「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

欠ノ上稲荷神社

2006-11-18 13:56:20 | 稲荷
 遠野の市街地の東に、日枝神社がある小さな山が大日山。その山続きの北側にあるのが、欠ノ上稲荷神社。夜、市街地から、この山を眺めると1ヶ所だけ、灯があるところが境内となる。この神社へは、稲荷下の屋内ゲートボール場の北側から、石の鳥居をくぐって登るコースと、日枝神社から、北側へ通じる道路、遠野小学校そば児童館南側からのコースの3ヶ所を利用することになる。最短は、日枝神社コースで途中まで車でOK。
 子供の頃、秋には学校帰りにアケビ採りをしたり、冬は稲荷下コースの七曲と称する坂道での「そりんこ」乗り(ソリ遊び)等をした場所でもある。うん十年ぶりに行って見ると当時に比べ、参拝客が少ないせいか、さみしい感じがした。
 文禄年間(1592~1596)に、秀吉の奥州仕置により、各地に散った葛西氏の遺臣に欠下茂左衛門なるものがいた。氏は遠野阿曾沼に仕え、旧領石巻日和山から稲荷社を勧請し(現在地のより下に)、享保12年(1787)に現在地に移した。元々は、「欠ノ下稲荷」と呼ばれていたが、上に移したことで「欠ノ上稲荷」となった。山の北側にある早瀬川は、かつては、この山の縁を流れ、来内川と合流していたと言われ、その氾濫が原因で上に移したとのことだ。
 この欠下氏は誰なのか?苗字から探ってみても、見当たらない。遠野のこの地へ来て、地名から欠下姓を名乗ったのではないか。現在、この神社周辺には、3軒の中田姓の方がおられ、ちょうど、この地を守っているような配置のされ方である。遠野に数件しかおられない中田氏と欠下氏の関係は如何に。


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6 コメント

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裏口からおばんです (yamaneko)
2006-11-18 15:07:08
お懐かしゅう・・・と言っても裏口から侵入したのは半年前ですが・・・
欠ノ上稲荷の名前が特異で由来が気になっていましたが、そういうことだったのですね。
早瀬川の川筋が現在と違う・・・・今度伺ったときに遠野警察付近を見る目が変わってきそうです。
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稲荷下 (笛吹童子)
2006-11-18 21:44:17
 今から30年以上は、現在の遠野小学校から、北側は田んぼで、欠ノ上稲荷の鳥居前を通る、道が一本あるだけでした。
上組町の人達は、その鳥居をくぐって七曲坂を上がってお参りしました。早瀬川の堤防を築いた後に田んぼができ、減反政策やら区画整理によって、今の稲荷下の住宅地があります。
 私が小学校に入学前後に、母親が話していたことではっきり覚えていることがあります。上組町の何某という人が、朝、気がつくと体中、擦り傷だらけだったということです。あたりの人達は、きっと、欠ノ上のきつねに騙されて、一晩中、稲荷山を歩いていたんだと真顔で言っていました。
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一番古いお稲荷さんは? (romi)
2006-11-19 00:02:42
遠野で一番古い稲荷は何処なんでしょうか?
当地区の古老R吉の話。
欠ノ上稲荷より飯豊の大将洞稲荷が古いと言って居られました。
裏付けは聞いてませんが(口伝ですかねー。)
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お稲荷さん (笛吹童子)
2006-11-19 00:55:27
 口伝のものが多く、真相は不明ですが、細越勝氏「遠野の神々と民話のふる里」を参考にさせていただくと、上郷の赤羽根稲荷神社が古いもののひとつと思われます。天文年中(1532~1555)平倉千右衛門の創建とあります。誰が建立したものかが判明すれば時代を絞ることは可能かと思います。
 romiさんとこの大将洞稲荷のご神体も確か相当古いものですよね。あれは、何を祀っているんでしょう。(きつねの上の人物座像)
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稲荷様ですか (一如)
2006-11-24 22:19:43
早池峰神社末社20社のなかに稲荷社があります。妙泉寺文書に慈覚大師円仁が早池峰において妙泉寺を開基するとき弐拾末社を社辺及び村里において当山の鎮護と為す。とあります。稲荷様というと沢山ありすぎて、あてどがないように思っておりましたが、先日早池峰神社にいって見ますと簡単に解決。本殿に向かって左側に発見しました。早池峰稲荷と書いてありましたよ。 それと、笛吹童子さん前述の「きつねの上の人物坐像」、それこそが稲荷大明神ですね。何を持っていらっしゃいますか。稲束と如意宝珠か鎌のような物ですか。白い髭を生やしていますか。ちなみに大将洞稲荷を私は最近初めて見聞しましたが、どこにあるのかを知りません。何町の何地区にあるのかおしえてください。
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稲荷 (笛吹童子)
2006-11-24 23:38:21
 大将洞稲荷については、当ブログがリンクしているromiさんの「くさぐさ」の2006.3.26をご覧ください。土淵町飯豊地区の火防せ祭りの画像に詳細がございます。その中に、例のご神体がありますが、再確認したところ、両手とも破損しており、確認できません。地区在住の方に聞いてみる価値はありそうですね。
 
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