glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

2016-11-30 08:06:58 | 雑感
 雪が降ると私は妙に元気になります。それは私の誕生と深くかかわっているからかもしれません。私の生まれた日は3月には稀な大吹雪だったそうです。母が産気づいたので町の産婆さんの所に兄が迎えに行ったところ、産婆さんは隣村に出かけていなかったそうです。長兄と長姉は綱で体を繋ぎ、スキーを履いて隣村に産婆さんを迎えに行きました。ところがその産婦さんは難産で産婆さんはとても母の出産には間に合いそうもない。
 昔はどこにでも取り上げ婆さんという人がいて出産を手伝っていたそうです。私の町にもそんな人がいたのだそうです。その方にお願いするように言われてその家に・・・。
 ところがそのお婆さんは中風にかかっていて体が動かない!幸い口は利けたそうで、息子のお嫁さんが彼女を箱橇に乗せて我が家へ。彼女の指示に従って父は洋バサミを分解して磨ぎ、熱湯で消毒し、私が生まれてくるのを待ったそうです。父は取り上げ婆さんの指示に従い、生まれ出た私のへその緒を2ヶ所縛り、脈が無くなるまで待ち、それから私と母を切り離したそうです。
 1週間後、産婆さんが様子を見に来てくれて体重を計ったら1貫目(約3800グラム)あったそうですから、多分出産時は4000グラムくらいあったろうと云うことでした。

 居間では2歳の姉が‘生まれたら可愛いだろう’と歌い続けていたそうです。その後の出来事も含めて、吹雪になるたびに何十回も聞かせれ、吹雪と寒さの中で生まれてくる自分を私は自分で見ているような錯覚を覚える程でした。
 そうして生まれた私が本当に可愛かったかということは疑問です。私は天の邪鬼ですから、まだしゃべれるようになる前から、他の人が頼もうとすることといつも逆なことをしていました。
 後年、次兄の葬式の後、従兄に誘われて母の実家に行きました。彼が云うには‘○ちゃんは可愛かったね。まるで金太郎さんのようだった!’。 私は笑ってしまいました。
 従兄にとっても私の生まれたころのことは忘れられない記憶と繋がっているようです。彼には私と同い年の弟がいます。私が生まれた時を同じくして彼の母親が急死したのです。彼の弟の世話をだれが見るが決まるまでの間、母は私を連れて実家に滞在し、ふたりの赤子に授乳していたとのことでした。
  
 私は父の厄年に生まれたそうで、厄年の行事など私の出生には色々な話が付きまといます。雪は私にいつも家族の会話を思い起こさせます。
コメント (6)
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