平安夢柔話

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大河ドラマ「義経」第36回&清盛出生にまつわるエピソード

2005-09-15 16:52:10 | 2005年大河ドラマ「義経」
 大河ドラマ「義経」第36回の感想です。

 今週は、前半が回想シーン、後半が義経と助けられた平家の人たちとの対面の場面……。壇ノ浦が終わってしまったので一休みという感じの回でしたね。なのでこれと言った感想もないので、取りあえず思いついたことを述べてみたいと思います。

 まず前半は義経とおとくばあさんによる回想シーン。清盛や重盛、常磐御前といったなつかしい人たちがたくさん出てきて、ちょっと嬉しかったです。10日の35回の再放送でも、観てしまった知盛の入水シーンを三度観ることができたのも嬉しかったです。
 でも、この時期に総集編のようなことをするというのはちょっと疑問ですね。何かストーリーの流れがストップしてしまったような気がしました。

 そして後半の平家の人たちとの対面…。宗盛のすねたような態度は相変わらずですね。「総大将は我ではない。知盛じゃ。」と言ってしまう当たり、「どうせ私は総大将の器ではない!」ということを自ら認めているような気がして、ちょっとお気の毒にさえなってしまいました。
 そして、あまりにも悲惨な体験をしたせいか、ほとんど顔にも声にも表情のない建礼門院。通説では我が子を失ってしまっているので茫然自失ということなのでしょうけれど、このドラマでは我が子安徳天皇は生きているのですよね。そうしたこともあって、ドラマでの建礼門院がこの時いったい何を考えていたのか、私にはいまいちはっきりわかりませんでした。
 ところで、明子と輔子の表情から勧の鋭い義経は、なんとなく安徳天皇と守貞親王のすり替えに気づいてしまったようですね。そして義経はどうも、能子との対面でそのことをほぼ確信してしまったようですね。やはりこのすり替え劇は、今後の彼の人生に何らかの波紋を投げかけるのでしょうか。

 それにしても義経くん、何か暗いですね。この時が、彼の人生の絶頂期だというのに……。戦に勝った義経より、戦に負けた平家の女性達の方がずっとたくましく見えてしまいました。こんなところにも、滝沢さん演じる義経に感情移入できない要因があるような気がします。

 さて、初めの方でも書いたのですが、今回の前半は義経とおとくばあさんによる「これまでの回想」でした。

それで、おとくばあさんと清盛との関係が始めて証されましたね。
 おとくばあさんは、若き日の清盛のかぶとを作ったとのこと。でも私には、「え?それだけなの・…。」という感じがとても強かったです。

 第1回の放送でおとくばあさんは清盛に向かい、「常磐殿は清盛様の母上に似ていますぞ。」と言っていました。と言うことは、おとくばあさんは清盛の母を知っているということになりますよね。なので私は、おとくばあさんは昔、清盛の母に仕えていたのかなと思っていたのです。つまり、清盛の出生の秘密を知っているのかなと…。でも、そうではないようですね。ちょっと気が抜けてしまいました。

 そんなこともあり今回は、清盛の母とされる女性と彼の出生にまつわる話を紹介したいと思います。

 清盛の母は、正史によると不詳ということになっています。しかし、「平家物語」には彼の母とその出生にまつわる不思議な話が掲載されています。

 「平家物語」によると、清盛の母は祇園女御といい、白河法皇の寵愛を受けていた女性でした。「女御」という呼称はついていますが、正式な女御ではないようです。
白河法皇の寵愛が熱かったため、人々が「祇園女御」とあだ名していた……ということのようです。
 祇園女御の出自については、源仲宗の妻であったという説、藤原顕季の姻戚だったという説、名もない庶民の娘で、水くみ女であったという説など色々あるようで、はっきりしたことは全くわかりません。

その祇園女御がなぜ清盛の父、平忠盛と関わることになったのでしょうか……。

 白河法皇は、側近の公卿や北面の武士を連れて祇園女御の許に通っていたようです。
 五月二十日余りの五月雨の降りしきる夜、法皇はいつものように側近の公卿や武士若干名を連れて祇園女御の許に向かっていました。
 女御の家のそばには御堂があったのですが、一行が御堂の前を通りかかるとそこから怪物が出てきたのです。頭は銀色に輝き、片方の手で鎚のようなもの、もう片方の手で光るものを持っていました。
 それを見た法皇は、「この怪物を退治できるのは平忠盛しかいない。」と思い、一行の中にいた忠盛に怪物退治を命じました。
 忠盛は、こやつはそれほど強くない。」と判断し、生け捕りにしようと怪物に抱きつきました。すると怪物は、「これ、何をする。」と叫びます。そうです、怪物ではなく人間だったのです。
 怪物だと思った男に灯を当ててみると、それは60歳くらいの法師でした。
 法皇は、「討ち取らずに生け捕りにしようと思ったところはさすが忠盛じゃ。」と感心し、自分の寵愛する祇園女御をほうびとして忠盛に与えました。この時女御は法皇の子を身ごもっていたのですが、「女児なら朕の子とする。男児なら忠盛の子にして武士として育てよ。」と法皇は仰せられました。
 そして、生まれたのは男児でした。そこで忠盛はこの男児を自分の子にしたのです。言うまでもなく、この男児が清盛……。つまり、清盛は白河法皇の落としだねだというのです。以上が「平家物語」に記述されている話です。

 更に、白河法皇がほうびとして忠盛に与えたのは祇園女御ではなく、その妹だという説もあります。祇園女御の妹も姉同様法皇の寵愛を受けており、その時法皇の子を宿していました。つまり、清盛の母は祇園女御の妹というわけです。
 しかし祇園女御の妹は清盛が3歳の時に世を去り、祇園女御が清盛の母代わりとなったようです。私個人としては、白河法皇は最も寵愛していた祇園女御をそう易々と手放すはずがないと思いますので、『清盛の母』=『祇園女御の妹』という説の方が、しっくり来るような気がします。

 しかし、清盛の実父が本当に白河法皇だったかどうかは確証がありません。この話は「平家物語」のように後世作られた物語に載っている話であって、当時の貴族の日記や正史には記載がないからです。

 実際に、清盛の父が誰だったかは判断しかねるのでここでは断言はしませんが、一つ言えることは、祇園女御が真相を知っていたのではないかということです。そして彼女がそのことを誰にも言わずに世を去ってしまったことと、清盛の昇進スピードが高望流桓武平氏の家格としては速すぎたことなどがあった為に、人々の憶測が憶測を呼んで後世こういった話が作られたのではないでしょうか。

 さて来週は、後白河法皇や頼朝が久しぶりに登場するようです。
いよいよ頼朝と義経の兄弟争いが本格化しそうです。
 そして、安徳天皇と守貞親王のすり替えに気がついてしまった義経が、どのような行動を取るかも気になります。
 ますますつっこみ所が多くなりそうですけれど、楽しみにしていようと思います。