其れにつけても世田米は感じのいい町である。
山の裾の川の高岸に臨んだ、到底、大きくなる見込みの古駅ではあるが、
色にも形にも旅人を動かすだけの統一感がある。
と、かの柳田国男に云わせた住田町世田米
昨晩は、4年ぶりに夏祭りへ出かけてみました。
お祭りが始まる前の時間を宿場町だった通りを散策すると、一歩奥には、様々な形の蔵・・・
遠野では既に失われた風景を楽しむことができる町でもあります。
4時30分、開会式に続き、保育園の踊りでスタート
続いて町内に二校ある中学校から、まずは有住中学校のよさこい
そして世田米中学校のよさこい
以前、訪れた時には両校のエール交換があったが今回は無し
但し、以前同様に子供たちの表情がとても良いのは変わりません
地元若者によるミニライブに続き、今秋開催の岩手国体にちなみ、炬火イベント
その後は、次々と、団体の披露となります。
「月山よさこい鹿」と名付けられた下有住高瀬の団体
太鼓系鹿踊の太鼓を使用していたので訊ねると行山流月山鹿踊り(別名:高瀬鹿踊り)で使用するとのこと
文化7年に江刺の伊手村に出稼ぎに行った下清水の忠吉が、地の神屋敷の遠藤金蔵から伝授され、
大正時代まで踊られ、後、休止し、近年復活。
以前はお盆の15日に高瀬長桂寺で踊った後、庭元・各家々を廻ったとのこと。
鳴瀬太鼓
元々は商工会婦人部で始められたもののようです。
この夏祭りは観光協会創立と同じく50周年となるそうです。
金津流外舘鹿踊り
宝暦年間に上有住、中村屋敷の甚内が始めた江刺系の鹿踊り
後の天明年間に下有住平治、幾松、宇作が復活させ、また、休止し、
昭和34年に宇南田の柏崎善七、神田の高橋盛助らから若者たちが習って復活したとのことです。
辺りがすっかり暗くなってきました。
通りには今年オープンした「まち家 世田米駅」の建物
駅という名称は、世田米にある「駅」という地名に因んだものと思われます。
その「駅」が鉄道の「駅」ではなく、年代は、わかりませんが、人や物の中継地を「駅」と称した名残でしょう。
町内のご婦人方による道中踊り
この時期は気仙地域で見られる女性の手踊りです。
高校時代ブラバンでフルート?だった同級生Kさんを見つけました。
あれからおおよそ40年、お互い変わりません。爆笑
8時近く、踊りも終わり、お菓子と餅撒きとなり、通りにいた人は気仙川に移動
静かになった通りにはご覧のような飾り
七夕ともお盆の物とも思われる提灯飾り、遠野でも8月初めからお盆の時期まで飾れば、良い雰囲気かと・・・
さて、通りのすぐ隣りの気仙川、五葉山火縄銃鉄砲隊の演武です。
これが終わると小さな花火大会となり、住田町夏祭りが終わります。
何度か訪れているこの夏祭り、年々出演者も見る人も減ってきている印象ですが、
内容を少しずつ変えながらも継続していることに拍手です!
娘たちが小さい頃まで何度か一緒に見たことを思い出しながら、今は一人で見る笛吹です 笑
個人的には火縄銃鉄砲隊、これにつきます・・・とご婦人の方々の手踊りですね・・・(-_-;)
その懐かしい顔を教えてくれたのは、時々愛妻でした。笑
手踊りや鉄砲隊を見るために4,5時間も世田米にいる覚悟があれば、毎年、見られますから、ぜひ、どうぞ!笑
メデタシメデタシ・・・
自分は昨日、大迫の早池峰神社の宵宮に行って参りました。釜石のあの方をはじめ近郷の神楽団体の方も見えてました。あの神楽殿の周りにいる神楽ファンの光景をいつか笛吹さんにも見せたいと思いました。今度の土曜日はお待ちしています(笑)
夕ご飯と肴になりそうなものを買い、食べてバタンキューでした。笑
決して行かないなんて世田米の人たちに失礼ですよ。
営業マンたるもの、もう少しやわらかい表現でお願いします。
そうでしたか、大迫の宵宮。
いつかは生で見たいと思いつつ、行けば、はまりそうで・・・笑
いかに記憶力が落ち、すり替えが上手になってるのか痛感です。
近いうちに「訂正およびお詫び文」を出さなければ(汗、、)
こちら世田米の夏祭り
地区の住民み~んなで盛り上げよう、って感じで
こういう庶民的なお祭り好きです!
なんか町の雰囲気・・・もしかしてわたしこの通り通ってるかも
また大きな勘違いかしら。。
遠野まごころネットから陸前高田の神田葡萄園さんへの往復の際、
住田町世田米を通っているはずなので
もしかしたら、旧道のこの通りも利用したかもしれませんね!