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棟持柱の試み・補足・・・・To邸の設計図抜粋

2008-02-20 18:52:36 | 建物づくり一般

[図版差替え:2月21日 2.45]

写真は、西側を見たところ。奥にあるのは、元の「離れ」。今回新築したところに「母屋(おもや)」があった。
図は住居部分の平面図、2階床伏図、矩計図。
図はA3判上質紙に、手描き(鉛筆)、コピー。

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棟持柱の試み・・・・To邸の設計

2008-02-19 00:55:32 | 建物づくり一般
甲州の瓦葺・棟持柱切妻屋根の実例写真を捜索中に、それに触発された設計例の写真を見つけた。もう15・6年前の設計である。その一部をまとめたのが上掲の写真。場所は、茨城県石岡の郊外。

配置図のように、東西に長く、南北の短い敷地のため、一列にまとめるしかない、それでは棟持柱方式で考えてみよう、ということにしたような気がする。

敷地の南は、細い道を挟んで一段落ち込み、水田になっている。狭い谷地田である。このお宅は、元は農家であった。今のところ、敷地の前は水田のままだが、徐々に埋め立てられ、宅地化が進んでいる。
敷地の北側は、丘陵・山林(スギ、ヒノキの植林)に連なる。西面の土庇の写真に、北側が高くなっているところが見える。

この段階では、門がないが、7・8年前に、四脚門もどきを建てた。

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「たが」について考える-2・・・・「たが」としての「貫」「差鴨居」

2008-01-27 19:07:04 | 建物づくり一般
[表記変更:1月28日、1.12][文言追加:1月29日、9.55]

先回に続き、「たが」について考える。

12世紀末ごろから使われるようになる「貫」工法も、見方を変えれば、柱群に、水平の「たが」を何段もはめて締める工法と見なすことができるのではないか。
しかも、この場合は、「長押」と大きく違って、外周だけではなく、内部の柱群にも「たが」をはめることができる。一つの直方体が、面を共有した「たが」をはめられた小長方形の集合体となる(小直方体に分節される)。
さらに、「長押」に比べて材料の断面は小さくてすむ。それでいて柱に楔で締められるから、柱群をより強固に締め付けることができる。

こうして、はめられる箇所すべてに「たが」がはめられた直方体は、それ自体で自立できる立体になり、当然、変形とはほとんど無縁になる。東大寺・南大門のような、壁もほとんどなく、平面に比べてとてつもない高さの建物が、礎石に置かれただけで自立できている。

別の言い方をすれば、柱・横架材で構成され、「貫」という「たが」が何層にもかけられた各面開放の直方体は(もっとも底辺は柱が突き出している恰好だが)、形を維持したまま、クレーンで持ち上げることができるだろう。
実際、最近の地震でも、寺の四脚門などが、形を維持したまま転倒したり、あるいは位置を移動したりしている例が見られる。

戦国時代の頃から、「土台」の上に柱を立てる方法が発案される。
それに「たが」:「貫」が嵌められると、足元も含めて稜線すべてが木材でつくられ、いわば各面が「貫」を含め骨だけでつくられたサイコロ様になる(もちろん、直方体の内部にも骨がまわる)。だから、仮に転がしても、形を維持し続けるだろうし、また、クレーンで持ち上げることがますます可能になる。

   註 もちろん「貫」が使えるようになるには、柱を貫く孔を
      開ける道具がなければならないから、その時代までには、
      道具にも進展があったのである。

日ごろ工作に従事している工人たちにとって、「貫」工法のすぐれた効能を理解することは、何の苦もないことだったにちがいない。
実際、「大仏様」(架構だけで空間を作り上げる方法)は、重源の時代だけ行われ、広く使われることはなかったが、そこで用いられた「貫」だけは、広く、しかも早く、広まっていった。
もちろんそれは、現代のように、《専門家》や、ときの政府がその技法・工法を推奨したわけではない。その技法のすぐれた点が、広く工人の間で理解され、評価されたからなのだ(これが技術の進展の本来の姿である)。

しかし、柱相互をやみくもにすべて「貫」を通すのでは、単なる「構築物」。「建物」の場合は、どこもかしこも「貫」を通す:「たが」をはめるわけにはゆかない。開口が必要だからである。「住まい」の「建物」は特にそうだ。
「貫」を通せない、言い換えれば「たが」をはめられない箇所と、「たが」が十分にかけられる箇所とができてしまうのが「建物」。

一般に、日本の建物では、通常、出入口の高さを一定にし(「内法寸法」)、小さな開口は、その位置からどれだけ下げるかで下枠の寸法を決めていることを、以前紹介した。

   註 「建物づくりと寸法-2」(07年2月26日)参照。
      内法寸法の測り方は、昔と今では、若干異なる。

「貫」が一般に使われるようになると、社寺建築などでは、開口部の上枠、つまり「鴨居」の外側に、構造部材として使われなくなった「長押」様の「付長押」と呼ぶ材を添えるのが普通になった。

   註 柱の外側を水平にまわる「付長押」は、空間を横長に見せる
      効果があり、それが好まれたようで、和様」「和式」として
      その手法は、現在でも使われている。
      この点については、内法寸法の話に続いて、2月27日に
      F・Lライトが多用した trim に関連して触れている。

