「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

日出神社&上郷まつり 四

2007-06-20 18:26:02 | 郷土芸能
 午前中でほとんどの団体が奉納すると午後からは上郷地区センター隣接農村公園にて上郷まつりとなる。

ゲスト出演 ●一関市 時の太鼓 顕彰会 ●



 「一関に過ぎたるもの、二つあり」と云われ、日本近代医学に尽力した名医「建部清庵」と「時の太鼓」。
 江戸時代、一関の田村藩主建顕公が老中に願い出て許されたもので、当時は、時を告げる手段は鐘を用いるのが一般的で、太鼓を打つのは皇居・江戸城・御三家のみだったという。



 その時に葵の紋の使用を認められたと解説があった。この田村氏は、元々、福島県田村郡を本拠地としていた一族であるが、南北朝期を経て、伊達氏配下となり、寛文2年(1664)宮城県三迫から岩沼に移り、天和2年(1682)に現在地に居住となる。三万石。
 この時の太鼓を継承しているのが「時の太鼓顕彰会」。好青年、淑女といった人達が出演し、アンコールの声もあがったほどの熱演だった。話によると陸前高田市の全国太鼓フェスティバルにも出演したほどの団体なようだ。



  ●平倉神楽●
 明治34年頃、宮守村塚沢の塚沢神楽から二代に渡って指導を受け、その時、幕及び権現様を頂いている。なお、塚沢神楽は大迫町岳集落に継承される岳神楽の弟子神楽であることから幕は向鶴となっている。第二次世界大戦中に中断される。昭和30年頃からは神社での神事のみ行なった。昭和60年頃、「しんがく」の復活をし上郷まつり、遠野郷八幡宮例祭に参加するようになった。平成12年からは東和町(現花巻市東和町)石鳩岡神楽の一ノ倉保氏を招き本格的に神楽の復活に取り組んでいる。

 私自身じっくりと神楽を観る機会が少ないが、平倉神楽の方々の真剣な取り組みは、素人ながらも感じるものが多い。ここにも、同い年の方がいて舞手として活躍している。一般的には、大きな祭りの場合、時間的な制約があって、通しの演目にはお目にかかれない。(これはしし踊りも同様)競演会等の場で研鑽に務めているようなのだが、できるものなら、素人にも演目の説明つきで通しで観れる場があっても良さそうだと感じたりもする。(再度、しし踊りも同じ)

 


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2 コメント

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思うようには (一如)
2007-06-23 02:49:21
 先般より、こちらへの※考え中なれど、あれもこれもと欲張り「二兎追うもの一兎も得ず」状態でござる(苦笑)
 後日、一つずつ※投入しますです(笑) いや、たいした内容ではないのだがね…
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 (笛吹童子)
2007-06-23 10:38:16
  一如さん:
 お手柔らかにお願いします。物部関連についてはお答えしかねます。笑
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