平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
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出発 ~掛川城散歩1

2006-09-16 17:00:01 | 旅の記録
 大河ドラマ「功名が辻」では小田原攻めの放映が終了し、主人公山内一豊は掛川五万石の領主となりました。

 五万石の領主となった一豊が入ることになった掛川城は、私の住んでいる町から電車で約20分の所にあります。しかも、掛川城の天守閣を造ったのは一豊ですし、9月10日放映の「功名が辻」のエンディングでも紹介されましたし…。これは行くしかない…と思いました。

 と言うわけで、9月14日(木)に行くことに決め、準備に取りかかったのでした。実は私、掛川城を初めて訪れるのではなく、天守閣が復元されてから3ヶ月後の平成6年7月にすでに訪れているのですが…。それでも、天守閣の中に展示されていた一豊の鎧と再会したい、新しくできたという「千代と一豊の掛川館」にも行ってみたい…と思い、わくわくしてこの日を迎えたのでした。

 ところが、当日の朝はしとしとと雨が降っていました。雨だとお城の石段を昇るのがきついと思い、やめようかとも思ったのですが、やはり「行きたい」という思いが強く、掛川の友人に電話をして向こうの天候を聞いたり、静岡県西部地方の天気をチェックしたりしていました。友人の話では、掛川の天気はだんだん回復しているとのこと、天気予報でも「雨は昼前に上がる」となっていました。その通り、午前10時頃には雨もだんだん弱くなってきたようなので、「これなら大丈夫だ」と思い、行くことにしたのでした。

 私は、本日のカメラマン役のだんなさんと一緒に、11時前に家を出発しました。雨はまだぽつぽつ降っていましたが、ぬれるほどではないので一安心。

 さて、浜松方面行きのJRの普通電車に乗ると、間もなく、江戸時代に「超すに超されぬ」と言われていた大井川を渡ります。江戸時代には大井川には橋がかかっておらず、雨が降るとすぐに「河止め」になってしまい、旅人たちは島田の宿で足止めになってしまっていたのですよね。
 今では電車で1分ちょっとで川を渡ることができてしまいます。江戸時代の旅人たちがこの光景を見たら、さぞびっくりすることでしょうね…。

 では、電車の中から撮影した大井川をご覧下さい。



 ところでこの大井川、菅原孝標女が著した「更級日記」にも出てくるのです。
 13歳の孝標女は、上総介の任期を終えた父や家族とともに東海道を京へ向けて上っていくのですが、その途中に大井川を渡っています。
 では、「更級日記」の大井川について書かれた部分を引用しますね。

大井川といふ渡あり。水の、世の常ならず、すり粉 などを、濃くて流したらむやうに、白き水、早く流れたり。

 意味は、「大井川という川を渡りました。まるですり粉を流したように白い水が流れています。おまけに水の流れもとても速いのです。びっくりしました。」という感じでしょうか。当時の大井川は今よりもずっと水量も多く、流れも速かったのでしょうね。そんな水の流れを珍しそうに眺めている孝標女の好奇心いっぱいの顔が目に浮かぶようです。

 だんなさんの話によると、大井川の上流にダムができるまでは、この川の水量は今よりも多かったとのことです。
大井川ダムは1936(昭和11)にできたそうです。そしてこのダムは、大井川流域だけではなく、山梨県の方にもかなりの水を供給しているということです。その分、大井川に流れる水は昔より少し少なくなっているようなのですよね。

 ただ今日は、雨が降ったせいか水の量はいつもより少し多いようです。(写真では少なく見えますが、大井川はいく筋かに分かれて水が流れています。なので、もっと多く水が流れている部分もありました。)「更級日記」を思い出したせいか、水も何となく白く見えます。孝標女が見た風景と近いものを、私も見ることができたのかもしれません。