「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

太鼓踊系しし 踊り編後編

2014-06-26 11:08:47 | 郷土芸能

とある論稿によると仙台藩 には八幡堂系、桃生野系、屋代郷系三系統のしし踊りがあり、

そこから派生したもののうち、岩手県南部には、行山流、金津流、春日流などの分派が多く伝えられているようだ

この分派が明確なのは踊りが伝授される場合、巻物と云われる免許皆伝?が与えられ、

それを代々大事に保管しているからにほかならない。

幕踊り系にも巻物は伝わっているが、明治以降、この免許皆伝方式は無くなっているようだ

 

さて、踊りも後編

 

金津流石関鹿躍

伊達藩士犬飼家に伝わる踊りを宮城郡国分松森村の源十郎が伝授され、

安永8年(1779)源十郎から石関村小原吉郎冶に伝授と配布資料にあります

 

上記の犬飼家関連は他に鶴羽衣鹿踊があり、慶長12年(1607)七北田の藤九郎から万吉に伝えられ、

後に仙台藩御境御番所に赴任した犬飼清蔵から3代目万吉が享保3年(1718)に改めて伝授された

と、「百鹿繚乱えさし鹿踊図鑑」に記されています

 

弓術、銃術で仕え俸禄120石の犬飼家には七北田八乙女に在郷屋敷があり、

寛永の頃、清蔵が江戸は三田の八幡社の分霊を移した屋敷神があり、その神社は今も残っているようだ

 

さて、その石関さん、太鼓踊系しし踊りに興味を持つきっかけとなったのが、ここの中立さん

遠野の幕踊系しし踊りの歴史を探っていた私が、しし踊りを検索すると、あちらこちらにその方のコメント

 

太鼓系のマニアや馬鹿と自称するほどのしし踊り好きには驚くばかり

どこか撮り鉄・乗り鉄さんに近いものを感じる 笑

 

太鼓の音、唄声、踊りのキレとも抜群で、細かなところまで練習でチェックされていると感じさせる

 

バイパスにも太鼓の音が聞こえたというこの日

ホームグランドにいながら、どこか県南地域でしし踊りを観ているような錯覚を覚えた

 

投げ草の歌詞がわからないので、紹介できず 笑

 

石関鹿躍の重鎮と思しき方、とても、味のある風貌がなんとも云えずgood!

 

そして、この日のトリ

 

行山流湧水鹿踊

 

追集(おいあつめ)

資料その他を見ると

慶応2年(1866)佐々木多郎が友人二人と家にあった鹿踊道具2組を用いて踊ったという伝承があり、

明治29年(1896)佐々木作治が2代目の中立を受け継ぐ。仲間は15人ほどだったとのこと。

 

明治30年頃(1897)江刺の梁川で行山流鹿踊が舞われていることを知り、指導を受け奥義を伝授される

 

慶長2年(1597)野手崎村久田に住む吉郎兵衛、仙台城下八幡堂踊大将佐藤長兵衛より行山流鹿踊を伝授され・・・

これは作成者年月等不明として湧水に伝わっている

 

湧水のルーツとなる久田鹿踊の資料を見ると、伝承の始まりは慶長4年となっており異なるが、八幡堂の件は同じ

仙台市教育委員会編「仙台の民俗芸能」によると

仙台市大崎八幡の別当寺龍宝寺の塔頭東光院が藩内の鹿踊と剣舞、田植踊り等の庶民の芸能を管理しており、

東光院の踊の大将「藤九郎」が仙台市泉区の福岡鹿踊・剣舞の祖と記されている

気になるのが、これらと犬飼家の関わりで、

七北田には犬飼家の在郷屋敷があり、そこに藤九郎がおり、八幡堂門前にも「藤九郎」、

では、犬飼家の本来の屋敷は城下のどこにあったのだろう?

武門で仕えた犬飼家と八幡堂踊大将との関係は?

(仙台藩士であれば家臣録があるはずなので、調べてみる価値があり)

ちなみに「藤九郎」という名前は田植踊りやえんぶりの登場人物の名前にもある

 

踊りは、追集にふさわしく、坊主(子供たち)が鹿を集める

坊主と云えば、先日、東北学院大学論集に興味深いものを見る

「大名正室の領国下向と奥向」という表題で、伊達一関藩8代藩主の養祖母宣寿院が江戸から

一関にある夫の墓参に行った時の様子が記されている。弘化4年(1847)のこと

その中に滞在中の様子を描いた絵があり、宣寿院が家臣と共に獅子踊を見ているシーンが出てくる

論文では、「舞川獅子踊」が披露したとあり、

絵には、しし9匹、ししの前に道化役、その他、正座し二人

(ネットで検索できます)

現在の舞川の構成とは異なるように思えるが、この絵の実物は一関市博物館所蔵とのこと

 

踊りも最後、「投草を投げたるお人の心なつかし・・・」

 

