石鳩岡神楽交流会の会場には、遠野の神楽が演じられる時にも足を運んでくださる
釜石のK崎さんと花巻周辺にお住まいの方が駈け付けていて、いつものように挨拶したのですが、
その花巻周辺にお住まいの方に今回初めてお名前を教えて頂きました。笑
今後登場する際はEさんと呼ばせて頂きます。
交流会は石鳩岡神楽さんで式五番 山の神舞
面の色が赤いのは共通ですが、遠野山伏系と沿岸部の神楽は怖そうな表情をしているのに対し、
こちらは、どこか優しそうに見えます。
恒例のお菓子撒き
最前列に陣取った成果は、動かずとも集まってくるといったところです。笑
さて、最初に記したEさんから、先だって見た神楽に関する資料に遠野のこともあったと伝えられました。
綾織しし踊りの資料もまとめられた類家氏のものだったようです。
その中には山伏として「あべ」という苗字の方と三明院という山伏のことが触れられていたようです。
「あべ」姓で思い浮かぶのは綾織町の慈聖院という羽黒派の山伏の家系ですが、
もしかして修験廃止令後に「あべ」姓とした山伏が他にもあるのかもしれません。
ちなみに慈聖院周辺には現在、神楽は無く、集落の方々には伝えられなかった可能性が高いと思われます。
思い出しましたが、カッパ渕のお隣りもあべさんでした。
この家は奥州藤原氏やそれ以前の安倍氏の系統とも云われ、修験に関係する道具も伝えられていたと記憶しています。
以前にも前会長の山の神舞を観る機会がありましたが、今回も「若げしたずに任せるわけにはいかない」
と心の中でつぶやいているかのような舞
30分もの舞、観た甲斐がありました!
Eさんの話の続きですが、三明院が出てきました。
延享二年(1745)の南部領修験両派初代由緒書上帳には次のようにあります。
遠野横田村裏町 喜明院由緒
無録初代 三明院照仙 横田村八幡別当吉蔵坊弟子、俗姓相知不申候、坊号は吉善坊と申候
寛永弐年八月入峯官名三明院
二代 明寶院智善 三明院実子也 俗名は辻松、右八幡別当吉蔵坊弟子に罷成吉重坊と改名仕候
三明院は慈聖院と同じく羽黒派の山伏です。
正式には式六番となり、岩戸開きになりますが、この日は、平倉神楽さんの天降りの舞
先月、アメリカのアトランタ?やチャタヌーガでの公演を無事終えてきたようです。
荒舞系の演目は特にも好評だったとのこと。
さて、Eさんの話の続きに戻ります。
類家氏の書き物には、遠野の山伏の神楽と大迫町の早池峰神楽についての記述が含まれていたようです。
どのような内容なのか、かなり興味深々。
神楽が伝えられた詳細は不明としながら、現存する市内の山伏系神楽では
関係した山伏名が若干確認できる程度というのが実情といったところでしょうか。
気になると云えば、この方
今回も最前列で最後まで観ていました。
足踏みの音、私も目の前だったので、尚更、響いて良かったです。
皆さんの足袋の裏は黄色くなっていましたが。笑
漂白剤に漬けても完全に落ちませんでした😓
舞台は仮設とはいえ、立派な板でした!
あまり滑らない塗料を塗れば、足袋も汚れなくてすむかもしれません。笑