平安夢柔話

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風俗博物館 ~晩秋の京都へ2

2007-12-02 21:05:18 | 旅の記録
 風俗博物館では、六条院の春の御殿が4分の1の大きさで再現され、その内部で「源氏物語」の各場面が人形や調度品の模型で展示されています。ガラスケースに入った展示ではないので、とても身近に感じられます。

 今回の展示(2007年7月~11月)は、

朱雀院五十の賀の試楽『若菜下』より
紫の君の結婚『葵』より
葵の上の出産~六条御息所の嘆き~『葵』より
平安の美意識・かさねの色目
女房の日常~身嗜みと夏の贅沢~

という内容でした。すべての展示の写真を撮ることはできませんでしたが、印象に残った場面の写真を3枚、載せてみますね。

*なお、この展示は2007年11月30日をもって終了しました。もう少し早く旅行記をUPできれば良かったのですが、申し訳ありません。また、葵の上の出産の場面の、六条御息所の怨霊の写真を撮ることができなかったのも心残りです…。

 では、まず1枚目です。

 

 これは、髭黒の大将の四郎君、夕霧の三郎君、蛍兵部卿の宮の二人の皇子による「万歳楽」です。かわいいですよね~。光源氏の息子夕霧くんにも、一時光源氏の養女のようになっていた玉鬘ちゃん(髭黒の大将の北の方)にも、すでにこんな大きな子がいたのねと感慨深くもあります。

 この場面の設定を説明しておきますと、光源氏47歳の12月、六条院にて朱雀院五十の賀の試楽が行われました。朱雀院はすでに出家して西山の寺にいますから、五十の賀は当然、光源氏や朱雀院の皇女である女三の宮が出席し、西山の寺で行われます。そのため、賀に出席できない六条院の他の女君たちのため、こうして六条院にて試楽が行われたのでした。

 では、2枚目に行きますね。

 

 御殿の中にいる光源氏、夕霧、柏木、式部卿の宮(紫の上の父)です。舞も豪華ですが、登場人物も負けず劣らず豪華です。

 しかし、光源氏と柏木の間にはこのとき、気まずい雰囲気が流れていたのでした。

 この年の春、紫の上が病気になって二条院に移ったため、光源氏も紫の上につきっきりとなり、六条院を留守にすることが多くなっていました。その間柏木は、女房の手引きで六条院に入り込み、女三の宮と密通…、つまり長い間の思いを遂げてしまいます。その結果、女三の宮は妊娠してしまいます。

 そしてふとしたことから、柏木と女三の宮が取り交わした手紙が光源氏に見つけられてしまい、二人の密通は源氏の知るところとなります。
 そこでこの日、光源氏は酔ったふりをして柏木に向かい、「君はいつまでも若いわけではないよ。年を取るという運命には誰もが逆らえないものだ。」と嫌みを言います。柏木は罪の意識におののき、いてもたってもいられなくなります。やがて柏木は病気になり、まるで強い光にかき消されるように亡くなってしまいます。一見華やかに見える五十の賀の試楽ですが、人々の間ではこんな複雑な感情が渦巻いていたのでした。そんなことを考えると、柏木くんの人形、もの悲しく見えてしまいますね。

☆女三の宮と柏木のことについては、当ブログ内の「風俗博物館 ~京都1泊旅行2006年春2」もご覧下さい。

 では、3枚目の写真です。

 

 三日夜の餅を捧げる弁の君と惟光です。

 場面はがらっと変わって、紫の君の結婚のシーンです。

 光源氏22歳の10月、正妻葵上の喪が明け、光源氏は、10歳の時から手元に引き取って養育してきた紫の君(14歳)と新枕を交わします。数年間一緒に暮らしてきた二人ですから、女房たちは二人が新枕を交わしたことには全く気がつきません。

 ところで、平安時代の結婚は、新枕を交わしてから三日間、男君が女君のもとに通い、三日目の夜に「三日夜の餅」を食べ、正式に結婚が成立するということになっていました。
 源氏と紫の君が新枕を交わした次の日は、ちょうど10月の最初の亥の日、この日は無病息災を願って「亥の子餅(いのこのもち)」を食べる習慣がありました。そこで光源氏は従者の惟光に向かい、「今日は縁起の良くない日だから、明日、こっそりと祝いの餅を持ってきてくれ」、つまり子の子の餅(ねのこのもち)ならぬ三日夜の餅を用意してくれと謎かけをしたのでした。機転の利く惟光は事情を察し、見事に三日夜の餅を用意したのでした。おかげで紫の君は無事に三日夜の餅を食べることができ、源氏と正式な夫婦となったわけです。

 写真は、惟光と弁の君(紫の君の乳母、少納言の娘)が三日夜の餅を捧げているところです。このお餅、豆粒のように小さくてかわいらしかったです。人間を人形サイズに縮小すると、お餅は豆粒になるのですね。

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