先週、父の二十七回忌でした。
亡くなった日は最低気温が-15℃以下の寒い朝で、家の水道が氷ったのが忘れられません。
その時の父の年齢だけは越えたいと思いながら過ごし、やっと今年同い年。
無病息災、今年はそれだけが願いです。笑
さて、話題はがらっと変わり、隣町の住田町の民俗関係から
時代はわかりませんが、昔、住田町世田米で、床下をねぐらにしていた乞食が、
火事に気付き、鍋釜を叩いて、いち早く知らせたお蔭で難を逃れたという話を基に始まった行事、
それが「水しぎ」だということです。
時々愛妻からの紹介もあり、先日のお昼時に車を走らせ、世田米まで行くと、旧役場の辺りでこの一団に遭遇。
テレビの取材陣も来ており、しばらく、追っかけです。
世田米の家々を二組に分かれて回っているとのことで、「みっさいな!みっさいな!」の掛け声で、
その家の庭や玄関の中まで入り、大黒舞風の曲に歌詞を変えた唄を唄いながら、
手に持った缶を棒で叩きながら、廻ります。
中にはご覧のような貼り紙をし、廻った後は、お茶、お酒を振る舞う家もあります。
一団が去ると、ご覧のような方が、愛宕神社のものと思われるお札を家の方に渡し、
いくらかの御華を頂くようでした。
一人の方が手にしていた幟がこれで、火伏の御利益のある愛宕神社の行事でもあるようです。
小学校では校舎の中も廻り、子供たちは大喜びでした!
また、住田町役場や消防署も廻ります。
日本一の気仙杉の町を目指している住田町らしく、庁舎も消防署も木造です。
遠野でも、しばらく前までは、多少費用は余計に掛かりますが、様々な建物の木造化が進められていました。
近年は、トーンダウンしているような気がします・・・
この後のスケジュールをお聞きすると、おやつの時間辺りに世田米の中心部にある
古民家を改修した交流施設に集まるとのことで、一時、水しぎの皆さんとはお別れ。
本当は、風があまりにも冷たく、遠野人でも耐えがたいほどで、一時避難です。
避難先は、交流施設内にある蔵。
写真家田頭真理子氏の水しぎ写真展が開催されていました。
中に入ると暖かいお茶を頂き、田頭さん本人と思われる方もいらっしゃいましたが、
口下手なので話はできませんでした。汗
スケジュールどおりに集まってきた水しぎ参加者
この水しぎをする方たちは「水しぎっぺ」と呼ぶようで、この後はコンテスト。
奇抜な衣装や顔には化粧と、其々が工夫を凝らしての参加で、ちょっと見た目は男女の区別ができません。
参加者の中には、この日、朝一番の新幹線で東京から来た数名の方もあり、PRタイムの後は、
家々を回る時と同じように、「みっさいな!みっさいな!」
水しぎっぺの優勝者はこの方
看護関係の仕事をしているようでした。
最後は記念撮影をして、この後、また、町内を廻って歩くとのこと。
遠野より寒く感じた私は、ここで撤収。
水しぎ、昔は今回のような化粧等では無く、下帯に、おそらくボロの着物、もしくは藁を身にまとい、
顔には墨を塗って歩いていたのだろうと想像しながらの帰途でした。
父親の年齢を越えるのは間違いないようですね。
電子タバコに替えたからまだまだ大丈夫でしょう(笑)
「水しぎっぺ」、住田には珍しい行事があるんだね。
年数がこれだけ過ぎると、親父のことを覚えている人も少なくなってきました。
当然、我が家の子供たちは生前の姿を知りません。
電子タバコに替えたので、事故でもない限り、今年いっぱいは生きられるでしょうから、
親父の歳は超せそうです。笑