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「アリヂゴクが棲める床下」補足・参考写真・・・・湿気は舗装面に結露する

2009-10-18 10:36:35 | 建物づくり一般
この7月に「アリヂゴク・・・・アリヂゴクが棲める床下」(下註)の中で、木造家屋の床下に「防湿コンクリート」を打つことが奨められているが、それは間違い、かえって湿気を呼ぶ、と書きました。
なぜなら、夏の朝などに、湿気た空気が土間コンクリートや舗装道路などにあたると結露するのと同じように、「防湿コンクリート」の表面に、結露するからです。

   註 「アリヂゴク・・・・アリヂゴクが棲める床下」

ちょうど今朝、天気の変り目で、当地は、少し暖かくて湿度も高く、朝霧が発生しました。遠くが霧で霞んでいました。

近くの舗装道路が一面、雨の後のように濡れていました。
最初は雨が降ったのかと思いましたが、そうではなく、霧が道路面に結露したのです。
道路わきの雑草にも露が降り、地面は心なしか湿気た色をしていますが、雨が降ったような濡れ方ではありません。

上の写真は、朝食後撮ったもので、朝陽のあたった場所や風通しのよい場所は、すでに乾いていましたが、ところどころ樹木などの陰や、風通しの悪いところでは、まだ道路が濡れていました。
道脇の雑草にも露は降りていますが、地面はほとんど変っていません。

そこで、予定を変更して、急遽ご報告まで。

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アリヂゴク・・・・アリヂゴクが棲める床下

2009-07-01 18:29:12 | 建物づくり一般

[註記追加 7月2日 11.53][註記追加 7月2日 22.01]

上の写真は、私の住まいの床下。正確に言うとベランダ下。
ベランダには、先端:写真の束柱の位置:から右手に1尺5寸ほどまで軒が被っている。
写真は、先ほど、雨が上がってすぐに撮ったもの。

屋根には雨どいを設けていないから、地面に直に雨だれが落ちる。この部分には「雨落ち溝」がないので、落ちた雨水は、写真のように、束柱の位置あたりまで浸みてくる。写真では、地面の色が変って写っている。

しかし、そこから先、床下の奥へは水は浸みてこない。雨が降り続いても、ひどい土砂降りのときでも、これはほとんど変りない。
その証拠が、一面の噴火口。アリヂゴクの巣である。雨の最中でも、エサになる虫が通るのを待ち受けている。床下と外の境のあたりを虫がよく通るからである。
だから、床下の奥に行くとアリヂゴクの巣も少なくなる。アリヂゴクは、ウスバカゲロウの幼虫。
画面が小さいので見えないかもしれないが、礎石のすぐ左側の噴火口の上に見える黒っぽい点は、食べられたあと放り出された虫の殻である。


一般に、床下は湿気ると言われている。
たとえば、「住宅金融支援機構(以前の「住宅金融公庫」)」の「木造住宅工事仕様書」には、「床下は、地面からの湿気の蒸発等により湿気がたまりやすい・・・」と解説があり、「ベタ基礎」以外の場合は「防湿用のコンクリートの打設」または「防湿フィルムの敷詰め」とすることを求めている。

この解説にある「床下の湿気理論」について、かねてから私は疑問を抱いている。
いったい、「床下の地面からの湿気の蒸発」というけれども、そもそもその「湿気」はどこから地面に来るのだろうか。
普通の土地であれば、「雨がかからない場所」「水が外から流れ込まない場所」の地面は、水分:湿気がなくなり乾燥するのがあたりまえ。「水源」が断たれるのだから当然である。

「雨もかからず、水も流れ込まない」のに地面が湿気るとすれば、それは、そこで水が湧いていたりする場合に限られる。

たとえば、水田を埋め立てる。
水田というのは、もともと水のたまりやすい場所につくられる。多くの場合、地下水位が高い。言ってみれば、少し掘れば水が出る。そういう場所は、埋め立てて地表は水田ではなくなっても、地下はまったく変っていない。
そのため、こういう場所は、いまのような季節、つまり梅雨時などに、霧が発生しやすい。
筑波研究学園都市のなかを車で走っていると、早朝や夜、突然霧の中に入ってしまうことがあるが、たいていそこは池や水田を埋め立てた場所。
地面が水温に近くなっていて、そのため、あたりの空気も冷える。しかもあたりの空気には湿気が多い。そして霧が発生する。

