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生きること:過去と未来とエスペラントと

50代からのエスペラント

2005-03-26 08:50:20 | Weblog
 先日、フランス人夫婦を伴った友人と駅で出会いました。この夫婦は数年前、私たちの輪読グループを訪れたことがあったので、挨拶と短い会話をしました。彼女は日本語で、昨日は空港まで迎えに行ったので大変だったとささやきました。
    
 彼女はもうすぐ70才で、独身です。40代で夫が病死し、ひとりで3人の子どもを育て上げました。本人が専門職に付いていたこと、夫が生命保険に入っていて、かなりの額の保険金を残してくれたので、3人の子どもを無事大学まで行かせることができたと言うことでした。
 定年まで数年を残して、それまでの自分の人生は働くことと子育てについやされ、自分個人の生活が無かったことに気付き淋しくなったそうです。子どもたちにも、何か趣味を持ってくれないと俺たちも困ると言われました。健康食品で知り合った友人にそのことを話すと、友人が自分達のエスペラントグループに誘ってくれました。彼女はそれまで、エスペラントが何かも知らず、エスペラントという言葉すら耳にしたことが無かったと笑いました。そして、老後孤独にならない為にエスペラントを始めました。その時、もう58才でした。60才になった時は嬉しかったよ、これで自由になれると感じ、再就職を模索する同僚を尻目にさっさと退職したと語っていました。
 昨年は友人と二人で、このフランス人夫妻の元に滞在し、その後、ヨーロッパを数ヶ国旅してきました。

  

 最近、定年と共に、あるは定年を前にエスペラントを始める人が多いのです。数ヶ月、数年のずれはあっても、夫婦でエスペラントを学習し、世界エスペラント大会のツアーに参加し、1週間の会期期間に行なわれる様々な遠足に参加する人が増えています。エスペラントは平和の言葉、遊ぶためだけに参加するのは不遜とおっしゃる方もいます。でも私は思うのです。平和を支えるのは相互理解である。本当に平和を支えることができるのは、国家間の条約や国際協約ではない、庶民間の友情と信頼が無ければ、それはただの紙切れになってしまうだろうと。初めは片言のエスペラントで参加しても、友人を見つけ、必死で自分を語るうちに、民族の違いが人間としての違いでない事を肌で理解してゆくのだと。

  
コメント (5)
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