平安時代の頃から、社寺や公家系の建物で、軒を深く出すために「桔木(はねぎ)」を用いる手法が使われるようになるが、このような形式を採った建物では、開口の上部:鴨居から小屋組を支える桁までの部分(「小壁」)の丈が高く(内法が1間だと、「小壁」も1間はあった)、そこに、鴨居レベルの「内法貫」のほかに数段の「貫」をまわすことが可能だった。
また、足元まわりでは、礎石上に立つ柱の床レベルに、「足固め貫」または「足固め」をまわすのが普通であった。

  註 「貫」の厚さは、柱径の3/10~2/10程度が普通。 
     たとえば、4寸3分角の柱の場合、
     「貫」の断面は〔3~4寸〕×〔1寸~1寸3分〕程度。
     現在の市場流通品のヌキは「貫」用の材ではない。[表記変更]

その結果、架構の直方体は、開口部を除いて、上下に何段もの「たが」:「貫」がまわされ、締められていたことになる(この方式は、「書院造」に典型的に示されている)。
さらに、この直方体の上に載せられる桔木を使った小屋組は、一層直方体の変形を防ぐのに効果的であった(いわば、樽、桶の蓋の役割)。

このような架構形態のゆえに、建物の開口部を自由、任意の大きさにすることが、「長押」の時代よりも、より一層保証されるようになったのである。

と言うよりも、「開口部を自由、任意につくるべく、この方式が考案された」と言った方が適切だろう。
「建物」は、単なる「構築物」ではないからである。

   註 このあたりのことについては、07年2月24~26日の
      「建物づくりと寸法」で紹介した龍吟庵方丈、光浄院客殿、
      あるいは「日本の建築技術の展開」で紹介した大仙院方丈
      などの全面開放のつくりを見ていただければ、お分かり
      いただけるのではないかと思う。
      これらの建物は、内法下にはほとんど「壁」がないのである。
      しかし、地震などで大きな被害を蒙ったという事実はない。
     
このように見てみると、「貫」もまた、「たが」の理屈で考えることができそうに思える。
すなわち、林立する柱群を「貫」という「たが」をはめ、締めつける技法は、とりたてて「壁」を設けなくても架構が自立でき、しかも地震などの外力によっても大きな影響を受けないことを、工人たちは、経験で分っていたのである。

考えるまでもなく、もしも自立もできず、地震で容易に影響を受けることが分っていたならば、この方式を長きにわたって使うはずもない。
逆に言えば、長い間、しかも広く、この工法が使われてきた、ということは、それだけ信頼度の高い工法であった、という証にほかならないのである。

   註 当今の《構造専門家・学者》は、この歴史的事実を
      残念なことに、まったく認めないのである。
      と言うより、その事実を知らないか、知っていても
      そこから学ぶ術を持っていないのである。
      その言い訳の最たるものは、「(この技法・工法は)
      現代科学と無縁に発展してきたものであるだけに、
      その耐震性の評価と補強方法はいまだ試行錯誤の状態
      で(ある)」(坂本功)というもの。[文言追加]
                        
     

一方、庶民の建物では、社寺等とはちがい、背丈が低いから、内法上の「小壁」の丈を高くとることはできなかった。つまり、開口上部に何段もの「貫」を通すことはできなかった。
しかし、開口は十分にとりたい。
これはまったくの私見だが、そこで生まれたのが「差鴨居」「差物」の技法だったのではなかろうか。「差鴨居」「差物」に、数段の「貫」の役割を代替させたのである。
これは、「差鴨居」の技法が、商家や農家には見られても、社寺等には一般に見られないことからの推測である。

庶民の建物以外で「差鴨居」「差物」が使われているのは、城郭建築だけではないだろうか。城郭建造には、その地域の工人が参画している。地域の工人すなわち庶民の建物をつくる工人にほかならない。多分、庶民の工人の知恵が城郭建築に注がれたのであろう。

また、武家の住まいにも、「差鴨居」は本格的に使われた例は少ないようだ。
武士たちは、接客を重視することから「書院造」様の空間構成:間取りを好んだ。しかし、大名屋敷の建屋などの大建築を除き、中流以下の武家の住まい:建屋は、架構の点では「書院造」とは違い、内法上の「小壁」の丈がなく、したがって「貫」:「たが」の効果を得にくかった。けれどもそこで、農家や商家の技法はほとんど使われなかったようだ。つまり、書院造の「形式」にこだわったように思える。

以前にも触れたが、明治、大正の震災で被害が多かった家屋には、新興の都市住民の住まいが多かった。それらはほとんど、武家の住まいの系譜のつくりであった。なぜなら、新興の都市住民は、圧倒的に、廃業した武士が多かったからである。しかも、その大半は、地盤の悪い土地に建てられていた。

つまり、「地盤の悪い土地」に建つ「構造的に弱い架構」のつくり、これがあいまって、倒壊家屋を増やしたように考えられる。
震災を蒙ったのは、すべての木造家屋ではなく、被害の少ない、あるいは受けなかった木造家屋もあったのである。

そして、現在のいわゆる「《在来》工法」とは、「新興の建築学者」たちの、「悪い地盤に建つ、華奢(きゃしゃ)なつくりの都市住民の住居」の「救済」から始まった、と考えてよい。新興の学者たちは、華奢なつくりの建屋は、木造建築のごく一部に過ぎないことを知らなかったのである。
なぜ知らなかったか。
日本の文物は捨て去るべきもの、と信じていたからだ。今でも、その風潮が残っていないか?だからこそ、木造工法を、《在来》と《伝統》に分けて平然としていられるのだ。