では、普通の土地で、床下をコンクリートを打設したりフィルムを敷き詰めると、どのような事態が起きるだろうか。
床下の地面は、陽が当らないから、その温度は屋外の地面よりは低い。コンクリートやフィルムの表面温度も、地面の温度と同じになっているはず。
そこへ、床下の地表温度よりも暖かい湿気た空気が入り込むと、どうなるか。コンクリートやフィルムの表面に結露するのである。
夏の朝、雨も降らなかったのに、舗装道路が濡れているのも同じ現象。

そうならないようにと「断熱材(保温材)」をコンクリートやフィルムの下に敷きこめばよい、と考える人がいる。そういう「仕様」もある。
しかしそれは、「断熱材」の「断熱」の語に惑わされている証拠。どんなに厚く「断熱材(保温材)」を敷こうが、地温になるまでの時間がかかるだけに過ぎない、だから、コンクリートやフィルムの表面は地温に等しい、ということを忘れている。

私の住まいは緩い傾斜地に建っているので、基礎は独立基礎にしてある。一定の高さまで底盤の上にヒューム管を立てコンクリートを打った基礎。その上に土台を流してある。ゆえに、床下はよく風が通る(床下は、かがんで歩ける高さがある)。
ただ、ベランダ部分は、写真のように基礎を低くして「束立て」にしてある。

空気が湿気てくると、ときに、この基礎の表面:ヒューム管の表面が濡れてくることがある。結露である。
しかしそのとき、地面は多少いつもよりは湿気た様子だが、乾いていることには変りはない。だから、アリヂゴクも健在。
このことは、地温の低い地面は、暖かい湿気た空気がきても、湿気を吸収してくれることを示している。コンクリートやフィルムのように結露はしないのである。地面には「調湿機能」がある証拠。

   註 地面が湿気を帯びても、暖かい湿った空気が去れば、
      ふたたび地面は乾燥に向う。
      これが調湿機能。土壁も同じ。
                [註記追加 7月2日 11.53]

だから、どうしても床下に空気が淀んでしまう「布基礎」の場合は、「布基礎」に囲まれた地面をコンクリートやフィルムで被うことは、床下に結露水をためることになり、湿気防止にはかえって逆効果だ、というのが私の理解。
同じ理由で、私は「ベタ基礎」は使わない。地耐力が小さくても、別の手立てを考え、床下地面を確保する。

なぜ「住宅金融支援機構(以前の「住宅金融公庫」)」仕様が「常識」になってしまったのだろうか?
「礎石建て(石場建て)+足固め」方式の時代、やはり床下は、アリヂゴクの天国だった。

   註 コメントで防湿シート、防湿コンクリート(ベタ基礎)の
      床下の「実態」を撮った写真を紹介いただいています。
      山本大成氏のコメント「防湿シート」内からアクセスできます。
      それは、茂木豊彦氏のブログの記事です。
      結露するはずだと予想はしていましたが、
      これほどまでとは思いませんでした。
      是非ご覧ください。驚愕的です。
                     [註記追加 7月2日 22.01]
コメント (6)
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余録・・・・「建て方」考

2009-05-09 10:22:23 | 建物づくり一般

梅雨時のような雨がやみ、庭先のアヤメがかがやいています。


ここ数回、二十数年前に設計した建物の「建て方」の一連の写真を載せました。行方不明の写真もありますが、何とか順番どおりにはなっていると思います。

建物の規模は、1階:約150㎡、2階:約80㎡、延べ約230㎡。
「上棟」までに(「垂木」や「根太」を掛けることのできる状態になるまでに)、正味5~6日かかったと思います。

こんなに日数がかかる?と思われる方がおられるのではないかと思います。
しかし、無駄に時間を費やしているわけではありません。
今普通に行なわれている仕事と違って、写真で分るかと思いますが、主要な開口部の「縦枠」「鴨居」「窓台」などは上棟時点に組み上がっていて、後は「方立」や「敷居」などの仕事が残るだけだからです。こういう方法を「建て込み」と言います。この方法は、かつて、町家や農家ではあたりまえでした(寺院建築でも「大仏様」はこの方法です)。
けれども、武家の住まいや、その流れをくむ明治以来の都市の住居、さらにその流れの上で変質した「今の一般に見られる仕事」では、これらは、「造作仕事」として、上棟後の仕事になるのが普通です。

   註 「造作仕事」というと聞こえはよいのですが、本当のところは、
      「おっつけ」仕事がほとんどです!

