「図像中国建築史」および「老房子:福建民居」にある多層の建物が上掲の図と写真。先に「福建民居」から転載した「土堡」も二階建てである。
少なくとも、福建の住居では「通し柱」に床梁・桁を差す方法。
寺院では、上段の図:龍興寺(960~1127:宋の時代)は「屋上に屋を据える」方法、下段の図:孔廟は「通し柱方式の二・三層」を「一層の上に置く」方式を採っている。
おそらく、どの時代にも、「屋上屋」方式と「通し柱」方式が、場面に応じて使い分けられ、あるいは併用されていたのだろう。考えてみればあたりまえ。
これらの材料が何であるかはよく分からないが(書中に説明があるのかも知れないが)、おそらく針葉樹系か、広葉樹でも楊樹の類だと思われる。楊樹はポプラのような直状の樹木。西欧様のつくりかたにならないのは用材のちがいだろう。
私が華北、西域で見た普通の住居では、楊樹を丸太のまま使う方法が多かった。
「図像中国建築史」を見ると、寺院でも、垂木などに製材せずに丸太をそのまま使っている例が多い。
わが国の奈良時代の寺院にも、円形断面の垂木が使われている例があるが、それは中国直伝の姿を真似たらしい。しかし、それは丸太ではなく、製材した(角材にした)垂木の先端:見えがかり部分をわざわざ円形に加工しているのである。このあたりは、異「文化」を「吸収・消化」する過程を示していてなかなか興味深い。