以上、柱群に「たが」をはめる、という考え方で、いわば強引に、日本の木造建築技術をながめてみた。
それを通じてあらためて感じたことは、建築とは「建物をつくること」であって、「単なる構築物」をつくることではない、という事実。
残念ながら、いま盛んな「耐震補強」は、どうみても「単なる構築物の耐震補強」になっているような気がしてならない。
「人が暮す空間」としての視点が忘れられていないだろうか。

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「たが」について考える-1・・・・「たが」としての「長押」

2008-01-24 18:32:27 | 建物づくり一般
[文言追加、1月24日、23.25]
[タイトルに副題を追加、1月27日、19.27]

ここへきて、「ホールダウン金物使用規定(告示第1460号)が示していること(07年2月20日)」を読まれる方が増えている。なぜなのだろうか。

読まれる方は、そこで書いたことに対して、「ウソだろう」と反発し「金物は入れれば入れるほど安全のはずだ」と不満をおぼえる人、「そうだったのか」と納得される方、とに大きく分かれるのではないだろうか。
今までの経験では、行政や建築確認業務にかかわっている方、筋かいを入れなければ木造建築ではないと思われている方(住宅メーカーを含む)の大方は、反発を感じるらしい。

それはともかく、いったいなぜ「ホールダウン金物」という金物が出現したか、その過程については、「《在来》工法はなぜ生まれたか」のシリーズで触れた。そして「ホールダウン金物使用規定が示していること(07年2月20日)」は、そのシリーズの補足として、難解な表現の「告示第1460号」の内容を、国交省お墨付きの「解説書」の文言に基づいて、詳しく見てみたもの。

現在の建築界には、「《在来》工法は昔からの日本の建物づくりの技術である」、あるいは、「昔の建築技術による建物は地震に弱かった」という「誤解」が蔓延している。
しかし、地震は日本で最近突然起きだした現象ではない。
地震は、日本では昔から頻繁に起きる自然現象。昔の工人たちが、地震と建物について考えないわけがない。

   註 最近、「中公新書」から「地震の日本史」という本が出た。

そういう地域である日本での、古代からの建物づくりの流れ、考え方について、ごく簡単に触れたのが「日本の建築技術の展開」のシリーズ(書き足りない箇所が、まだたくさんある・・)。
これをお読みいただければ、日本の建物づくりの技術に於いて、筋かいをはじめとする耐力壁に依存する「《在来》工法」は、きわめて異質、特異な工法であること、そしてそれが現在主流と見なされるようになったのは、「法定」になったからであって、それが如何に奇異な、不条理なことであるか、お分かりいただけるのではないか、と思っている。

   註 「法定」でなければ、主流にはなり得なかったはずである。
      そういう技術に進展はあるのだろうか?
      あるとすれば、法律に迎合した《技術》だけだろう。
      たとえば、各種の《免震器具》のような・・・・


ところで、先日、煉瓦造あるいは土造の建物の補強に、ring-beam という方法があることについて触れた。そして、それは、いわば木の桶や樽の「たが」に相当する役目を担っているのでは、と書いた。
そして、それを書きながら、古代:奈良時代に発案された「長押」の技法も、見方を変えれば、並び立つ柱を束ねる「たが」と考えることができることに気がついた。
そして、「たが」の視点で、日本の建物づくりの技術を眺めてみる気になった。以下、徒然に書いてみよう。


桶や樽は、側板が互いに接して円柱状の殻を形成し、それを「たが」で締める。
空き樽、空き桶がとりあえず形を保てているのは、「底板」があるからで、「底板」の抜けた空の桶や樽は、外からの力で簡単に壊れる。「底板」があっても、上の方を横から押せば形が歪み、遂には壊れる。「底板」と「上蓋」があれば、空き樽、空き桶でもひしゃげることはない。

桶や樽で、「たが」が効果を最大に発揮するのは、中にものが詰められたとき。外へ出ようとする内容物の圧力と「たが」の締め付けが呼応して、蓋がなくても樽、桶は形を保つ。それに蓋がされれば、一層びくともしない。

   註 日本の樽や桶は、底面より上面が大きいこと、
      そして、底板も上蓋も、円筒に「嵌め込む」方法を
      採っていることに注目したい。


奈良時代の建物は、先ず礎石上に立つ柱を横架材でつないで「直方体の外形線」をつくる。柱は長方形上の礎石に一定間隔で立つが、その足元は、地面が変形しないかぎり、整形を保ち続けることができるが(樽や桶の底板にあたる)、上部の骨組:立体は変形しやすい。