もちろん、この仕事では、上棟後に、屋根や床下地、壁下地などの仕事もする必要はありますが、これは「今の一般に見られる仕事」でも同じこと。

   註 「今の一般に見られる仕事」は、大概、一日で上棟になります。
      どうしてそうなるかは、言うまでもないでしょう。
      金物を「信仰」して、「継手・仕口」に神経を払わないからです。
      単に工期が短いのは、「合理化」ではなく「合利化」です。


建て方の日数は、「架構の設計」と「敷地の状況」に左右されます。
と言うより、あらかじめ「敷地の状況」を念頭に「架構の設計」をする必要があります。
簡単に言えば、刻んだ材料を何処に仮置きし、どこから組み出すか、を考えた「架構の設計」をする、ということです。いわゆる「番付」も、このことを考えて振ればよいことになります。
とは言うものの、はっきりとそう気がついたのは、この設計の後になってからのこと。たまたま棟梁の考えと一致していたからよかったけれども、それはまったくの偶然。
また、もう少し「手順」を考えてあったならば、あと1日ぐらいは短縮できたかもしれない、と思っています。
この「手順」を、十分とは言えないまでも念頭に入れて設計したのが、以前に紹介した「棟持柱形式」の建物です(「棟持柱の試み・・・・To邸の設計」)。

今ならば、たとえば、「追掛け大栓継ぎ」は使わないなど、さらにもう少し「りこう」になっているかもしれません。
その一例として紹介したのが、「現行法令の下での一体化工法の試み・・・・1~4」
です。端から順に立ててゆけばいい、という考え方で、通し柱を多用して「追掛け大栓継ぎ」も使わずにまとめてみた計画案です。

なお、工事中、「仮筋かい」が少ないのが、写真でお分かりいただけると思います。最初の段階と、あと数回、本当に仮の支えのために使っているだけで、その箇所が組立て終わると、「仮筋かい」をはずしても、架構だけで自立するからです。

また、刻みがしっかりしていて、基礎も正確につくられていれば(つまり、仕事の精度がよければ)、架構の水平、垂直は自ずと確保され、いわゆる「間起こし」などの作業はほとんど不要です。
これが「差物」を多用する「一体化工法」の特徴で、上棟後、架構の上を歩いても、ゆっさゆっさ揺れる、などということはありません。
「今の一般に見られる仕事」では、「仮筋かい」なしではぐらぐら揺れるのが普通です(ときには、本「筋かい」が入っていても・・・!)。

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余録・・・・「建て方」工程写真-4(写真だけで解説:今回で終り)

2009-05-08 09:25:42 | 建物づくり一般

この後、「垂木」掛け、「野地板」張り、「瓦葺き」「煉瓦積」などの工程に入りますが、省略します。

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余録・・・・「建て方」工程写真-3(写真だけで解説:図版改訂・説明追加)

2009-05-07 11:22:45 | 建物づくり一般

建て方中の天候は以下の通りでした。
14、15日小雨~小雪。19日雨のち雪。23日雪。

図④に挿入した文字:改訂しても文字がボケてしまうので追記します!

