glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

社会主義体制が人の心に落としたものはなに?

2010-07-15 09:50:12 | エスペラント
大会終了した日の午後ツアーの仲間達でモンゴルエスペランティストの案内でウランバートルから3キロほど離れたザイサン・トルゴイと呼ばれる丘に登りました。市内全域が見下ろせます。
 風の強い頂上には城壁が有りました。壁には第2次世界大戦の勝利を祝う絵がたくさん書かれていました。南面の山肌はみどりですが、北面は灰色です。これは自然に生えた木々だそうです。もし、人が手を加えて植林したらもっと木々が育つのではないかと思いました。その景色はどこか投げやりな感じを与えました。
 下の緑のステップには多くのゲルが有りました。ここで人々が生活しているのではないのです。これは金持ちの別荘で快適に夏を過ごし、冬はここに寝泊まりしてスキーをするという事でした。ゲルはモンゴル人にとって気候に適した住処の様です。

              日本の旗を引き裂く壁画

 丘を下る時結婚式を終えたばかりの夫婦と付添人に会いました。ちょっと不思議な感じでした。でも、これが彼らの新婚旅行なのでしょう!
 昨年、ドイツであったエスペランティストの話を思いだしました。彼は東ドイツで暮らしていました。みんな平等に生活していると信じていたというのです。なぜなら離れた地域を訪ねるには交通手段がかけていましたし、汽車での遠距離切符を買うには許可が必要でした。町の中での暮らしはみんなおんなじでした。親戚、友人達も似たり寄ったりの生活をしていました。自分達と違った裕福な暮らしをしている集団があるなどと考える事も無かったというのです。
 多分牧場で飼われている家畜が、好きな場所で草を食み満足しているのと同じ事です。

 社会主義体制とは規制の中での自由だったろうとと東ヨーロッパの人の話を聞くと強く感じます。モンゴルでも覇気のなさを感じました。

 実はスリに会いました。モンゴルの交通事情は悪く、人も車も全く信号を無視します。ですから団子になって渡らなくてはなりません。10数人団子になって大通りを渡っている時私の周りを蝿のように動く若者がいました。身体に障られたような感じがして下を見るとウエストポーチが口を開いていました。思わず『泥棒と!』と2度大声で叫びました。私達はまあだ車道にいました。背後ではもう沢山の車が動いています。それなのに全員が止まれの号令を聞いたようにぴたりと同時にと止まったのです。そして一人が変な動きをしたので、連れがそのシャツを捕まえました。その青年は私の財布を歩道に放り出して逃げだしました。
 被害はありませんでしたが、なぜ全員が止まったのか不思議な光景でした。この現象は何なのか今でも不思議です。
 
 エスペラントを通して私は世界を多面的に見れるようになったとこの言葉と出会えたことを嬉しく思っています。


      
     丘を登る結婚式を終えた二人と付添人。
コメント
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