その変形には、直方体が単純に傾く場合と、捩れながら傾く場合が考えられる。
単純に傾く場合は、水平に切って見た断面は整形:長方形のまま、捩れながら傾く場合は、水平断面は平行四辺形になる。
そこで、その直方体を形成する柱群の外周に、水平の「たが」をまわす。
「たが」が足元と同じく「整形を保つ=長方形を維持する」ことができれば、少なくとも、「捩れながら傾く」ことは避けられる。
このような「たが」を何段も設ければ、より一層「捩れ変形」は避けられるだろう(余談:「たが」を隙間なく設ければ、何のことはない、柱をくるんだログハウスになる)。
しかし、この場合の「たが」は、樽や桶のそれとは若干役割が異なる。中にものがつめられるわけではないからだ。つまり、空き樽、空き桶が常時の姿。
だから、「たが」自体が整形:長方形を維持しなければならない。それには、大断面の材で、しかも柱を内外から挟む形で取付ければよい。そうすれば、一定程度、整形を維持できる。
こうして付け加えられるようになった「たが」が、すなわち「長押」である、と考えることができるはずだ。
さらに、「たが」:「長押」をまわすことで、捩れて傾くことだけではなく単純に傾くことも、完全とは言えないが、避けられることも分ってきた。

こうして一定程度安定した直方体に「小屋:屋根」をかければ、「小屋:屋根」のつくる立体は、直方体上部の整形を維持する:長方形を維持する手助けをし(樽や桶の上蓋に相当する)、一層直方体が捩れることを低減する。

次いで、この架構に「壁」や「開口装置」が後入れ:充填される。この「壁」は、さらに整形を保つのに有効に働く。ときに、「開口装置」も同様の働きをすることがある。

奈良時代に採用された「長押」工法を、以上のように、「たが」の理屈で考えることができるのではないか。

   註 いまでも、日曜大工で、台のような四面が抜けた直方体を
      つくるとき、形を安定させる有効・簡単な方法である。


古代の工人たちも、日ごろの工作のなかで、柱・梁でつくる直方体の変形に対して、「壁」が有効に抵抗してくれることは知っていたはずである。
では、なぜ、「壁」に頼ろうとしなかったのだろうか。

それは、彼らは、単に「構築物」をつくればよい、とは考えていなかったからだ。

単なる「物」をつくればよいのならば、「箱」をつくることに専念しただろう。それならば、簡単に安定した「構築物」:立体物がつくれる。
しかし彼らは、「それでは『建物』にならない」ことを知っていたのである。

「建物」とは、そこを拠点に「人が暮す場所:空間」。

   註 今の《木造の専門家=在来工法の信奉者》は、はたして
      「構築物」と「建物」の違いを、考えているのだろうか。
      「建物」の耐震を考えないで、「構築物」の耐震ばかり
      考えていないだろうか。[文言追加]

日本では、有史以前から、建物を木でつくってきた。材料の木が容易に得られ、しかも加工しやすい材料だったからだ。
     
   註 木の得にくい地域だったならば、土や石を使っただろう。

木でつくり続けてきたことで、任意に開口がつくれ、任意に壁がつくれ、しかもいつでも暮しに応じて任意に取り替えられ、ときには移し替えることもできる・・、それが木でつくる建物の特徴であり、そして、そのようにすることが、木の建物のもつべき必須の要件であることを、日ごろの暮しを通じて、身をもって知っていたに違いない。
それゆえ、「壁」に頼ることをせず、工夫をこらして柱・梁を先ず建てる方式にこだわったのである。
そして、この「こだわり」があったからこそ、「長押」の工法は生まれたと考えられる。

   註 壁の量を一定程度とらなければならない、などという制約とは
      まったく無縁だった。
      これは土の建築、石の建築との大きな違いである。

まだ「長押」が構造材:補強材=ring-beam として使われていた奈良時代~平安時代にかけて、特に公家系の建屋に「長押」が多用されている。
それは、彼らが広い屋敷に住み、建屋自体を開放的につくった、つくりたかったからだと考えられる。もっとも、建屋の中には、「塗籠」のような空間もある。
彼らのつくる建物は、全面開け広げることも、全面閉じることも、任意にできたのである。

一方、そのころの民衆の住まいの建屋は、絵図などでしか分らないが、おそらく、屋敷をもたないため、四周をほとんど壁で充填した閉鎖的な空間だったろう。ゆえに、「長押」による補強は要しなかったと考えてよさそうだ。


では、次代の「貫」は「たが」: ring-beam の考え方で説明がつくだろうか。
次回に考えてみたい。

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続・「普及」が「衰退」をもたらす・・・・金物は補強なのか本体なのか?

2007-11-23 18:48:36 | 建物づくり一般
例のホールダウンhold down金物の使用箇所を規定した「告示第1460号」の二項に、「ただし、当該仕口の周囲の軸組の種類及び配置を考慮して、柱頭又は柱脚に必要とされる引張力が、当該部分の引張耐力を超えないことが確かめられた場合においては、この限りではない」とあり、その確認の簡便な方法として、いわゆる「N値計算法」が奨められている(「改正建築基準法の解説」、住宅金融普及協会発行「木造住宅工事仕様書」に詳しい解説がある)。
       
ここで注目したいのは、この計算法・算定式の妥当性云々ではなく、「筋かいを設けた場合」についてなされている「注釈」。
「筋かい」を使用する場合に限り、その算定式に補正が必要なのだ。
簡単に言えば、「筋かい」を使用すると、柱脚、柱頭にいわば「異常な引張り力」が生じる場合がある、ということ。

去る2月20日の「ホールダウン金物の使用規定が示していること」で、ホールダウン金物は、そんなにたくさん入れる必要はない、入れる場所は限られている(たすきがけ筋かいの場合)、と書いたが、基準の策定者自体が、別の形でそのことを認めているわけである。