 四方差の柱の彫り
 計算だけ得意の構造屋さんには見せられない
 柱が折れてしまうと心配する

図⑤に挿入した文字:ボケて読めないので追記します

 二階窓台:腰差物の取付け

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余録・・・・「建て方」工程写真-2(写真だけで解説:図版更新)

2009-05-05 17:29:19 | 建物づくり一般

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余録・・・・「建て方」工程写真-1

2009-05-04 12:26:33 | 建物づくり一般

[説明文言追加 15.07、18.19] 

1986年の春だから、もう23年になる。
いつであったか紹介させていただいた「木骨煉瓦造」の建物(「煉瓦・・・・その活用」を参照ください)の「建て方」工程を撮ったスライドを発掘!したので、ほぼ日程を追って紹介させていただきます。

今日は、建物の概要と、第一日目の「土台の据付け」まで。
平面図、断面図は、右手が南になります。したがって外観写真は、平面図でいうと右上から建物を見ていることになります。
各部の簡単な説明は、写真の中に書き込んであります。

[説明追加 15.07]
なお、平面図と断面図の色を塗った箇所の通りの柱の内、両方またはどちらかの柱を通し柱として、そこから両側、つまり南北に梁を掛け、それぞれ柱で受ける架構法をとっています。言って見れば、棟持柱方式の変形です。
[説明追加 18.19]
⑥の写真は、平面図の右下の部屋(「居間」)位置から東北方向を見た写真です。土間コンクリートを打ってありますが、ベタ基礎ではなく、温風床暖房設置用です。

建物は、茨城県旧谷田部町、現在のつくば市にあります。
今は、周辺が建て混んできましたが、この当時は、一戸の敷地は200㎡以上という規制がありました。この建物の敷地は約600㎡あります。
この規制はいつの間にか消えてしまい、現在は150㎡以下がザラとのこと。
研究学園都市開発にあたって叫ばれた「自然との調和」「既存集落との調和」なんていうフレーズはすっかり忘れ去られています。

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「休工中」の楽しみ・・・・大工さんたちと話す

2009-02-15 08:11:49 | 建物づくり一般
昨日14日、茨城県北部の大工さん、工務店さんたちの集まりで、いろいろ話を聞いてきました。ゆえに、「シリーズ」の方は、休工。

県北部は、田園と山林に囲まれた気分のいいところ。おまけに昨日は昼過ぎの気温24度近い暖かさ。一昨年も今ぐらいの時期に訪ねたことがあるが、そのときはみぞれまじりの雨が降っていた。

なんでも、その一帯、今年から都市計画区域に指定され、確認申請が必要になるのだ、とのこと。それまで、いわば従来どおりのやりかたで仕事を進めてきたのが、できなくなる。
おまけに「瑕疵担保保険」まで課せられる。これも皆にとっては不愉快極まりないこと。
いわば終生付き合いを切ることのできない地域で仕事をする以上、保険の有無にかかわらず、そして5年だとか10年だとか期限を切ることもなく、これも終生、不具合が起きたら対応するのはあたりまえ。
そういう仕事をするのがあたりまえなところに、なんで保険が必要なのだ、というわけである。

簡単に言えば、法令をつくる人たちは、世の中すべてが人を欺く商売がはびこる都会地域であるかのような「考え」が念頭にあり、そういう世界とは無縁な地域にまで、一律に法令の網をかけようとする。
逆に言えば、互いに信頼しあい、安全で安泰な地域を、互いを不信の目でみる社会にしよう、とでもいうかのようだ。

100年住宅だとか200年住宅だとかいう「施策」もまた、この地域の大工さんたちにとってはバカラシイ限り。従来どおりの仕事をすれば、そんなのはあたりまえだ。しかし、建築基準法に従った仕事をしたら、木造建築の寿命が短くなるのは決まってるではないか、というのである。
まったくその通り。

そこで、従来どおりの仕事で、どうやって法令:確認申請をクリアするか、どうやって瑕疵担保保険のムダを省くことができるか、「知恵の出し合い」をしてきた。
具体的なことは、ここでは書かない。

いろいろ話し合った「結論」は、いまの法令をどうしても維持したいのなら、人を欺く商売がはびこる都会地域限定にするか、いっそのこと法令は「精神」だけを規定して、細かなことをさっぱり捨てるべきだ、ということになった。

どういうことかと言えば、人を欺く商売をせいいっぱいはびこらせればいい、そうすれば、そういう商売のはびこらない地域が浮びあがり、人を欺く商売のはびこる地域のバカラシサもまた浮び上るではないか、そして、どちらがいいか、住む人暮す人の選択にまかせればよいのだ・・・。

