ヴァシュティラスはストックホルムと湖で繋がっています。その距離100キロと言うことでした。初めここへ行く予定はなかったのですが、施設探しをしてあちこち便りを出していたら、この地のエスペランティスト、ウィンとグニッラが遊びに来いと声を掛けてくれました。グニッラは身体的にも知的にも障害のある息子がおり、また織物をしてました。
エリザベス・オーバン夫妻の所には4泊したのですが、滞在が短いので忙しいと言われました。独身のMsan はいつも夏の終わりとクリスマスに3週間滞在するのだそうです。母屋に余分な寝室が1つしかないので離れに夏用として10畳ほどのログハウスが建ててあり、ベットが二つ入れてありました。今度来るときはもっと長く滞在しなさいと説教めいた事を言われ3人に送られて汽車に乗りました。
汽車の中では焼津にペンフレンドがいるという若者が声をかけて来て、自分もヴァシュティラスに行くからとストックホルムでも私がホームを間違いないように案内してくれましたし、ヴァシュティラスでおりてからも、ウィンが来るまで自分を迎えに来た人と一緒に私と一緒にいてくれました。エスペラントしか喋れない私にも、なぜか彼らの喋る英語がわかるのです。英語を喋れない私はうまく答えられないのでちょっと残念でした。
私は反英語論者ではないので簡単な英語が話せたら良いと思いました。ただ、日本人がどんない頑張って英語を勉強しても、英語で自分を主張し、外国人と議論しあう事ができるほど上手になる人は日本人の数%に過ぎないだろうと言う思いがあります。それなら、同じ土俵で話し合い、時には議論しあえるエスペラントのほうが有効だと思うのです。そんなわけで英語は中学から、大学まで授業を受け、若い時には仕事のために英語の専門書を読んだのですが、この40年の内に構文はおろか簡単な単語さえ忘れてしまいました。もはや英語を復習時間は私に残されていませんし、エスペラントで海外の人たちと交流を重ねるより方法はないと硬く決意をしているのです。
ウィンは手紙で、私を primitiva domo(原始的家)に泊めると言っていました。長靴下のピッピが好きな私は映画で見たゴタゴタ荘を想像していたのですが、なんとそれはキャンプ場のテントでした!
広い敷地にキャンピングカーが点在し、配線は空中には見えないのに、所々の木にコンセントがぶら下がっています。多くのスウェーデン人は夏の数週間このようなキャンプ場で過すのだそうです。欲しいものがあっても、買い物い行きたくなければ事務所に頼んでおくと取り寄せてもらえるので、ただただのんびりと過せるそうです。シャワー場と手洗いは少し離れた所に男女に分かれて建っており、かなりの人が同時に使用できる環境でした。
私たちのテントの隣はウィンに言わせるとヴァシュティラスにおける『エスペラントの敵』の友だちだそうで、声をかける時も『amiko de malamiko de Esperanto』(エスペラントの敵の友人)と呼んでいました。かれらは家族4人でした。3週間滞在しており、後1週間いる予定だと言うことでした。理由は水が冷たくなってきたのでもう泳げなくなるからとのことでした。ヴァシュティラスでは、夏中テント暮らしで、休暇が無くなるとテントから勤めに行く人もいるそうです。
ウィンはポーランド人を迎えに行くと出かけました。私はひとり湖に行きました。鴨です!10羽ほどの鴨が一列に並んで数メートル先から飛び立ちました。丸々と太った鴨。その大きさは『鴨とり権兵衛』さんの話はあながち嘘ではなかったのではと思えるほどでした。
つづく!
エリザベス・オーバン夫妻の所には4泊したのですが、滞在が短いので忙しいと言われました。独身のMsan はいつも夏の終わりとクリスマスに3週間滞在するのだそうです。母屋に余分な寝室が1つしかないので離れに夏用として10畳ほどのログハウスが建ててあり、ベットが二つ入れてありました。今度来るときはもっと長く滞在しなさいと説教めいた事を言われ3人に送られて汽車に乗りました。
汽車の中では焼津にペンフレンドがいるという若者が声をかけて来て、自分もヴァシュティラスに行くからとストックホルムでも私がホームを間違いないように案内してくれましたし、ヴァシュティラスでおりてからも、ウィンが来るまで自分を迎えに来た人と一緒に私と一緒にいてくれました。エスペラントしか喋れない私にも、なぜか彼らの喋る英語がわかるのです。英語を喋れない私はうまく答えられないのでちょっと残念でした。
私は反英語論者ではないので簡単な英語が話せたら良いと思いました。ただ、日本人がどんない頑張って英語を勉強しても、英語で自分を主張し、外国人と議論しあう事ができるほど上手になる人は日本人の数%に過ぎないだろうと言う思いがあります。それなら、同じ土俵で話し合い、時には議論しあえるエスペラントのほうが有効だと思うのです。そんなわけで英語は中学から、大学まで授業を受け、若い時には仕事のために英語の専門書を読んだのですが、この40年の内に構文はおろか簡単な単語さえ忘れてしまいました。もはや英語を復習時間は私に残されていませんし、エスペラントで海外の人たちと交流を重ねるより方法はないと硬く決意をしているのです。

ウィンは手紙で、私を primitiva domo(原始的家)に泊めると言っていました。長靴下のピッピが好きな私は映画で見たゴタゴタ荘を想像していたのですが、なんとそれはキャンプ場のテントでした!
広い敷地にキャンピングカーが点在し、配線は空中には見えないのに、所々の木にコンセントがぶら下がっています。多くのスウェーデン人は夏の数週間このようなキャンプ場で過すのだそうです。欲しいものがあっても、買い物い行きたくなければ事務所に頼んでおくと取り寄せてもらえるので、ただただのんびりと過せるそうです。シャワー場と手洗いは少し離れた所に男女に分かれて建っており、かなりの人が同時に使用できる環境でした。
私たちのテントの隣はウィンに言わせるとヴァシュティラスにおける『エスペラントの敵』の友だちだそうで、声をかける時も『amiko de malamiko de Esperanto』(エスペラントの敵の友人)と呼んでいました。かれらは家族4人でした。3週間滞在しており、後1週間いる予定だと言うことでした。理由は水が冷たくなってきたのでもう泳げなくなるからとのことでした。ヴァシュティラスでは、夏中テント暮らしで、休暇が無くなるとテントから勤めに行く人もいるそうです。
ウィンはポーランド人を迎えに行くと出かけました。私はひとり湖に行きました。鴨です!10羽ほどの鴨が一列に並んで数メートル先から飛び立ちました。丸々と太った鴨。その大きさは『鴨とり権兵衛』さんの話はあながち嘘ではなかったのではと思えるほどでした。

つづく!