逆に言えば、どうしてそんなに「筋かい」にこだわるのか、まことに不思議である。要は、「筋かい」をやめればよいのである。
むしろこの際、「筋かいは危ない」、あるいは、「筋かいは、余計な手間が必要になる(つまり無駄だ)」と言うべきなのではないか。
「筋かい」にこだわるから、架構の各仕口は補強金物だらけ、こうなると、補強ではなく金物が本体のごとくに見えてしまう。

どうしても「筋かい」と「ホールダウン金物」を使いたいならば、せめて、柱にボルトで取付けるのはやめるべきだろう。
なぜなら、柱にM12ボルト5本でとめる(HD-B25)などということは、どう考えてもおかしいからだ。木目に沿って、M12のための孔(多分15mm径が、ときには18mm)を@約10cmで開けるなどというのは、いわばミシン目をつくるに等しく、「割れ」を奨励しているようなもの。
材の欠損を気にする一方で、木目に沿ってミシン目を開けることを気にしないのは、まったく腑に落ちない。
どうしても、というなら釘打ち(HD-N25など)の方が問題が少ないだろう。作業も簡単。

そして、最もお奨めなのは、先ず、①軸組を梯子型になるように、「土台~胴差・床梁」間、「胴差・床梁~桁・小屋梁」間に横架材を設け(差鴨居など、丈を大きくする必要はない)、架構全体を一体になるような継手・仕口で組むことを考えること。モデルは今井町・高木家。
そして、確認審査を通すためには、②「筋かい」ではなく、「面材耐力壁」を利用する。特に、「貫タイプ面材耐力壁」なら、室内の間仕切り壁をもすべて耐力壁として算定できる。この方法で、確認審査は通過できるのだ。

ここで肝腎なのは、②を充たしただけで安心してはならない、ということ。
まして、先に2月5日に紹介した現在普通に見られる「危険な架構」では、たとえ耐力壁量が数字上規定を充たしても安心できない。

大事なのは①の作業。これは、現行の法令は、何も規定していない「現場の知恵に基づく技術」。これを実現するために(「確認」を得るために)、やむを得ず②の作業をするのである。
仮に①のような架構をつくって、計算をしたらホールダウン金物が必要という結果が出ても、だからと言って、すぐさまホールダウン金物を採用する必要もない。
「土台と差鴨居または桁・梁」、「胴差と差鴨居または桁・小屋梁」とをボルトで縫うだけで、ホールダウン金物に代えることができるからだ。

本来、金物による補強なしで、木だけで、十分に外力に耐える架構をつくる技術があったということ、それはメンテナンスが可能な方法であったこと、そしてきわめて寿命が長かったということ・・、これらの厳然たる事実から目をそらさず、今からでも遅くはない、そこから学ぼうではないか。
つまり、最新の「理論」を唯々諾々と信じ、唯々諾々と従う前に、「原理・原則」、言い換えれば、「自身の体感を通じて得ている常識」でものごとを考えよう、いわゆる「伝統工法」を編み出した人びとと同じ立場に立ってみよう、ということ。

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「普及」が「衰退」をもたらす:補足

2007-11-20 20:12:52 | 建物づくり一般

[文追加修正:11月21日 3.53]

先回載せなかった「金輪継ぎ」の分解図。上段は、継手の基本形=原理を示した図(目違いなどの工作をする前の原型)。

「金輪継ぎ」を横に置けば「布継ぎ」、これを土台などに使う。
たった一本の「栓」を打つことで二材が密着・一体になる、などという考えは、決して机上だけでは生まれない。現場での裏づけが絶対に必要。

冗談で言うのだが(しかし本当は冗談ではないのだが)、木造建築にかかわるいろんな基準をつくることに精を出している方々、そして、確認申請図書を審査する方々は、かならず一定期間、大工さんのところに常駐し(最低2~3年程度)、加工場~建て方を体験する、そして、大工さんの「修了認定」をもらう、というのを義務付けたらいかがなものか。そして、その一環として、古建築の技術を学ぶのも義務とする。
おそらく、こうなれば、数等世の中が「明るくなる」のではないだろうか。

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「普及」が「衰退」をもたらす

2007-11-19 19:23:56 | 建物づくり一般


[字句修正:11月20日3.39]

いわゆる「宅金融公庫(現 住宅金融支援機構)」仕様は、それに順じていれば確認申請が通る、という点から、一般に「普及」している仕様であると言ってよいだろう。
そこで、近年の「建築基準法の改変」が、「住宅金融公庫仕様」にはどのように現われているか、興味が湧いたので、「木造住宅工事仕様書」の最新版(平成19年版)を取り寄せてみた。
私のところには、平成3年(1991年)、平成13年(2001年)版があり、見比べてみると、ますます金物オンパレード状態となってきていることがよく分る。

しかし、まったく変わっていないのは、継手・仕口や部材の組み方。
継手で紹介されているのは、「腰掛蟻継ぎ」「腰掛鎌継ぎ」「追掛け大栓継ぎ」「台持ち継ぎ」「腰掛継ぎ」「殺ぎ継ぎ」だけ。
「腰掛け」は、きわめて簡便な、力のかからない部分にしか使えない継手。
「殺ぎ継ぎ」は垂木や根太など、しかも真下に受け材がなければ使わない。
継手・仕口を説明するならば、どういう場合に何を使うか解説をしなければ、誤解を生むだけだろう。