第一、そうすれば法令にかかわる役人の数が、確認申請検査も含め、不要になり、財政上も好ましいではないか・・・。
夢みたいな話だけど、そういうことを思っている人が、各地域にたくさんいるのである。
私は、そういう方たちと居るほうが楽しい。「健康」にいい・・・・。

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またぞろ《長期耐用住宅》話

2008-04-09 18:02:48 | 建物づくり一般
建築界、とりわけ《住宅産業》の周辺では、またぞろ《200年住宅》で騒がしいようだ。次期国会での法案化へ向けてうごめいているらしい。
ことの発端は、前にも書いたが、日本の住宅、とりわけ最近建設される木造住宅の短命さ。

   註 日本のすべての木造住宅が短命なのではない。
      現在の建築法令に基づく事例の多くが短命なだけ。
      07年10月25日に同じことを書いています。 

これも既に何度も書いたことだが、「短命」解消のために第一に考えられているのが「物理的耐久性」のようだ。
同時に考えられているのが、200年住宅向けの「ローン」、そして「不動産取得税、固定資産税の減免」、「転売システムの構築」などらしい。
もちろん、この管轄は、「国交省」。

先ず、「物理的耐久性」について。

木造の建物も、他の材料の建物同様、当初材が永遠に当初の状態を保ち続ける、などということはない。
ただ、木造の優れている点は、改造ができること、そして、部材を交換することで長期にわたり維持することが可能なことだ。法隆寺の場合、当初材はごく一部にすぎないから、建物が世界最古と言うのはおかしい、と世界遺産指定の際、問題にされたほどだ。

   註 ここでの木造建物とは、日本で古来行われてきた木造の
     「軸組工法」を指している。
      いわゆる「枠組工法」:通称「2×4工法」は、性質上
      改造・増築・修理は、基本的に不可能である。
       
私たちは、「現行の日本の建築法令準拠の建物では、改造や保全・維持のための部材交換は、先ず不可能である」という「厳然たる事実」を認識する必要がある。
なぜなら、建築法令の拠ってたつ理論は、「耐力壁」の確保優先のため、改造はもちろん、保全・維持のための部材交換、という点については、まったく考慮していないからである。

木造建物の最も取替えが必要になる部位は、軸部の下部:土台や柱脚である。
ところが、現行法令の規定するアンカーボルト、そして仕口に奨められる金物の類は、部材交換にとっては、障害以外の何ものでもない。
たとえば、傷んだ土台を取替えるには、軸部をジャッキアップして、傷んだ箇所を新材に取替えるのだが、アンカーボルトがあると、柱の「根ほぞ」+「ボルトの出」のジャッキアップを必要とする(いわゆる「伝統的な工法」では、「根ほぞ」分で済む)。
しかも、伝統的な工法では、取替えに際して、新材を水平移動して取り替えることができる「継手」(「台継ぎ」「金輪継ぎ」)も用意されているのだが、アンカーボルトがあると、水平移動の邪魔になり、この「継手」を使うことはできない。
どうしてもアンカーボルトにこだわりたいのなら、この取替えを容易にできるボルトを考案すべきなのだが(捻じ込み式のボルト)、その気配もまったくない。

ホールダウン金物に至っては、柱脚補修・取替えの邪魔になるだけ。

とにかく、補強金物は、改造はもちろん部材交換をまったく考慮していない。
実際、現実に、補強金物オンパレードの建物は短命である、という事実を直視していない!何のための補強なのか?耐久力補強のためではなかったのか?こういうのは、自己矛盾の最たるもの。

さらに、多くの場合、補強金物使用の工法では、それらが隠蔽されるのが常。いわゆる《断熱材》の使用にあたっては、ようやく壁内結露が問題視されるようになったけれども、補強金物面への結露現象については、まったく考慮されていない。考慮されているのは、金物の防錆だけ。金物が錆びなくても、木部は結露で傷んでくる。

つまり、長期耐用住宅の物理的長命を保証するには、増改築を可能にし、かつ、部材交換を可能にするような「建築法令の真の意味の改訂」が必要不可欠だ、ということ。
もっと言えば、《机上で考案される》細かな規定などの法令は一切不要、現場に任せなさい、ということ。
そうすれば、「現場の質」「技術者の質」も自ずと向上する。
近世までの技術の展開・その歴史を直視しよう。国家が、技術に対して机上の論理で口を差し挟んだことなど、一度もない、と言ってよい。
何よりも、そうすれば、不用な人員の削減に連なるではないか・・。

