陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

季題 冬桜

2024年01月28日 | nonoka

冬桜を見つけました。厳寒のこの時期の吟行でこういう花を見つけると、なんか嬉しさが倍増します。

幸い名札がついておりました。「十月桜」とありました。晩秋から初冬にかけて咲く珍しい品種らしいですね。広く「冬桜」と言われるとありました。小ぶりな花をつけています。そこがまた心を打ちます。白と薄紅。蕾は濃い紅。このコントラストに見惚れていまいました。みんなもじっと見ておりました。

この冬桜の姿が心に映されて、そして心がそれに動かされると脳のシナプスに言葉が走り出します。言語にならぬ言葉がぐるぐるぐるぐると脳内を駈け廻り始めます。でも全然言葉というかたちにはなりません。焦ります。でも心は感動している。そしてやがて言葉が脳内からアウトプットされてくるのです。アウトプットされるには締切という期限が大きな役割を果たします。

まとまった言葉になるには、その精度には言葉の知識もいるでしょう。言葉の技術もいるでしょう。過去の経験知もいるでしょう。でも出来不出来はともかくとしてそのプロセスが楽しいのです。それもかなり苦しいから楽しいのです。苦しいときがあってこそ、それを潜り抜けた時に得る楽しさは何ものにも代えられません。私の経験で言えば、それはスキーもそうでしたし、乗馬もゴルフもそうでした笑(おいおい、そんなレベルの話か?笑)

その体験は或いはマラソンと同じかもしれません。俳句においても脳内ホルモンの「エンドルフィン」が放出されていると思います。

その後の句会ではいろんな佳句が生まれました。やはり心囚われてしたためる句は人の心を捉える力があります。推敲する時間もない吟行句ですがそれ故、言葉が活き活きと力を宿しています。粗削りだけれども躍動しているのです。

魚の刺身は熟成した方が本当はもっと美味しいけれど、取れたてを捌いた刺身の新鮮さは何ものにも代えがたい。それと同じですね。

この日は冬桜に感動した吟行句会となりました。水仙もあったけれど冬桜の存在感は圧倒的でした。日々新た、日々感動…。それこそが生きている証です。

寒桜空のまさをへ紅(こう)を解く

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