上掲の図は、「仕様書」が一貫して奨めてきた床組に使う継手、「台持ち継ぎ」「追掛け大栓継ぎ」「腰掛鎌継ぎ+短冊金物」と、「通し柱への横架材の仕口」の解説図。

この図を見る人は、多分、梁の継手として、「台持ち継ぎ」も「追い掛け大栓継ぎ」も「腰掛け鎌継ぎ+短冊金物」も、どれも同様の「効能」を持つ、と理解するにちがいない。なぜなら、仕様書の2階床梁の項では、この三つの中から継手を選択するようになっているからだ。
しかし、この三つは「効能」がまったく異なる。なぜ、三つの選択制にしているのか理解に苦しむ。

「台持ち継ぎ」は、元来は小屋梁で使われる継手で、「敷梁・敷桁」上で継ぎ、その真上、つまり敷梁・桁位置上で束柱を立て、その上の屋根の荷重で継手部分を押さえ込むのが原則(押さえないと上下に容易にはずれる)。
ボルトで両者を縛りつけるのは、やむを得ないとき。
しかし、ボルト締めは、時間の経過にともなう「木痩せ」でナットが緩んでしまうことが多く、また大抵の場合、天井などで隠れてしまうため、気付かない。
下の図の①が通常の方法。

   註 いかなる乾燥材でも、含水率が常に一定ということはあり得ない。
      含水率15%の材でも、季節により13~18%の程度の幅で変動する。
      つまり、「木痩せ」はかならず起きると考えてよい。
      木材の含水率、乾燥材については、9月15日に簡単に紹介。

「腰掛け鎌継ぎ+短冊金物」を「追掛け大栓継ぎ」同様の効能にするには、短冊金物では間尺に合わない。大きな荷には堪えられないからだ。下手をすれば、ボルト孔から割れるだろう。つまり、「追掛け・・」とは、まったくちがう。
どうしてもというなら、「短冊」の代りに、西欧のトラスのように、両側面に「当て板(添え板)」を釘打ちした方がよほど効果がある。

「追掛け大栓継ぎ」は、これで継ぐと、一本ものと同様の強度が出ると言われる。しかし、手加工は手間がかかる(最近は加工機械がある)。
だから、これを使えば最良なのだが、現場では現在ほとんど見かけない。上記の三つの中から選べとなれば、簡単な方法を選ぶに決まっている。
金融公庫仕様は、「蟻継ぎ」「鎌継ぎ」に「目違い」を設けないなど、簡便な加工で済ます継手・仕口を紹介しているが、加工に手間がかかる「追掛け大栓継ぎ」だけが「生き残っている」のは何故なのか、不思議である。
②が追掛け大栓継ぎの一般的な組立図。この継手は、継手長さをどのくらいにするかが要点。
「追掛け大栓継ぎ」を載せるのなら「金輪継ぎ」なども紹介する方が妥当に思える。「金輪継ぎ」は、追掛同様、きわめて頑強な継手で、土台に使えば、万一の取替えが容易にできるすぐれもの。「追掛け・・」は「上下の動き」で納めるが、「金輪・・」は「横の動き」だけで納められるから、既存の架構の修繕に利便性があり、柱の根継ぎなどでも使われる(今回は図面省略)。

問題は、通し柱への横架材の取付け。もう何年もこの方式が金融公庫仕様で紹介されているから、どこの現場でも目にする。
いずれもボルト締め。ボルト孔はボルト径よりも大きいのが普通。つまり、いかにナットを締めようが、初めからガタがある。
さらに、いかなる乾燥材を使おうが収縮があり、かならずナットが緩む。ということは、この部分に力がかかれば変形が生じるのは火を見るよりも明らか。しかも、こういった箇所は、多くの場合隠れてしまうから、緩んでも気が付かない。

こういう箇所の従来の納め方は、③~⑧。いわゆる「差物」の仕口:「差口」。
いずれも「込み栓」「楔」「シャチ栓」「鼻(端)栓」といった木材の弾力性・復元性、材同士の摩擦を利用する堅木製の材:栓を打ち込む方法。
これは「木痩せ」の影響を受けないから、経年変化もない。第一、この仕様の歴史は長い。価値のある仕様ゆえに長く使われ、進歩した。

この仕口:差口が使われなくなったのは、刻まれた段階の柱を見たときに生じる「恐怖感」によるところが大きいだろう。特に、現場に立ち会ったことのない人は、刻んだ箇所で折れてしまいそうに見えるから、恐怖感が大きいはず。
この仕口は刻みが大きいので、最低でも4寸角以上必要。3寸5分角では先ず無理。ところが、柱を3寸5分角にすることがあたりまえになってしまったのだ(この点についての桐敷真次郎氏の論説を6月13日に紹介した)。
おそらく、この仕口を推奨していないのは、金融公庫仕様策定者も、「恐怖感」に襲われたからにちがいない。
なお、すでに紹介した今井町・高木家は、4寸3分角である。きわめて妥当な材寸である。

では、このような「差口」の刻みは、手がかかるか?否である。機械でも加工できる。
ただ、建て方は手間がかかる。組立てるまで、慎重に扱うことが必要である。単材のままのときは、刻み部分が弱点になるからである。
しかし、組まれれば、かけた手間以上の「効能」が期待できる。長期にわたり狂いがなく、丈夫な架構ができるのである。
「追掛け大栓継ぎ」を紹介するなら、同等の「効能」のあるこの方法を紹介しないのは片手落ちというもの。


いずれにしろ、このような基準法お墨付きの仕様の普及・促進は、結果として、日本の長い歴史のある木造建築の技法を衰退させてしまった、と言ってよい。
あるいは、こういった「仕様」は、フール・プルーフ:ばかでも扱える:方策、全般の技術の「底上げ」のための方法として推奨してきたのかもしれない。
もしもそうなら、それは、一般の人びとの能力をバカにした話。
むしろ、こういう策・方法をフール・プルーフとして提示する人たちの能力が疑われて然るべきだろう。


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USONIAN HOUSEの施工工程・・・・F・Lライトの枠組工法 その2

2007-11-12 19:51:00 | 建物づくり一般

先回の続き。

天井はパネルではなく、野縁を張って打ち上げているようだが、詳細は不明。

およそ30cm幅の壁の無垢板は、ビス留めされる「目地の板(目板と言うべきか)」だけでとめられているため、出隅部分(「留め」納めと思われる)では、どうしても狂いが生じるらしく、時を経た建物では、板そのものを下地に脳天釘打ち(ビス留め)にして押えている。
上掲のPOPE邸の元写真には、目地板の釘と、脳天打ちの両方が見えるのだが、ここに載せたのでは見えなくなってしまった!

インチによる材寸の決め方には、おそらく常用の定寸があるのではないか(樋端の四・七、五・七というような)。

使われている壁ボードの総厚は60㎜に満たない。建設地は結構の寒冷地のようだから、今の日本の人たちなら、断熱はどうしてるんだ?と叫ぶにちがいない。

工法もさることながら、空間のつくり方はやはりうまい。人の自然な動きが見えている。それにさからわない空間。それをつくると、結果として、形体もすばらしくなる。形体を考えることから始めていないのだ。

最近は、ライトって誰?なんて思う人たちもが増えているらしい。折をみて、名作をいくつか紹介したいと思っている。

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USONIAN HOUSEの施工工程・・・・F・Lライトの枠組工法 その1

2007-11-10 17:41:47 | 建物づくり一般

1940年~50年代にかけて、F・Lライトは、ローコスト住宅:Usonian Houseを数多く設計している。
これは、いわゆる枠組工法:2×4工法と言ってよい。
しかし、今の工法は、合板製パネルの表面に別途仕上げ材を張るのが普通だが、ライトのそれは、パネル自体がそのま仕上げになるように考えられている。

具体的には、1インチ:25.4㎜厚の芯材(この場合はイトスギ:cypressの板を縦張り、一般的には合板)を立ち上げ仮止めし、その両面に厚7/8インチ:約22.5㎜の無垢板(イトスギ)を横張りにする。こうして仕上がるボード(パネル)が構造体になる。その上に屋根パネルを載せる架構。壁のボード両面に張られた無垢板は、そのまま仕上げとなる。
壁ボードの詳細図は、後日紹介。

今回は、その段階までの工程の写真。詳細な架構組立図がないので、細部には不明な点が多々ある。
なお、寒冷地のため、温水床暖房が設置されている。

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「偽装」「仮装」「化粧」・・・・それとも「偽計」?

2007-11-04 10:40:49 | 建物づくり一般
偽装:ほかのものとまぎらわしくして、敵の目をごまかすこと(手段)。
    カムフラージュ。「擬装」とも書く。

仮装:その場の遊びとして、奇抜な扮装を凝らすこと。
    [法律用語としては、第三者を欺くための虚偽の意思表示の意・・]

化粧:〔身だしなみとして〕・・・・・顔を美しく見せるようにすること「死化粧」・・・。
    装いを新たにすること「雪化粧」。
    「仮粧」とも書く。古来の用字は「気装・仮借」。

たとえば、最近建てられる住宅。町なかで多く見かけるのは、外壁にサイディングを張った建物。「煉瓦積」風、「石積」風、「石目」風、「羽目板張り」風、「塗り壁」風・・・実に多用・多彩な表情。
下地が鉄骨造だろうが、木造軸組工法だろうが、はたまた2×4だろうが、自由自在。というより、下地が何か、外からは分らない。「無垢の木の家」と称する建物も、同じ。

また、「木の家」を歌い文句にしている〇〇ハウスや〇〇林業の商品化住宅の「木」とは、集成材。集成材の柱・梁による軸組工法を「木の家」と呼んでいる。しかし、コマーシャル・広告には「集成材」という文言はどこにもない。そしてそれらの仕上り・外見は、他の住宅と特に変ったところがあるわけでもない。
なぜなら、「木」は下地になって隠れてしまうからだ。見えている「木に見える部分」も、木ではあるが、多くは集成材の表面を「化粧」したもの。
こういう集成材による架構が下地の建物を「木の家」と称するのならば、2×4工法の建物も立派な「木の家」。主体の材料である「合板」も木の「集成材」の一なのだから。

では、このような外装やあるいは歌い文句は、上記の語の定義で言うと、はたして何にあたるのだろうか?「化粧」か、「仮装」か、それとも「偽装」か?

上に羅列した語義は、「新明解国語辞典」から抜粋したもの。
「広辞苑」でもほぼ同様で、「仮装」については「いつわりよそおうこと」ともある。
こうしてみると、「偽装」と「仮装」は紙一重。そして「化粧」はかぎりなく「仮装」に近づく。

   註 例の構造計算の「耐震偽装」や建材の「認証・認定偽装」は、
      「偽装」ではなく、「偽計」と言う方が妥当だろう。
      なぜなら、「行為」そのものに問題があるからだ。
         「偽計」:人をだますための策略、計略。詭計。
      そして、集成材の「木の家」のコマーシャル・広告も「偽計」。


非常に興味深いのは、たとえば、多様にあるサイディングの「表情」は、ほとんど既存の材料・「もの」の表情の「写し」であること。サイディングの材料そのものの顔そのまま、というのは先ずない。

「ベニヤ板(ベニア板)」という語がある。一般に「合板」と同義に使われることがあるが、本来の意味は「薄くそいだ板:単板」のことで英語ではveneer(合板はply wood)。
薄くそぐには一定の技術がいる。そして、なぜわざわざ薄くそぐ必要があったのか。
これは私の推測だが、産業革命以後の西欧の新興勢力たちが、旧勢力:上流貴族たちの建物に使われていた遥かな東方産の銘木:マホガニーやチーク製の家具や造作に憧れ、その模倣のために、表面だけを銘木様にしようとしたところからの発祥ではないかと思われる(逆に言えば、銘木は新興の勢力では容易に手に入れることができないほど高価だったのである。そして一方、銘木輸入業者は、1本の材を薄く切れば切るほど、儲けたことになる)。
英語のveneerは、日本語同様、「中味がない、薄っぺら」の意で用いられる。

   註 集成材としての「合板」は、veneer板を貼る経験から誕生した
      のではないだろうか。狂いが相殺されることを知ったのである。

昨年12月8日にベルラーヘの思想と仕事を紹介した。19世紀末、西欧では、既存の建物の形体を適宜に表面にくっつける類の建築が横行し、彼はそこからの脱却、「正直な建物づくり」を説き、実践した。
この西欧の「悩み」に無関係だったのがアメリカだった。元々、アメリカは西欧各国からの移民が主体。それぞれが、それぞれの移民先で、母国の建築を見よう見真似でつくった。というより、記憶の中の母国の建物に似せてつくった、という方があたっていよう。そのとき、彼らより先に住んでいた人たちがつくってきたアメリカの風土なりの建築はまったく無視・黙殺された。

だから、母国の建築が、それぞれの母国の環境の必然的結果としての形体であることを無視し、材料と無関係に、いわば「張りぼて」で母国の建物の形体をつくることに精を出すようになる。
合板によるパネルを立ち上げる工法は、それにうってつけであった。なぜなら、パネルの表面を、いかなる「様式」にも着せ替えることが出来るからである。
と言うより、最初から形態模写が念頭にあったからこそ、この工法が盛んになった、と言った方があたっているだろう。
なぜなら、架構そのもの、つまり「合板」をそのまま表して様になる、という設計をするには、相当のセンスが要るはずだからである。
そして、この「やりかた」が、日本にも(無理やり)輸入されたのである。

   註 先般の山火事で焼け残った住宅の映像を見たが、
      まさに何でもありなのには驚く。いろんな「様式」のオンパレード。
      敷地が広いから救われているが、
      狭かったら、日本の「住宅展示場」や「建売分譲住宅地」と同じ。
      日本は、住宅も、アメリカの後追いをしているのか?

   註 なお、F・Lライトの1940年代のusonian houseの連作は、
      今の2×4工法そのものであった。
      しかしそれは、「無垢板横羽目のパネル」を立ち上げる工法で、
      その板が即仕上げになっていた。

たしかに、こういう方法なら、いわば好き勝手に「表情」をつくることができる。「着せ替える」ことができる。
しかし、建物の「表情」というのは、そんな「安易な」ものだったのか?
いったい、その「表情」を選択し決定する「根拠」「拠りどころ」は何か?
単に、そのときの「気分」?「流行」?「目新しさ」?他との「差別化」?・・・

住宅だけではなく、町なかに建つビルも公共の建物にも、意味不明な「表情」が増えた。「本体」が不明。傍を通って、いい場所だなと思い心和み、もう一度行ってみようかと思うような建物も場所も減った。
どこもかしこも、「身も心も」、「偽装」「仮装」「化粧」だらけになった。
これでいいとは、到底、私には思えない。


昨年12月に紹介したオランダの建築家、ヘンドリック・ペートルス・ベルラーヘ(Hendrik Petrus Berlage,1856~1934)の語った語を再掲しよう。

(われわれを取り囲むのは)「まがいものの建築、すなわち模倣、すなわち虚偽(Sham Architecture;i.e.,imitation;i.e.,lying)」「われわれも両親も祖父母も、かつてなかったような忌むべき環境(surroundings)に生活してきた。・・虚偽が法則(rule)となり、真実(truth)は例外となっている」(i.e.=that is:すなわち)

   註 念のため。私は合板をまったく使わないわけではない。
      框戸の鏡板などに、無垢板の代りに、突き板を張った化粧合板を
      使うことがある。
      しかし、壁や床などには余程でないかぎり使わない。

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