   註 そしてさらに追加すれば、「高気密・高断熱」という
      「いかさまな理論」の呪縛からの解放も必要だろう。
      高気密・高断熱にして、四六時中換気扇をまわす、という
      バカラシサからの脱却、ということ。

次に「長期耐用住宅用のローン」について。

この施策策定者には、長期耐用住宅をつくるには長期で返済するローンが必要だ、という妙な錯覚があるようだ。つまり、100年住宅だから100年ローンが必要!?
なにもそんなに気張らなくても、通常のローンで、増改築可能・部材取替え可能∴長期にわたって暮せる建物、をつくることは簡単にできる。何を誤解しているのだろう。
あるいは、ことによると、「長期・・・」に名を借りて、「〇〇ローン」という新金融商品の創設が目的だったのではあるまいか(今こそ問題になっているが、アメリカ流のサブプライムローンの創設が頭にあったのでは)。要は、新しい金儲け話・・・。

「不動産取得税、固定資産税の軽減」について

前に書いたが、木造に限らず、日本の住宅が中古、つまり社会的財として、継続できなくなっている最大の理由は、固定資産税の高騰と、なによりも相続税の高さにある。相続税について、策定者は何も触れていない。取得税などは、それに比べれば小さい小さい。
これら税金支払いのために、日本の住宅、というよりも住宅の建っている土地の細分化が進み、中古も何も、建物は消失してしまうのだ。
つまり、日本の住宅を社会的財として長命化させる、最も優れた策は、地価上昇を善とする政策・発想:地価上昇=地域経済力の上昇、という思考、から脱却することだろう。
その点でも、土地は天からの預かりもの、との考えに拠る江戸時代の経済政策、土地政策は優れていた、と言わざるを得ないのである。

つまり要約すれば、日本の住宅が短命になったのは、現行の国家の「政策」のゆえなのだ、ということの認識が必要ではなかろうか。小手先の策で、なんとかなる類のものではないのである。

   註 かつて、自然との調和が歌い文句だった筑波研究学園都市で、
      それとまったく逆の方向の「開発」が進んでいる。
      かつて、公務員宿舎であった一帯の数十年経過した樹林を
      根こそぎ伐採し、一戸の敷地50坪の「庭付き戸建て住宅」が
      売り出されている。
      目の前に隣の家の壁が迫り、いったいどこに庭があるの?と
      問いたくなるその「ものすごさ」については、いずれ写真で
      紹介したいと考えている(営業妨害になる?)。
      なぜこの田園地帯で50坪なのか?地価が高騰したからである。
コメント (4)
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失敗の修復で得たもの・・・・筑波第一小体育館の補修

2008-02-28 11:27:53 | 建物づくり一般
[字句修正:18.26]

昔撮った写真の整理中、筑波第一小体育館の補修工事中の写真が見つかった。

この体育館は1987年3月に竣工しているが、翌年の秋、上掲上段の写真のように、いささか無残な姿になっていた。軒先は波打ち、破風も狂っていた。それが、写真に拠ると1988年11月のこと。
これについては、2006年10月18日の記事(http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/42a1da660760328cf34d5fc9f10adf2e)で、「雪止板」の取付けでなんとかなった旨、顛末を記しているが、そこで触れている「雪止板」取付け工事の工事中の写真が出てきたのだ。
その記事では、竣工1年後に「雪止板」を軒先に取付け狂いが収まった、と書いているが、それは私の思い違い、写真を見ると「雪止板」の施工は1992年、つまり竣工5年後だったようだ。
記録なしの記憶だけ、というのは怖いことだ!