太鼓踊系の中でも岩手では久田鹿踊と湧水だけが坊主と笛が別に付く

貴重な構成だということを遠野の皆さんに知ってほしいところです

今回は仙台藩縁の鹿踊りを堪能したわけですが、山形にも多くのシシ踊りがあるようです

その形態は3匹のもの、それ以上のもの、太鼓踊り系、幕踊り系と多彩であり、

いまだ、その歴史についての文章を学んでいないので、そちらも興味津々というところです 笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます^_^ (鹿踊マニア)
2014-06-26 12:02:44
由来も様々ですが、近年見つかった石関の巻物によれば、享保10年には踊られていたことが書かれています。鶴羽衣さんの由来にはかなり無理があり、明確な伝書等もありません。犬飼家で御境番所に赴任したものは犬飼清蔵長明ですが、赴任時期は寛政元年です。 鶴羽衣さんは本来奥山上山流であり、文化11年に金津流の巻物を譲られ、金津流になったことが調査でわかりました。 さて、2年後の湧水さんの式典が楽しみです。今後ともお互い刺激を受けあい、芸能の素晴らしさを発信したいと思います。
返信する
しし踊り (笛吹)
2014-06-26 13:34:16
鹿踊マニアさんへ
先日はお疲れ様でした!
犬飼さんと八幡堂には興味津々です。笑
南部藩士のおおよそのことはネットにも出ているので見当はつけやすいのですが、
仙台となるとなかなか・・・です。
伝承通り100石以上の禄高であれば、必ず、何かこん跡があるはずです。

と、すぐ図に乗る笛吹です。笑
返信する
八幡宮の縁 (はやと)
2014-06-26 23:24:02
これも八幡宮の縁ですね!
太鼓系の鹿踊りを動画でみて動きのユーモラスさに惹かれたのが 確か 案山子の演目でした。なんかかわいらしくて。
そして八幡宮の縁といえば 笛吹どんの
遠野郷八幡宮での鹿児島県人遭遇率、異様に高くないですか?(笑)
九州の最南端の しかも福岡か伊丹での飛行機乗り継ぎか、羽田経由の飛行機と東北新幹線乗り継ぐか、それでも花巻からさらに1時間かかる、 鹿児島から1300kmも離れた遠野の八幡宮で この半年あまりに3人目の鹿児島県民に出会うとは、、、

私もびっくりしてます。
返信する
しし好き (姫猫)
2014-06-27 06:05:45
しし好きとはいえ、恐れ入ります。
鹿踊りを極めるには、そのうち宮城や山形にも出張しないとダメでは?
返信する
お早うございます (羚英)
2014-06-27 08:34:22
しし踊りのルーツは複雑で紐解くのも大変そうですね。
時系列で照らし合わせてもあちこちで矛盾があるそうですし。
舞川さんの輪違紋ひとつとっても、なかなかその由来が分かりませんもん。

とらねこさんにもお願いしているのですが、こちらの鹿踊りの一連の記事をリンクさせて頂いてもいいでしょうか。
よろしくお願いしますm(__)m
返信する
八幡 (笛吹)
2014-06-27 08:55:10
おおすみはやとさんへ
云われてみれば、八幡さんが元になってますね!
鹿児島県民は八幡さんに特別な何かをお持ちなのでしょうか? 笑
冗談はさておき、3万人弱しかいない町の観光客向けのイベントでもないのに、はやとさんと同郷の方にお会いでき、こちらもうれしい気持ちになりました。
返信する
郷土芸能 (笛吹)
2014-06-27 08:58:40
姫猫さんへ
しし踊り好きと云うと、今回参加された方々に失礼になります。
私の場合、郷土芸能好きと云って頂ければ幸いです。
今の時代、ネットで踊りもみられるので、AKBを見るように郷土芸能を見ている笛吹です。笑
返信する
衣装 (笛吹)
2014-06-27 09:03:38
羚英さんへ
後編はまだなの?と云われそうなので、仕事に支障をきたしながら、UPまで、こぎつけました。笑
今回は、しし踊りですが、どの郷土芸能を見ても、これは、どこから、いつ伝わったのだろうと考える笛吹です。
衣装については、時代とともに変化しているはずなので、
あまり気にしない不届きものです。
返信する
輪違 (鹿踊マニア)
2014-06-27 23:13:16
これは伊達式部より拝領せられし紋で7つ繋げて用います。舞川さんには装束に関して図が描いてある巻物があり、一つ一つ説明も書かれています。
返信する
鹿踊 (鹿踊マニア)
2014-06-27 23:25:34
鹿踊は鹿踊剣舞と鹿子神楽とに分けることができます。簡単にいうと仏事か神事かと言う事ですが…宮城県の原形が山形だとすれば、必然的にもとは3匹シシになるでしょう…仙台あたりの踊りから我々の踊りに進化したのか?となるとそれはわかりませんが、幕系と太鼓系の中間とも言える山谷の鹿踊とかの書物とかあれば面白いんですがね…。 もっと調査を重ねある道筋くらいはつくりたいものです。
返信する

コメントを投稿