではなく、ときには、内部の構造まで詳細につくられている:「元興寺(がんごうじ)五重小塔」:奈良時代、国宝。
このことはきわめて納得のゆく話である。現在でも模型を頼りにすると、設計図の作成はもとより施工もきわめて楽だからだ。
そして更にこのことは、「板図」が描かれるには、先ず全体が分ることが先決だということを雄弁に示している。そしてそうだからこそ、工人たちには「板図」で全てが分るのである。

上掲の図は、先の書に掲載されている東京都中央図書館蔵の万延元年(1860年)に行われた江戸城本丸大広間の普請の際に使われた「絵図」である。徳川幕府の作事方・棟梁、甲良家の蔵品であった。いずれも柱間1間を1寸として描いてある。
上から「小屋梁配(はりくばり)図=梁伏図」「足固伏図」そして「土台伏図」。
コピー機のなかった時代。これらの図が一式用意されていて、必要に応じて、必要事項を板図に描き写して仕事をしたのではなかろうか。


このような図は、現在ではいわゆる「施工図」の範疇に属する図とされるだろうが、しかし、まさしく、これこそが「設計図」なのである。これに建地割図:矩計があれば工事を進めることができるからだ。

しかし、現在の「設計図」で、設計者は何を示そうとしているのだろうか。

昨今、設計図は、「基本設計図」「実施設計図」とに大きく二分される。
そして更には、施工のために「施工図」が現場で描かれるのが普通になってきている。
しかし、そのとき「実施設計図」の「実施」の語は、どういう意味を持つのだろうか。
本来、「実施設計図」とは、「その図によって施工ができる図」という意味のはずである。だからこそ「実施」と言うのである。そして、一般に、設計図とは、この意味での「実施設計図」のことを指していた。上掲の図は、昨今の見かたでいえば「施工図」になるのかもしれないが、当時はそれが「設計図」だったのである。

また、最近の設計でも、古代の「模型」と同じくスタディモデルがつくられることが多いが、しかしその多くは「形」だけをつくり、「構造」について顧みられていないの普通だろう。
なぜなら、設計者の多くに、「形」と「構造」とは別物、そして「設計」と「施工」は別物、という意識が強いからだ。
そして、この「意識」が「実施設計図」とは別に「施工図」を描いてあたりまえ、という風潮を生んだと言ってよいだろう。
つまり、昨今の設計者には、施工にかかわることは、現場の人たちが考えること、彼らが考えればよいこと、と考える人が多くなった、ということにほかならない。
更に言えば、設計者は施工者より一段高い位置にいる、簡単に言えば、設計者は施工者よりも偉い、という意識が根強い、ということだ。

先の浜島氏の論説に、「建地割図」すなわち現在の立面図に相当する図のなかには、同じ図に立面図と断面図とを色分けして描かれたり、半分を断面、半分を立面とした図があることが紹介されている。
これは、言うならば、立面図は断面図すなわち構造が表われるものなのだ、という認識があたりまえにあった、ということだ。
ひるがえって現在の設計図の立面図を考えてみたとき、その背後に「構造」が浮かび上がってくるような立面図が、はたしてどのくらいあるだろうか。

上掲の図は、現在の設計図では「構造伏図」に分類される図である。
しかし、現在描かれる「構造伏図」は、必ずしもそのまま施工に役立つ情報がそこに示されている、描かれている、とは限らない。むしろ、ほとんど役に立たないと言ってよいだろう。
特に木造建築の構造伏図の場合、その傾向が強い。だから、大工さんたちは、描かれている図の上で、あらためて、材をどこで継ぐか、どういう仕口で納めるか考えなければならず、ときには納まらない場合さえ生じかねない。つまり、どのように組むかを考えないで図が描かれている、と言っても過言ではない図が多いのである。これでは設計図ではなく、もちろん設計をしたことにもなるまい。

なぜそうなるのか。
それは先にも触れたように、現在、「形」と「構造」、あるいは「設計」と「施工」とを別物としてあつかうことが、一般に《あたりまえ》になってしまったからだ。とりわけ、CADの普及は、その傾向を著しくしているように私には思える。

ある時期まで、私の描く伏図もまた、大工さんには役立たずであった。加工場で実際の刻みの現場に立ち会うまで、そのことに気付かなかった。
これは、大分前に触れたRCの柱と梁の納まりの形状:形枠の形状の無意味さに気付いたのが現場であったのと同じである。
設計者の多くは、木造の刻みの現場が《怖い》らしい。はじめは私もそうだった。
しかし、大工さんの仕事の段取り、進め方にとって必要な情報を示す図でなければ、ほとんど無意味な設計図であることを真底知ったのは、刻みの現場での経験だった。

以後、極力、現場で新たに施工図を描き起こす必要のない設計図になるように努めるようになった。
先回掲載したTo邸の設計図のうちの「伏図」はその一つ。設計図の描き方、設計図で何を示すか、を教わったのは、実は、この建物の施工をされた大工さんの加工場であった。遥か昔のことである。

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