そこで、その間の経緯を洗い直す作業をしてみた。

この工事は、思いもかけない大雪で、屋根の雪が滑り落ち、少し離れた隣地に飛び込み、畑の作物に被害を与えてしまったことを契機に行うことになったもの。
4寸5分勾配の鉄板屋根、おまけに登りが長いから、いわばジャンプ台、雪がたくさん積もれば滑り飛び出すことは予想できた。しかし、雪がそんなに降るとは考えもしなかったのである。

しかし、この雪がいつ降ったのか、記録をとってない。
そこで、水戸気象台のデータでその頃の大雪を調べたところ、1990年2月1日に、水戸で27cmの降雪・積雪があったことが分った。筑波山では、おそらく、それ以上降ったと思われる。間違いなく、そのときに起きた事故だ。
これを機に、雪止めの話が出て、2年後、つまり1992年の夏休みに工事が行われたのだ。設計は前年度の秋以降だったのではないか。

88年11月の写真はなぜ撮ったか。
実は、この「雪止」工事の前に、既に、桔木応用の合掌が開いてしまい、その修復のために両妻側の合掌6本にタイバーを設けて開きを止める工事を施したのだが、上段の写真は、その予備調査の写真。タイバー取付けは、学校が休みのときだったから、それは多分89年の春休みだったのではないか。

しかし、タイバーでは、完全に狂いを止めることができず、以前ほどではないが、92年の段階でも、軒先には不陸が生じていた。
その不陸の様子は、「雪止板」取付け中の写真①②④で、合掌(垂木)に取付く腕木の位置が合掌ごとに異なっていることで分る。
合掌の軒先端部を押上げたり、引張ったりして一定程度まで不陸を修正し、「雪止板(セキ板)」を腕木に取付けることで、結果として以後の変形を押さえることになった。
いわば怪我の功名である。
なお腕木、「雪止板」(250×90の溝型鋼)とも耐候性鋼を使用。

なぜ合掌に不陸が生じたか。
これは前にも触れたと思うが、@3尺1寸の合掌相互をつなぐのが、厚1.3寸の野地板だけだったからだ。これだけの太物を、野地だけでつなぐのは無理。やはり、合掌に見合う寸面の材で、合掌相互を結ぶのが正統な方法だろう(猿橋や愛本橋のような桔木を何段も重ねて跳ねだしてゆくとき、桔木と桔木の間には、必ずあるピッチで、桔木に直交する「枕木」が入っている⇒06年10月14日記事http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/14ffe0221c56be212cd87134442f1d4f参照)。

狂いを押さえるもう一つの方策は、合掌の先端:軒先に「鼻隠し」を取付けること。浄土寺浄土堂や東大寺南大門は垂木の先端に「鼻隠し」が設けられているが、一説によると、素性のあまりよくない太物の垂木の狂い防止のためという(平安末~鎌倉時代には、古代のような素性のよい材料をそろえることが難しかった⇒06年10月20日記事http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/f15d72b45441166116cf7be0b4a0169b参照)。
そしてもう一つの策。それは細身の垂木で構成すること。ただ、細かい分、手間がかかる。

後で考えれば至極あたりまえなことが、事前に分らないとは何たること!


なお、この「雪止板」方式は、信州の「本棟造」の軒先:「セキ板」を参考にした(ex 07年5月24日記事http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/b1cceff176f783b66cf4e8c161bb7a55島崎家の軒先)。
屋根を下ってくる雨や雪は、「セキ板」にぶつかって、真下に落ちることになる。

   註 通常鉄板屋根の雪止は屋根面の軒先に雪止を植え付けるが、
      このような大屋根では、屋根葺き板を破損してしてしまう。 

実は、この「雪止板」を取付けた後では、94年の20cm、06年の17㎝というのが大雪の部類(水戸気象台)、そのときの実際の効能のほどは確認できていない。とりたてての便りがないから良い便り、と思っている。

結局、耐候性鋼の「雪止板」は、雪止めだけでなく、思ってもみなかった「鼻隠し」の働きをしてくれたのである。

   註 ある大工さんに、材寸の大きい垂木の場合は、
      「鼻隠し」を付けた方が無難、と教えられた。

また、写真では分りづらいかもしれないが、越屋根の開口部:嵌めころし窓部分は、ガラスを枠の芯に納めていたため、吹き降りのとき雨水が浸入、その対策として、雪止工事と同時に、開口全面にわたって、ポリカーボネート板を前面に吊り下げた。
こういうところでガラスの芯納めは禁物だということを認識していなかったのだ。

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