日本の建築技術の展開-16 の補足・・・・西芳寺、そして禅宗の思想

2007-04-28 01:59:55 | 日本の建築技術の展開

[追記を追加、4.28:0.55PM]

 図は西芳寺:苔寺の配置図。建物などは創建当時とは異なるが、全体はほぼ変っていないと考えてよいのではないか。

 この実測を行ったのは、重森三玲(しげもり・みれい)。1896年(明治29年)岡山県生まれ。日本美術学校で日本画を学び、生花、茶道を研究(勅使河原蒼風らと新興生花を目指す)、後に造園を学び、作庭家として立つ。
 各時代の庭園を各地で実測し、「日本庭園史図鑑」全26巻、「実測図・日本の名園」「日本庭園史大系」全33巻等を編著。いずれも貴重な資料である。1975年(昭和50年)没。

 上掲の図は、『実測図・日本の名園』所載の実測図で、1938年(昭和13年)の実測。原版はA1判大。池沼の水深はもとより、樹木の樹種まで記録されている。

  追記 図の左下にある横書きの読めない字が並んでいる部分は、
      苔の種類・名称が記されている。

 前回転載した鹿苑寺の実測図は、坂倉建築事務所の故・西澤文隆氏の建築家としての実測。この実測も貴重な財産である。


 先に、禅宗の考え方が、武士から支持された、と書いた。
 では、禅宗の考え方、とは何か?
 禅宗の思想を明示する言葉として、臨済宗の栄西の半世紀後の人物、道元(1200~1253、彼は一時栄西に師事し、曹洞宗の祖となる)の次の語りが最も分りやすいと私は思っている。

 「・・うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。ただ用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。・・」(「正法眼蔵」)

 これは、人は常に環境のなかに在り、「人をとりまく環境」と「人」、すなわち環境と主体とは分離することはできないものだ、環境あっての人である、用・要が大のときは環境を広く使い、小ならば小さい、そういうものだ。ゆえに環境と人とを別なものとして分離して考えてはならない。もしも分離して考えるならば、魚を水と関係ないものとして、鳥を空と関係ないものとして見ることになるが、そのようなことがあり得るか。ゆえに、一体のものとして見なければならないのだ。たしかに、言葉では、別々のように表現せざるを得ないが、そういう言葉による表現に惑わされてはならない・・・。
 これは、さらには、事象を細分化して観てはならない、と論じた一文であると考えてよく、また、「現象」とは何か、についても語っていると言ってよい。

 私は、この考え方、見方に全面的に賛同する。真実に接しているからである。
 とかく現代人は、人は人としてまわりとは関係なく存在し、そういう「人」と「環境」との関係を論じることが多いが(巷に聞く環境論や景観論は、先ずほとんどこれだ)、それは間違いだ、と中世の賢人はすでに論破していたことになる。
 
 このような禅宗の思想を、戦国の武士たちが、どこまで受け入れたのかは分らない。ただ、少なくとも、心の一隅で共感を覚えたことは確かだろう。城郭を築いたり、戦闘を交えたりする一方、茶の湯に興じ茶室を設けたりしているのは、多分、その現れではなかろうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする