平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
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夏の夜の夢のひととき ~濱田金吾さんライブ2014年7月26日

2014-08-04 10:13:23 | えりかの徒然なるままに
 7月26日、東京新宿のBACK IN TOWNへ、今回が3回目となる濱田金吾さんのライブを聴きに行ってきました。今回も私の趣味の一つとして、備忘録としてレポートさせていただきます。

 今回は、昨年12月のライブにも一緒に行った友人2人と参加、開場の6時ぴったりに会場にはいることが出来ました。そして、「これから大好きな人のライブが始まる」と開演を待っている時間って何て幸せなのかしらと友人たちと話しながら、ライブが始まるのを待っていました。

 今回のライブはParadigm Shiftとの共演、Paradigm Shiftというのはギター担当の松下誠さん、キーボード担当の松田真人さん、ドラム担当の宮崎まさひろさん、ベース担当の富倉安生さんの4人のグループで、ネットで仕入れた情報によると、私の大好きな金吾さんの6thアルバム「Heart cocktail」のレコーディングメンバーだったとのこと、なのでとても楽しみでした。

 で、Paradigm Shiftの皆様との華やかなバンド演奏でにぎやかにライブが始まるのかな?と思ったら、オープニングは金吾さんの弾き語りによる「POOL&SUNGLASSES」でした。でも私はこの曲には思い入れがあるので最初からテンションが上がりました。

 昨年の9月、金吾さんの音楽に引き寄せられてCDを購入しようとしたとき、他のアルバムは2000円程度だったのに、この曲が入っているアルバム「Mugshot」だけはなぜか4000円で売られていました。
 でも、学生時代に大好きだった「POOL&SUNGLASSES」をどうしても聴きたい!(あちらから持ってきたテープの中にはこの曲は入っていなかったのです)と強く想い、「他のCDが2000円程度なら元は充分取れる」と言うわけで買ってしまったのでした。そしてCDが届いて真っ先に聴いたのが「POOL&SUNGLASSES」でした。なつかしくて涙が出そうになりました。
 なので、「最初からこの曲だなんて何てラッキー!」と思ってしまったのです。

 2曲目も弾き語りによる「SISTER MY LOVE」。「この曲をいつか、弾き語りで歌って欲しいよね」と、一緒に行った友人と話したことがあるのでこちらも大感激。

 4曲目の「横顔のタクシードライバー」でギター担当の松下誠さん登場。今年4月のライブは誠さんと2人のライブだったので、あの時のことを思い出しながら聴かせていただきました。それにしてもとってもさわやかな曲。今の時期にぴったりです。

 こうして5曲目の「レイニー・ハート」から、Paradigm Shiftの全員が登場、華やかに、にぎやかにバンド演奏が始まりました。

 今回の席は前から何番目かははっきりわかりませんでした。多分、4番目か5番目くらいのテーブルだったと思いますが、列は真ん中あたりで音がまっすぐに聞こえてくるという、音響に関しては最高の席でした。なので「音」を堪能することが出来ました。金吾さんのボーカルももちろん素敵ですが、Paradigm Shiftのメンバーは一流の演奏家の方々、しかも楽しんで演奏されている様子が伝わってきて、「いいな、いいな~」とこちらも笑顔で演奏を聴くことが出来、自然に体も動いてしまいました。

 それで第1部で感動したのが「グッド・ラック・シティ・ロマンス」と「モーニングコールはマービン・ゲイ」の2曲。

 「グッド・ラック・シティ・ロマンス」はオリジナルとはアレンジが違っていたので良い意味で別の曲のように聞こえました。すごくおしゃれで格好良くて、こちらのバージョンをリメイクでCD化して欲しいなあなんて、思ってしまいました。

 この曲の次に演奏されたのがマービン・ゲイの「Whats going on」。あれ?今回も4月のライブの時のようにカバーもやるんだ~と思いながら聴いていました。でもこの曲は大好きなので金吾さんのボーカルで聴けて大感激。しかも金吾さんの声がすごく生き生きしているように聞こえたので、私も何か嬉しくなって顔がほころんでしまいました。
 そうしたらワンコーラス目が終わると突然、曲調が変わってちょっとびっくり。そこで始まったのが「モーニングコールはマービン・ゲイ」でした。ああなるほど~と思いました。こった演出です。(^^)

 第1部は、こちらも一度生で聴いてみたかった「真夜中のテニスコート」でしっとりと終了。いつもの事ながら第1部が終わると少し寂しい気持ちになります。

 第2部のオープニングは、Paradigm Shiftの皆様だけの演奏。「十五夜」という曲をやって下さいました。4月のライブの時のように、誠さんの貴重なボーカルを聴くことが出来て嬉しかったです

 2曲目は再び金吾さんのオリジナル。」Cool Heart」。この曲、12月のライブではオープニングだったのよね。そのせいかこの曲を聴くたびに幸せ気分になれます。(^^)

 そのあと、金吾さんが「次の曲はこの時期になるとリクエストが多くなる曲、6枚目のアルバムの2曲目」とおっしゃったので、「やった!」と思いました。私の、いや、私たち3人のリクエスト曲。

 「夜風のインフォメーション」」は学生時代から大好きで、結婚してからも、外出用のテープに入れ、繰り返し聴いていてずっと私のそばにいてくれた曲です。
 なので今度のライブでは、「夜風のインフォメーション」を生でぜひ聴いてみたいと強く思いました。

そこで先月の中頃、「リクエスト曲まだ間に合いますか?」と金吾さんの公式ホームページの掲示板で尋ねてみたところ、「メールに直接入れて下さいね」と言って下さったので、友人たちにもそのことを伝えました。そして、3人とも偶然「夜風のインフォメーション」をリクエストしたのです。

 そう言えば一緒に行った2人の友人もこの曲が大好きで、学生時代に一緒に聴いて「いい曲だよね」といつも言っていましたっけ。
 今年の2月、金吾さんが「好きな曲ベスト5を教えて下さい」というアンケートを採った時、私たち3人の意見はかなり割れたのですが、唯一「夜風のインフォメーション」だけは共通して挙げさせて頂いた曲でした。

 で、生で聴いた感想は、おしゃれでさわやかで大感激。29年前、リアルタイムで聴いていたとき、将来、この曲を生で聴くことになるなんて夢にも思いませんでした。

 「夜風のインフォメーション」の次に演奏されたのは「Water Blue」。この曲はCD化されておらず、しかも夏のライブにしかやらない曲なのだそうです。この曲を生で、しかもバンド演奏で聴けたなんて貴重なこと、とても嬉しかったです。そしてこの曲のCD化を希望。

 演奏や歌を聴くのも楽しいですが、金吾さんとParadigm Shiftの皆様とのおしゃべりも楽しく、今回も何度も笑わせていただきました。
 そして会場参加型の企画も。「Piano man」のコーラス部分を合唱したのです。私は一番高いパートを歌ってみました。会場中が一つになってハモっていて嬉しくなりました。

 楽しい時間はあっという間で、「この曲が最後です」と言って演奏されたのが「東京 Come & Gone」確か、12月のライブでもこの曲が第2部の最後の曲で、すごく寂しくなってしまったのよね。でも今回はアンコールがあることがわかっているのでそれほど寂しくなく、じっくりと聴くことが出来ました。

 アンコールの1曲目は「Listen Baby」でした。
 私は、金吾さんの曲の歌詞をある程度自然に覚えているようで、ついつい一緒に口が動いてしまいます。でも、「金吾さんのボーカルをじっくり聴きたい」という気持ちも強くて、そんなわけで揺れ動いてしまうのですが、この曲は全部、手拍子しながら一緒に歌わせていただきました。もうすっかり私のカラオケの定番になっているこの曲、歌っているととても嬉しくて幸せなのです。

2曲目の「Midnight Boxer」も手拍子して楽しませていただきました。ああ、もっと聴きたいなあ。なので弾き語りでもう1曲やっていただけることがわかったときは嬉しかったです。演奏する前に金吾さんが「どっちにしようかな~。」と言っておられたのでもう1曲が何かが気になりましたが、始まった曲は「WHISPERRING NIGHT」でした。嬉しい~。実はこの曲にも思い出があるのですよね。

 昨年の9月、「金吾さんの曲をもっともっと聴きたい、もっと聴かせて」と思って動画サイトなどをネットサーフィンしていました。
 そうしたらfacebookにて、金吾さんの公式ホームページで8月の名古屋でのライブの一部を見られることを知り、わくわくしながら聴いたのがこの曲でした。昔と同じ素敵な声で感動し、とても幸せな気持ちになりました。そのことをtwitterでつぶやいたことがご縁で公式ホームページの掲示板に誘っていただき、書き込みするようになったので、この曲は私と金吾さんをつないで下さった縁の一つだったわけです。そう思ったらとてもありがたい気持ちになりました。

 と言うわけで、「WHISPERRING NIGHT」が絶対に最後だと思っていたので、ギターの弾き語りでもう1曲やっていただける事がわかったときは大感激。しかもその曲は大好きな「昼下がりのセレクション」。思わず「嬉しい~。」と口から漏れていました。
 「昼下がりのセレクション」が聴けたのは、おいしいコース料理を食べていて、これで最後なのかな?と思ったときにもう1品、ものすごくおいしい料理が出てきたような気分でした。これからはこの曲を聴くたびに幸せ気分かも。(^^)

 こうして楽しく素敵なライブが終了しました。終わったとき、なぜか目がうるうるして涙が…。私を元気にして下さった方、本気で応援できる方のライブに参加できるってすごく幸せなことなのですね。

 元気と幸せをたくさん下さった濱田金吾さん、Paradigm Shiftの皆様、親切にして下さった会場の皆様、参加された皆様、一緒に行った2人の友達、お世話になりました。ありがとうございます。
 次は10月、同じ会場でライブがあります。ぜひ参加したいと思っています。

濱田金吾さんの公式ホームページこちらのページにて、2014年7月26日のライブのセットリストをご覧頂けます。

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夢のような夜ふたたび ~濱田金吾さんライブ2014年4月26日

2014-05-14 18:41:34 | えりかの徒然なるままに
 2014年4月26日、東京新宿区のBACK IN TOWNで行われた濱田金吾さんのライブに行ってきました。

 今回は昨年末に一緒に行った友人たちが都合がつかなくて私一人での参加、しかも席は一番前のテーブル席。舞台が近くて驚きました。

 さて今回のライブは、昨年末のライブでもギターを担当された松下誠さんと2人だけのライブということ。私はやはり昨年末、エフエム世田谷で放送された番組で、お二人のギター2本での素晴らしい演奏とボーカルを聴いていましたので、今回も楽しみにしていました。そして期待通り、とても素敵なライブでした。私の備忘録も兼ねてレポートさせていただきます。

 第1部はこのライブの11日前に逝去されたご友人のダニー石尾さんが得意だった曲「500 miles」に続いて「May sick」で始まりました。「May sick」は金吾さんのファーストアルバムに収録されているロック風の曲なのですが、ギター2本での演奏、とても感じが良くて、すっかりお二人の世界に引き込まれていきました。
 そして3曲目は大好きな曲「April fool」切ない曲なのですけれどね。
 金吾さんは季節感をとても大事にされる方なので、ライブではこの時期にしか聴けない曲だと思います。ラッキーでした。(^^)

 第1部で一番感動したのは「Listen baby」。
 この曲は昨年末のライブでも演奏されて、アレンジがおしゃれで感動したのですが、ギター2本でのアコースティックバージョンも素敵でした。何よりも、金吾さんと誠さんのさびのコーラスがとても息が合っていて大感激。曲が終わったあと、どなたかが「最高!」と叫んでいましたが、わたしも「ほんと最高」と口から漏れていました。小さい声だったですけれどね。

 演奏もさることながら、35年間も親交があるというお二人のおしゃべりも最高。何度も笑ってしまいました。
 特に印象深いのは誠さんが金吾さんの家の電灯を壊してしまった話。
 お部屋の照明器具って、ひもがつる下がっていますよね。我が家にもたくさんあるのですが。誠さん、そのひもを引っ張ってひもを切ってしまい、電灯が消えたままの状態になってしまったのだそうです。
 その話を誠さんがしていたら金吾さん、
「電灯からつる下がっているひもなんか普通引っ張るか?掛川ではやるかもしれないけれど都会人はやらないよ。」

 え~っ、やるんですけれど…。
 電灯って普通、ひもを引っ張ってつけたり消したりしませんか?
 私もだんなさんと一緒に暮らしていたとき、2回ほど電灯のひもを引っ張ったら切れてしまい、電灯が消えたままの状態になってしまったことがあります。最近は母がそれをやりました。2日間ほど、寝室の電灯がつかなくて不便だったなあ。
 ちなみに掛川出身の誠さんは私と同県人でもあります。しかも掛川と、私が以前住んでいた島田はそれほど離れていません。最近はリモコンやスイッチを使って電灯をつけたり消したりするのが主流なのでしょうか?
 そんなわけであまり大きな声で反応すると、田舎物だと思われるかな?と思って、小さな声で「普通やるけどなあ」と言っていました。だからこちらでしっかり反応させていただきます。(^^)

 さて、第1部が終わると15分ほどの休憩。ああ、もう半分終わってしまったのねと思うとちょっと寂しくなりましたが。

 第2部の始まりは誠さんのボーカルによる「When Sunny Gets Blue」。誠さんのボーカルが聴けるなんて貴重だと思いました。
 続いて同じく誠さんのボーカルによる「And I Love Her」と金吾さんのボーカルによる「While My Guitar Gently Weeps」。いずれもビートルズの曲なのですが、この2曲、昨年末のエフエム世田谷の番組でお二人が演奏した曲なのです。まさか生で聴けることになるなんて夢にも思いませんでした。

 こうして誠さんのボーカルやカバー曲が演奏されたあと、金吾さんのオリジナル曲「Piano man」が演奏されました。この曲は以前にも書きましたように、私が金吾さんの音楽と出会うきっかけになった大切な曲。今回も聴くことが出来て嬉しかったです。

 そのあと、どちらも大好きな「American Night」と「Sunrise Sunset」が演奏されました。それにしても、金吾さんのオリジナル曲になると自然に口が動いてしまった私。歌詞をしっかり覚えてしまっているということなのですよね。

 ところがこの2曲のあと、金吾さんの口から出た言葉は「次が最後の曲です。」でした。思わず「えーっ」と言ってしまいました。

 その最後の曲は誠さんの選曲で、普通なら今の時期には絶対に歌わない曲とのこと。いったいどんな季節外れの曲なのかと思ったら、
海風通信
とのこと。思わず私、「嬉しい~」と口から出ていました。この曲は「Bedside moon」「夜風のインフォメーション」と並んで、好きな曲ベスト3に入るくらい、大好きな曲なのですから…。

 そうしたら「嬉しい?」と金吾さんに話しかけられ、びっくりしてしまいました。それでも私は、「嬉しいです!」と大きな声で返事することが出来ました。最高に幸せな瞬間でした。

 この曲の歌い出しは
「特別な理由はないけれど10月の渚で別れよう」
つまり秋の歌なのです。なので今回のライブでやって下さるとは思っていなかったので、本当に嬉しかったです。昨年末の「Bedside moon」同様、体が震えました。本当にありがとうございました。

 こうして第2部終了。
 でもやっぱりもっと聴きたいよね、ということで、会場中がアンコールの拍手。
 アンコールの1曲目は「Portrait Woman」手拍子で盛り上がり、私も楽しい気持ちになりました。

 1曲目終了後、初めの方でも少し触れましたが、11日前に肝臓ガンのため逝去された金吾さんのご友人、ダニー石尾さんのお話しになりました。

 ダニーさんは45年ほど前、「小さな日記」「希望」といったヒット曲があるフォー・セインツというグループのメンバーとして活躍され、グループ解散後ソロとなって音楽活動をされていた方です。1993年から20年間、サッカーJリーグの鹿島アントラーズのスタジオDJとしても活躍されました。
 最近は代々木のGreen Spotというお店で月1回ライブをしており、金吾さんが各月でサポートをなさっていたそうです。

 ちなみに…、
 私より13歳年上のだんなさんは生前、「小さな日記」と「希望」をカラオケで歌ったことがあったので、フォー・セインツは絶対に知っていたはずです。もしかするとダニーさんのことも知っていたかもしれません。今となっては確かめることが出来ませんが。

 話をライブの方に戻しますね。

 金吾さんがお話ししていたダニーさんとの思い出話、ダニーさんのギターを引きながら歌われた「Danny Boy」、さらにダニーさんへの提供曲「Dear Song」を聴きながら、金吾さんがダニーさんのことをどんなに大切に思っていらしたかが伝わってきて感動してしまいました。

 それからこんな事もおっしゃっていました。
「死んでしまったら周りの人が悲しむよ。みんな元気で、10年経っても50年経ってもここに来ようよ。」

 大切な人を亡くした悲しみがよくわかるだけに、この言葉は心にしみました。

 こうして感動のうちにライブ終了。

 会場ではダニーさんのアルバムCDが売られていました。

 このうち、「Dear Songs」というアルバムは金吾さんがプロデュースしているのですが、このアルバムが出た頃、ラジオ出演したダニーさんが、金吾さんと一緒に仕事をしたことを番組でお話しされたのだそうです。そうしたら、昔、金吾さんを聴いていた人たちから反響があり、このことが金吾さんがライブ活動を再開するきっかけの一つになったのですって。
 なので私が今、このライブ会場にいるのはダニーさんのおかげでもあるわけで、世の中って色々なことがつながって成り立っているんだなあと思ったら、ダニーさんに手を合わせてお礼を申し上げたい気持ちになりました。

 そんなわけで「Dear Songs」を購入しました。帰宅して聴いてみましたが、とても良かったです。金吾さんのコーラスが入っていたのも嬉しかったですし、提供曲も3曲、収録されていました。聴けば聴くほど味が出てくる、そんなアルバムです。

 今回も昨年同様、笑いあり感動あり、素敵な音楽と楽しいおしゃべりのあっという間の3時間でした。次回は7月末に友人たちと参加予定、楽しみです。(^^)

濱田金吾さんのofficial websiteこちらのページから、2014年4月26日のライブのセットリストをご覧頂けます。

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夢のような夜 ~濱田金吾さんライブ 2013年12月21日

2013-12-29 19:23:07 | えりかの徒然なるままに
☆よろしければこちらこちらの記事もお読み下さいませ。

*かなり興奮して熱くなっていますので、びっくりされている方も多いと思いますが、わたしの趣味の一つとして、備忘録として書かせていただきます。

 2013年12月21日、30年前から好きでよく聴いていた濱田金吾さんのライブに友人2人と初参加してきました。

 場所は東京の新宿曙橋のBACK IN TOWNというレストラン。入り口で偶然、お店の関係者の方と会うことができて、中まで案内していただけてありがたかったです。
 階段を下り、受付で私の名前を言い、お席に案内していただきました。前から3番目の3人掛けのテーブルで、とても居心地が良さそうです。

 「ライブの時は飲食は出来ないよね。」というわけで、まだ開演まで1時間もあるということで、まず食事を注文することにしました。私たちは3人ともマグロ丼を注文。おいしく頂きました。ドリンクも注文しなければいけなかったので、私はウーロン茶にしました。
 こうしてわくわくしながら開演を待ちました。同時にドキドキもしています。少しおなかが痛くなってしまいました。でも、これは緊張のためなのよね。うん、大丈夫大丈夫。
 と思っていても、開演予定の午後7時になっても始まらないので、何か心配になって、おなかがますます痛くなってきました。それでも友人たちとおしゃべりしたりして気を紛らわしていました。そんなとき、突然室内が暗くなり、拍手が起こったので「あ、始まるのだ」とぱっと背筋を伸ばした私。私は視力が弱いので舞台の様子がわからなくて、一歩出送れてしまったような感がありますが…。

 1曲目は、私の大好きなアルバム「heart cocktail」の1曲目に収録されている、「cool heart」。とてものりの良い曲で、1曲目にふさわしい感じがしました。私を元気にして下さったご本人様が今、私の近くにいて、こうして歌って下さっていると思っただけで、幸せでわくわくしました。これから、この曲を聴くたびに幸せ気分になれるかも。

 で、序盤からサプライズが…。

 2曲目と3曲目の間だったと思うのですが、金吾さんが「初めて来た人は?」と尋ねてきたのです。もちろん私も手を挙げました。
 そのあと感想を聞かれ、何人かが答えていました。私も、「夢のようです。」と返事しました。本当にそうだったのですもの。
 そうしたら、「これは夢なんだよ。」というお返事が。そのあとちょっと間をおいてから、「たどり着きましたね」と言って下さったのです。
 実はライブの2,3日前、私は金吾さんの掲示板に「3人とも視力障害者なので不安はありますが、絶対に会場にたどり着きますので」と書き込みをしていました。えっもしかして、私がえりかということがわかったのかしら?
 私はじっとしていても、目を見るだけで視力障害者だということが一目でわかってしまうようなのです。そのため、ずいぶん辛い思いをしたこともありました。でも、困っているときに知らない方に助けていただけたりなど、得をすることも結構あるのですよね。
 今回もそうだったかもしれません。そこで私、「たどり着きました。」と返事しました。最高に幸せな瞬間でした。

実は 金吾さんはあの時、私があの席にいることをわかっていて話しかけて下さったのだそうです。拙掲示板No2208の金吾さんの書き込みを一部、引用させていただきます。

ー引用開始ー
 みなさんの席がわかったのはあの席になることを前もって知っていたからです。
お店にお願いして居心地の良い場所を確保してもらってました。
       ー引用終了ー

 そのようなお気づかいをさせてしまい、申し訳なく、同時にとてもありがたく思いました。そのせつは本当にありがとうございました。

*↑の金吾さんとのやりとりは元々、こちらの記事に書いてあったものです。ライブ中の出来事なので本記事に移しました。ちょっとわかりにくくてすみません。

 演奏された曲はどれも大好きな曲ばかりでしたが、特に「American night」と「シャレード」を聴けたのが嬉しかったです。
 何か感動してしまったのが「listen baby」。この曲、アレンジがとてもおしゃれなのですが、生演奏ではもっとおしゃれになっていて「いいな、いいな~」と思いました。
 それとこの曲の演奏前のMCで金吾さんが、「知っている箇所があったら歌って下さい」とおっしゃっていたので、歌ってしまいました。この曲、歌詞がとても覚えやすいので、全部歌えます。だんなさんと一緒に暮らしているとき、同じような経験をしたことがあるからかもしれませんが…。
実は「listen baby」は、私がよく行くカラオケボックスにあります。来月の私の誕生会をカラオケボックスでやってくれるようなので、その時に歌ってみようと思っています。楽しみ~。

 曲も良かったのですが、トークもとても面白かったです。
 特に、ギター担当の松下誠さんとのトークは最高。
 松下さんは30年以上前から金吾さんのバックでギターを担当し、アレンジも手がけていらっしゃる方です。キンキキッズやSMAPの作品にも参加されているそうなので、お名前をご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
 それにこの方は私と同県人でもあります。(掛川市出身)しかも、一緒に行った友人の一人が掛川市在住なので、勝手に親しみを持っていました。松下さん、話し方がおっとりしているのですが、鋭いつっこみを入れたりして、そんなところが「静岡県人」という感じがしました。

 こうして第一部終了。おなかの痛みは完全に治っていました。考えてみるとあっという間の時間でした。ああ、もう半分終わってしまったのねとちょっと寂しくなりましたが、うん、まだ半分残っている。思いっきり楽しまなきゃ」と気を取り直しました。

 第2部の1曲目はピアノでの弾き語りによる「dear song」でした。
 この曲は2002年に発売された「ベストコレクション ~Moon Years」に収録されている曲です。
 私は金吾さんの7枚のオリジナルアルバムをコンプリートし、2006年に発売されたゴールデンベストも購入したのですが、この「ベストコレクション ~Moon Years」だけはどうしても手に入りません。amazonで中古はあるのですが、私はクレジットカードを持っていないので買えないし、すごく高いし…。なので、「dear song」を聴くことが出来て嬉しかったです。

 ところで、ライブにはライブならではのハプニングもありますよね。
 2曲目はやはり弾き語りの「piano man」、実は、上で書いた掛川市在住の友人とは別の友人のリクエスト曲でした。私が、自分のリクエスト曲と一緒に金吾さんにお願いしたのです。
 演奏が始まったとき、私は思わず、彼女に、「良かったね~」と言ってしまいました。彼女もすっごくよろこんでいました。

 ところが、途中で止まってしまったのでした。会場中が爆笑。それだけ、アットホームな雰囲気だったのですよね。
 それで彼女も、思わず、「さいこう!」と言ってしまったようです。そうしたらそれが金吾さんに聞こえてしまったらしく、「最高?それだけでも来た甲斐があったね」と話しかけられ、びっくりしていました。そして私に、「聞こえると思わなかったんだもの」と言っていましたが。

 実はこちらの友人が、30年前に金吾さんを私に薦めてくれた人です。ともあれ、やり直し「piano man」は無事に演奏され、彼女、二重に喜んでいました。

さて、そのあとはクリスマスが近いこともあり、クリスマスらしく賑やかにゲストの皆様が登場。特に、諸岡ケンジさんの登場が嬉しかったです。

 諸岡さんは、エフエム世田谷で金曜日の夜に番組を持っていて、12月6日と13日の放送で、金吾さんと松下さんがゲスト出演していたのです。エフエム世田谷はコミュニティFM曲なので、私の住んでいる地域ではもちろん、ラジオでは聞けません。
 でも、インターネットラジオなら聴くことが出来るという情報を得て、ソフトをダウンロードし、パソコンを確実にネットにつながる寝室に持ち込んで、両日とも聴くことが出来ました。
 で、とても楽しい放送だったので、パーソナリティの諸岡さんが近くにいらっしゃることにも大感激~。金吾さんと諸岡さんのデュエットも素敵でした。

そのあとは金吾さん、サポートメンバー、ゲストの皆様の用意されたクリスマスプレゼントの抽選になりました。こういう時のくじ運が全くない私、しっかり外れました。でも、これだけ楽しい思いをして、皆様に親切にしていただけて、その上プレゼントが当たっていたら出来過ぎだったかも。

 ゲストの皆様が退場されてからは、再び金吾さんとサポートメンバーの皆様との演奏に戻りました。「そろそろお店に怒られてしまう時間なので急がなければね」というお言葉を聞いたとき、「この曲が最後です」と言って「東京Come & Gone」が演奏されたとき、何かとても寂しくなってしまいました。「東京 Come & Gone」は大好きな曲なのに…。でも、いつもアンコールがあるようだから今回もあるよねと思い直しました。

 そして期待通り、アンコールに応えて下さいました。
 演奏された曲は「Midnight Boxer」。35年くらい前、レイジーという人気グループが歌っていた曲なので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。この曲、金吾さん作曲で、ご自身のアルバムにも入れられています。ノリノリの曲で、私、すっかり元気になってしまいました。

 でも、やはりもう1曲聴きたい。会場全体がそんな雰囲気でしたので、もう1曲、やって下さるとわかった時は嬉しかったです。しかもギターの弾き語りのようです。

 そうなのです。お読みになっていてお気づきの方もいらっしゃると思いますが、私のリクエスト曲がまだ演奏されていませんでした。でも、「それでもいい、これだけたくさん聴けて満足だから。でも、やっぱり聴きたいかなあ」と私、ちょっと複雑な気持ちだったのですよね。

 でも、ここで私のリクエスト曲に応えてもらえたらちょっと出来過ぎかも。とも思いました。

 そんな時、金吾さん、こうおっしゃったのです。
「リクエスト曲に応えなければなりませんから。」

 ギターの演奏が始まりました。そうしたら友人が、「これ、えりかちゃんのリクエスト曲じゃないの?」と言ったのでした。そうかもしれない。でも違うかも。ドキドキして歌い出しを待ちました。この曲、CDのイントロはピアノなので、ギターではいまいちよくわからなかったのですよね。

 でも、それは間違いなく、私のリクエスト曲、「Bedside Moon」でした。

 30年前、今、目の前にいる友人から金吾さんを薦められ、「試しに聴いてみて」と渡されたテープの1曲目に入っていたのが、「Bedside Moon」でした。それで、曲と詩と歌声にすっかり引き込まれてしまったのです。
 ちょうどその頃、だんなさんとつき合っていたのですが、年齢の差やだんなさんが×1だったことから家族や周囲に反対され、とても落ち込んでいた時期でした。だからこの曲の歌詞にすごく励まされたのです。私にとっては大切な思い出の曲です。

 その大切な思い出の曲が、今、ご本人によって目の前で演奏されている…。
 あまりにも幸せすぎて私、体の震えが止まりませんでした。涙は出なかったけれど目はうるうる状態。少し、一緒に口ずさんでみました。でも、考え直しました。ここは、金吾さんの歌と演奏をじっくり聴こうと。この一瞬一瞬を大切にしようと…。

「ありがとうございました。夜遅いですから気をつけてお帰り下さいね」
 という、金吾さんの暖かいお言葉とともに、この夢のようなライブが終わりました。

 でも、「金吾さんはライブのあと、客席に降りてきて下さる」という情報を得ていたので、少し待ってみることにしました。
 そうしたら期待通り、金吾さん、サインを持って私たちのテーブルにいらして下さいました。それで握手までして下さり、少しですがお話しできました。
 私が、
「最後に私のリクエスト曲に応えて下さって嬉しかったです。どうもありがとうございました」と言うと、
「あの曲は絶対にやらなくてはいけないと思ったから」
と言って下さって、とても幸せでした。

 終わってしまっても、何か会場を去りがたい雰囲気でした。でも、そろそろ帰らなくてはなりません。時計はもう、11時を指していましたし。

 それで会場をあとにするときちょうど、金吾さんとサポートメンバーの皆様が記念写真を撮っているところでした。出来たらもう一度お礼を言いたいと思い、タクシーを呼んでもらうのをちょっと待ってみることに。
 そうしたら快く、再び握手をして下さいました。幸せな気持ちでBACK IN TOWNをあとにすることが出来ました。

 一言で言うならば、夢のような夜でした。曲もトークも最高。ライブの間、何回笑ったことか…。友人たちも、「こんなに楽しいライブは初めて」と言っていました。
 金吾さんの暖かいお人柄と、会場の暖かい雰囲気、私にとってこの日の思いでは宝物です。ありがとうございました。また必ず行きます。

濱田金吾さんの公式ホームページこちらのページで、2013年12月21日のライブのセットリストをご覧頂けます。

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冥王星のこと

2006-08-27 11:31:46 | えりかの徒然なるままに
 本日は天文ネタです。

 先日、プラハにて国際天文学会が開かれました。この学会では、現在9個の太陽系の惑星が12個に増える……という案が提出され、その案が通るかもしれないということで、天文に興味のある私はわくわくしていました。
 その中でも、冥王星の外にもう一つ惑星があるという話には特に興味を持っていました。この星、何と1000年かかって太陽の周りを回っているとか…。すごーい!!この星が太陽系の惑星として認められたら、太陽系がさらに広くなるということで、夢がありますものね。

 ところが…、ふたを開けてみると、今度新しく太陽系に入る予定だった3個の星は小さすぎるということで却下。ついでに冥王星も、「小さすぎる」「軌道の一部が海王星の軌道の内に入り込んでいる」等の理由で惑星から矮惑星に格下げ…。太陽系の惑星は増えるどころか、一つ減ってしまいました。
 どうやら、太陽の周りを回っている小さな星は次々と発見されており、「これらを全部惑星にしてしまったらきりがない」ということのようですよね…。

 でも、冥王星が格下げになってしまったことはやはり寂しいです。

 そこで本日は、私と冥王星についてのあれこれをちょっと書いてみることにしました。

 私と冥王星との出会いは多分、小学校3、4年の頃だったと思います。
 私はなぜか、小さいときから星や宇宙に興味がありました。そこで、家にあった子供向けの百科事典のうち、「地球と宇宙」という巻を特に愛読していました。その本を初めて読んだのが小学校3年か4年の時だったと思います。「広い宇宙には、私の知らない世界がたくさん拡がっているのだ~」と、読みながらわくわくしたのを思い出します。

 その本には太陽系についても写真や図を使って解説されており、もちろん冥王星についても触れられていました。
 冥王星は、太陽から最も遠く離れたところにある惑星であること、251年かかって太陽の周りを1周すること、太陽から遠いので一面氷の世界であることなどが書かれていたと思います。
 さらに、「あまりにも遠いのでまだわかっていないことも多い。1988年頃に太陽に最も近づくので、その時になったら色々なことがわかるかもしれない」とも書かれていました。

 こうして天文に親しんでいた私が、冥王星についてさらに新しい情報を得たのが、中学校の理科の授業でのことでした。
 ある日の理科の授業中に、先生が、新聞記事を読んで下さったのです。「冥王星は、海王星よりも太陽に近い惑星となった。というのは、冥王星の軌道の一部が、海王星の軌道の内に入り込んでいるからだ。この状態は、今後20年間続く。」とのことでした。
 その時先生は、「これから20年間は、水金地火木土天冥海と書かないと×にするぞ」とおっしゃっていたのを思い出します。
 私はその日、帰宅すると例の百科事典を引っ張り出し、「太陽系の惑星の軌道」が描かれた図を見てみました。すると冥王星の軌道は、一部が海王星の軌道の内側に確かに入り込んでいました。「冥王星って不思議な星なんだ~」と、とても神秘的な気持ちになりました。

 考えてみると冥王星は、SFアニメにもよく登場していましたし、結構重要な星だったのかもしれませんね。

 その後長い間、私は冥王星のことを忘れていました。そして今から4年前、ちょっと気持ちが動いて天文の本を図書館から借りたことがあるのですが、そこには冥王星についての思いがけない記述があり、びっくりしました。

 私はそれまで、冥王星は地球の半分くらいの大きさだと思っていました。ところが、実際は冥王星の直径は月の3文の2、月の直径は地球の約4分の1なので、地球の約6分の1くらいの直径しかない、小さな惑星だということが書かれていたのです。さらに冥王星には、「カロン」という衛星があることも書かれていました。こういったことは、昔読んだ子供向きの百科事典には書かれていなかったので、最近になってわかってきたことなのでしょう。

 このように、観測や研究によって、今までわからなかった色々なことがわかっていくというのは素晴らしいことですよね。なので、冥王星の外にもう一つ惑星があるかもしれないという話はとてもわくわくしていたのですが…。

 でも、たとえ惑星から格下げになったといっても、冥王星は消えてしまったわけではないのですよね。それに、冥王星の外に1000年かかって太陽の周りを1周する小さな星があるということも事実の可能性が強いようですし…。太陽系の中には、私たちがまだ知らない色々な事実がたくさん隠されているのかもしれません。
 「今後も、たとえ小さくても新しい星が発見されたら、どんどん学会で発表していただきたいな…と思います。

 冥王星についても、まだまだ謎が多いとか…。
 海王星に「トリトン」という衛星があるのですが、このトリトンという星、冥王星と構成物質がよく似ているのだそうです。もしかするとこの二つの星は、遠い昔に何らかの関連があったのかもしれません。あるいは、トリトンも冥王星もよそからやってきた星で、太陽や海王星の引力に引きこまれ、太陽系の一員になったのかもしれません。そんなことを考えると興味が尽きないです。

☆今回の、冥王星の処遇についてのニュースを観て久しぶりに天文熱が再発した私は、ここ数日、天文系のサイトをネットサーフィンしていました。太陽系については↓のサイト様がとても詳しく、わかりやすかったです。写真も多数掲載されています。

ザ・ナインプラネッツ 日本語版

     

小さな子供さんを守るために、町で取り組んでいること

2006-07-19 09:36:01 | えりかの徒然なるままに
 本日は、久しぶりの時事ネタ&地元ネタです。
 
 最近、小さな子供さんが犠牲になる痛ましい事件がとても多いですよね。このような事件が報道されるたび、心が痛みます。

 そして特に、下校途中で子供が襲われたというような事件が報道されたときの、小さなお子さまをお持ちの親御さんのご心配なお気持ちは計り知れないものがあると思います。私が小学生の頃、同じクラスに、一人で下校するのを怖がり、1級上のお姉さんの授業が終わるまで学校で待っていた男の子がいました。その男の子を見て、「一人で帰れないなんて男のくせに情けない…」とからかったこともありましたが、今では低学年の子が上級生のお兄さんやお姉さんの授業が終わるまで学校で待っているのが当たり前なのだそうです。それだけ、小さな子供さんが一人で下校するということが危険な世の中になってしまったというわけです。嫌な世の中ですよね…。

 そんな小さな子供さんを犯罪から守るために、私の住んでいる静岡県島田市では色々取り組んでいることがあるようです。今日はそんなお話を…。

 まず、島田市の小学生は、街で大人に会うと知らない人にでも「こんにちは。」と挨拶をします。私もだんなさんと一緒に街を歩いているとき、「こんにちは」と小学生から挨拶をされたことが何度もあります。
 どうやら島田市内の小学校では、「街で誰かにあったときは、知らない人にでも挨拶をしましょう。」と指導しているようです。確かに「こんにちは」と子供さんから挨拶をされたら、たとえ悪いことをしようとしている大人でも躊躇してしまうし、何よりも挨拶は人の心を和ませます。「知らない人にあったら逃げましょう。」という指導も、自分の身を守るための手段として納得できる部分はありますが、これでは子供さん達の心に他人に対する不信感を植えつけてしまうような気もします。なので「挨拶をしましょう。」という指導はとても良いことだと感じます。

 さらに島田市では最近、子供さんを守るためのもう一つの取り組みが始まりました。

 それは、ゴミ収集を終えたゴミ収集車が、子供達の下校時間に合わせて、市内をパトロールすることになったことです。島田市には15台ほどのゴミ収集車があるそうですが、それぞれが各学区をパトロールして、不審者はいないか、子供達が危険な目に遭っていないかをパトロールしています。こうして街ぐるみで子供を守る取り組み、素晴らしいと思います。店も少ないし良い病院もあまりないし……と、この町に対して不満を抱くことが多い私ですが、こうした取り組みをしていることを知って嬉しくなりましたし、何となくほっとしました。

 とにかく、小さな子供さんが犠牲になる事件が世の中からなくなることを祈るばかりです。

年末っていつも冬じゃないの?

2005-12-30 22:21:49 | えりかの徒然なるままに
 皆様は、年末をどのようにお過ごしでいらっしゃるのでしょうか?
そして、お正月のお支度はもうお済みなのでしょうね…

 私はというと、やっと今日になって大掃除らしいことをしたというところです。
でも、お恥ずかしながら年賀状もまだ全部書き終えていません。なので、来年の年賀状は到着が遅れます。特に静岡県外にお住まいの皆様、すみません…。と、昨年もこんな事を書いたような…。本当に成長しない私…。

 さて、「今日は大掃除をした。」と先ほど書きましたが、いつも年末に掃除をしていて思うことは、「この時期に窓を開けっ放しにして掃除をするのは寒くて辛い。なぜこんなに寒い時期が年末なのよ!!」ということです。そして、今日もとても寒かったので、ずっとこのようなことを考えていました。。

 ところが調べてみると、年末は将来春にも夏にも秋にもなるようなのです。天文学のような話になってしまいますがちょっとおつき合い下さいね。

 地球というのは太陽の周りを自転しながら回っているのですが、実は地軸がまっすぐではありません。地球の地軸は約23、5度傾いている、つまり地球はまっすぐ立って自転しているのではなく、約23、5度傾いて自転しているのです。そのおかげで四季があると言っても良いのですが…。
 さらにその傾きの方向は一定ではなく、独楽(こま)の首振り運動のように回転しています。つまり、北極星(北極からまっすぐ線を延ばしていくとたどり着く星。北極からこの星を見ると真上に見えるそうです。そして、北半球ではこの星は静止して見えます。)は永久に静止して見えているのではなく、約14000年後には織姫星が今の北極星の位置に静止して見えることになるのだそうです。つまり、14000年後は北極の真上に織姫星が輝いているということになります。
 そして約25900年後には、再び現在と同じ位置に北極星が見えることになるとか…。

 早く言えば地球の地軸の方向は一定ではなく、約25900年かかって1周することになります。当然、太陽に対しての向きも一定ではありません。約13000年後には季節が今と逆になるということになります。
 つまり、日本で言うと現在では一番寒い12月、1月、2月は13000年後は夏になるということになるのです。そう、約6500年後の日本の年末は最も過ごしやすい時期(になるわけで、その頃の日本人はさぞ年末の大掃除が楽だろうなとつい想像したくなってしまいます。

 ついでに余談ですが……、このように地軸が回転することによって、夜空の星の見え方も将来は現在とは全く違うものになるのだそうです。西暦13000年10月22日午前0時の東京の夜空は、南十字星(現在の東京では見ることができません。)が真南の方向、地平線から約23度の地点に見え、北の空には現在の夏の大三角形、つまり織姫星、彦星、白鳥座のデネブが輝いているとか…。ちょっと信じがたい話ですけれどこれは事実のようです。

 「何で年末はこんなに寒いのよ!!」という話がこんな方向にまで暴走してしまいました。でも、私は元々星とか宇宙の話が好きで、中学生の頃はよく簡単な天文学の本を読んでいたのです。幸い父と妹も星や宇宙が大好きでしたので、3人でよくその方面の話をして楽しかったです。
 そこで、高校ではぜひ地学の授業を取ってみたかったのですが、うちの高校には地学の専門の先生がいなかったので取ることができませんでした。そして、私が高校を卒業して2、3年ほど経った頃、天文クラブができたようで、文化祭で太陽系の惑星の模型の展示などを行っていました。「在学していたら絶対に天文クラブに入ったのに。」とちょっと残念でした。

 さて、明日は正月料理を1日がかりで作るので、「えりかの平安な日々」の今年の更新は、今日が最後になると思います。
 皆様、今年も1年間ありがとうございました。毎日訪問して下さった皆様、記事を読んで下さった皆様、掲示板に書き込みをして下さった皆様……、こちらにいらして下さったすべての皆様に感謝申し上げます。
 どうか良いお年をお迎え下さいませ。そして、来年も皆様と色々なお話しをしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

15年前の思い出のメダル

2005-11-03 00:12:53 | えりかの徒然なるままに
 15年前の今日11月3日、私は福岡にいました。
福岡市と北九州市でその年の11月3日~4日に行われた、第26回全国身体障害者スポーツ大会に静岡県代表選手として出場するためでした。

 この全国身体障害者スポーツ大会は、現在では知的障害者の大会と統合され、「全国障害者スポーツ大会」という名称になっています。(勿論当時も、この大会の成績を参考にしてパラリンピックへの出場選手を決めていました。)そして、その年の一般の国体の開催県で開かれています。私が出場した平成2年は国体の開催県が福岡県でしたので、当然障害者のスポーツ大会も福岡県で開かれたわけです。つまりこの大会は、「障害者の国体」とも言われていたのです。

 そのような大きな大会に私も思いがけず参加できることになったのは大変ラッキーなことでした。この年の静岡県の選手団は全部で36名、選手・役員がそれぞれ18名ずつでした。選手団のみなさま、全員とっても素敵な方ばかりで、11月1日から5日までの福岡遠征はとても楽しかったです。

 そして今回掲載した写真は、ちょうど15年前の今日(3日)に、ソフトボール投げの視覚障害者の部で、私が2位に入賞したことにより頂いた銀メダルです。このメダルは、この大会のために頑張ってきた私に、神様が与えて下さったご褒美なのかもしれないとその時私は思いました。とにかく頂いたときは嬉しくて、色は銀でも金色に光って見えました。15年経った今でも、このメダルは私の大切な宝物です。

 なお、私は20代の頃は視覚障害者のスポーツのサークルに参加し、フロアバレーや卓球、陸上など、色々なスポーツをやっていました。しかし、10年ほど前に足を怪我したことや、だんなさんの学校への通勤の都合などのためにあちらこちらに引っ越したため、サークルへの参加もだんだんできなくなったことなどから、現在では全くスポーツをやっていません。なので現在では障害者の国体などは夢のまた夢です。でも、健康のために体を動かすことも必要なのかな……と再び思い始めている今日この頃です。

☆今年の全国障害者スポーツ大会は岡山県で開催されるそうです。選手のみなさま、日頃の練習の成果を十分発揮して頑張って下さいね。かげながら応援しています。

悪徳リフォーム商法に引っかかりそうになったこと

2005-07-18 09:34:47 | えりかの徒然なるままに
 今朝のNHKニュースでも取り上げられていましたが、最近、悪徳リフォーム商法というのが話題になっていますよね。巧妙な手口で住宅に上がり込み、どうでもいいような不要工事をして高額な料金をだまし取る……、というのが彼らの手口のようです。
 確かに……、「あなたの家の土台はガタガタで、このままでは倒れてしまいますよ。」と言われたら誰もが不安になってしまうと思います。そのような不安につけ込んで、しかも老人や主婦を中心にだますとは、全く許されざる行為としか言えません。

 実は何を隠そう私も、清水市草薙(現在は静岡市清水区草薙)に住んでいた頃2回ほどそんな悪徳リフォーム商法に引っかかりそうになったことがあるのです。そこで今日はその時の経験をお話ししますね。

 1回目は、5年くらい前のことだったと思います。その時我が家にやってきたのは女性の業者でした。「おたくの家の屋根はぼろぼろで、このままだと雨漏りがしてしまう。」と言われました。
 その時私は突然やってきたその人を、「屋根の鑑定士」だと思ってしまったのですよね。そして、「屋根がぼろぼろだ」と言われてびっくりしてしまいました。その人の言うのには、「向かいの洋食屋さんも今うちの会社で屋根の工事をしていますよ。お宅もどうですか?」さらに、「雨漏りはしませんか?」と聞かれました。
 そこまでいった時になって私は、「何かおかしい」と感じました。と言うのは、私がその時に住んでいた家は築15年くらい、全体に白い壁で化粧し、外観を見た感じではきれいで、それほど古い家には思えない状態だったのです。
私がそれ以前に住んでいた県の職員住宅は築40年の古い家でしたが、このような業者は来たことがありません。何よりも、築40年のその家でも雨漏りなどしたことがありませんでした。「この家の屋根がぼろぼろだったら、あの職員住宅はどうなるのだろう……。」と思ったとき、私はこの業者は怪しいと確信しました。そして、こう言って断りました。
「うちは雨漏りは一切しません。なので工事は必要ありません。お帰り下さい。」
 とは言ったものの、「うちの屋根って穴でも開いているのかしら……。」としばらくとても不安でした。こういう事って、自分たちではわかりませんものね。でも、私たちがこの家を引き払うその日まで、雨漏りは一切しませんでした。余計な工事を頼まなくて良かったです。

 2回目はそれから半年ほど経った頃だったと思います。
 今度の業者は、「地下水の点検に参りました。」という用件で、突然家にやってきました。そして、裏口の方に行き、勝手に何人かで点検を始めたのです。なので私は最初、水道局の人が来たと思いこんでしまったのです。
 ところがそのうちのひとりが玄関に戻ってきて言うには、
「いやあ、ものすごく汚れていますね。これは掃除の必要があります。少しお安くして20,000円でどうでしょうか。」
 その言葉で私は「おかしい!」と思いました。相手は男の人が数人……、ちょっと怖かったけれど勇気を出してこう言いました。
「そんなに費用がかかるというと私一人では決められません。主人と相談して決めますので、おたくの会社の名前を教えて下さい。」
 するとその人の態度ががらっと変わりました。明らかにむっとした調子で会社の名前を言い、そのまま帰っていきました。

 私はそのあとだんなさんに電話をし、その会社に断りの電話をかけて欲しいと頼みました。だんなさんは、勤務先の学校からすぐに電話をしてくれました。かなりきつい調子で、「もう二度と家に来るな!」と言って断ったようです。彼の話によると、「何かやくざのような会社」だったそうです。
 多分地下水の掃除をして、「床下がガタガタですね。このままだと家が倒れてしまいます。」と不安をあおり、どうでもいい工事をして高額な料金をだまし取る……という手口だったと思います。本当に引っかからなくて良かったです…。

 とにかく、飛び込みの業者はあまり信用しない方が良さそうですね。それと、「○○円で安く掃除させていただきます。」というのも怪しいです。皆様も悪徳リフォーム商法には充分お気をつけ下さいませ。

 今思うと、草薙というところは、こういったセールスマンの訪問がとても多い所でした。他にも、宗教の勧誘、布団の販売員、消化器の販売等、様々な押し売り……、多いときはそれらが1日おきくらいに来ていました。
そんな訪問販売やセールスを断るだけで疲れてしまったこともたびたびだったです。
 だんなさんの話によると、草薙という所は「静清(静岡と清水)の田園調布」と言われている地区なのだそうです。確かに立派な家がたくさん建っていましたし、物価も高かったです。そう言えば私たちが住んでいた家は南が空き地、西が川と、立地条件の良い1戸建ての2階屋で、4LDK、家賃は月11万円でした。よくこんな高い家賃を払って生活できていたなと、今になって時々思ったりしています。
 そのようなわけで、「草薙はお金を持っている人が多い。」というのがセールスマンや訪問販売員の常識なのかもしれません。なので悪徳商法の会社からもねらわれる地域なのでしょうね。きっと…

 何度も言うようですが、最近頻繁に報道されている悪徳リフォーム商法のニュースを観るにつけ、「引っかからなくて良かった。」と思う今日この頃です。

我が町について、ちょっと考えたこと

2005-05-23 18:09:25 | えりかの徒然なるままに
 本日は、久しぶりの地元ネタです。

 私の住んでいる静岡県島田市は、今月5日に大井川を挟んだ対岸の榛原郡金谷町と合併し、人口10万弱の新しい市になりました。島田市は更に合併を続けて、将来的には駿河湾に臨む港町を加えての大井川流域市を目指しているようです。
 そして、合併すると当然行われるのが市長選挙と市議会議員選挙ですが、この二つの選挙が昨日告示され、1週間の選挙戦に突入しました。今日も1日中選挙応援の車が我が家の近所にも来ていてにぎやかでした。

 私の家は、駅から歩いて十数分、つまり町中に近いところなのですが、実はかなり不便なところです。と言うのは、島田市の中心部は現在区画整理の真っ最中なので、住宅はかなりの個数が移転し、更に商店も店を閉めていたり、移転してしまったりで、とにかく日用品を買うことのできる店が非常に少ないのです。また、ここ10年の間に市街地にあったたった2店の大型スーパーが2店とも撤退してしまいました。なので、商店街と言っても名ばかりで、歩いている人もまばらで、まるで西部劇のゴーストタウンのようです。
 そのようなわけで、合併してもこの町が今後どのくらい発展するかわかりませんが、選ばれた市長さんや市議会議員の皆様には頑張っていただきたいです。私たち市民は、少しでも住みよい町になるように願っているのですから…。

 これは私の期待ですが、区画整理が完成すれば、また新しい多くの商店もできるでしょうから違ってくると思います。そして来年から町の顔と言うべきJR島田駅の改修工事もはじまるようです。
 また、島田駅から南東に約10㎞ほど行った牧ノ原台地には静岡空港もできるようです。そうなると、島田駅から直通のバスなども開通するのでしょうし、もう少し町も発展するかもしれません。

 ところで、その空港についてですが、この前島田駅前を歩いていたら、「静岡空港を『マウントフジエアポート』と命名するように運動しましょう」という看板が出ていました。でも、ちょっとピント来ないですね…。と言うのは、同じ静岡県でもこのあたりは富士山から80㎞少しと、かなり離れているのです。富士山の麓に空港を創るとしたら「マウントフジエアポート」でもOKだと思うのですが、今回できる空港は「静岡空港」でいいのではないかと思います。それとも、空港のできる土地の地名を採って「牧ノ原空港」とか…。
牧ノ原大地はお茶所静岡県の中でも有数なお茶の産地であり、全国的にも有名なところですから。

 それに、日本国内なのにどうして、「マウントフジエアポート」と言った横文字の名前をつけたがるのでしょうか?先般全国ニュースにも流れて評判になった、愛知県に開港した「セントレア空港」もそうですが…。
そう言えば、セントレア空港の南側にあるいくつかの町を町村合併させて「南セントレア市」を創ろうとしたのですけれど、住民投票で却下された……ということもありましたよね。もし、今度できる空港が「マウントフジエアポート」という名称になり、私の住んでいる町が「北マウントフジ市」になったりしたら、私は嫌ですね。
先にも書いたように、何でも西洋のまねをして横文字にしてしまうのは反対です。もっと日本古来の美しい地名を大切にしてほしいものです。
 私は歴史好きが高じて「駿河」とか「遠江」のような旧国名をよく使ってしまうのですが、そのような古い地名も忘れないでもらいたいものです。県都の静岡市は、合併により準制令になったことにより区を創り、駿河区、葵区、清水区という徳川家康を思い出させるような懐かしい区名を採用しました。私個人的には島田市もこれを見習って欲しいものです。


髪が長い

2005-01-16 12:59:08 | えりかの徒然なるままに
 今回は私の髪の毛に関する話をさせていただきますね。

 私はこれまでに3回、髪を伸ばしたことがあります。
1回目は小学生の時でした。幼稚園時代の私は超ショートヘアーだったので、髪の長い友達がうらやましくてなりませんでした。それで、「小学生になったら絶対に髪の毛を長くしよう。」と密かに決心していたのでした。
 そして、その決心を貫いて(?)、小学生になった私は髪の毛を伸ばし始めました。明確かな記憶というわけではありませんが、小学校4年の1学期くらいまで伸ばしていたと思います。一番長いときは腰の下まであったので、私は三つ編みをして学校に通っていました。

 2回目に髪を伸ばしたのは、高校1年から約4年間です。高校に進学した当時、私の友人たちはみんなカレシを作って、デートだ何だとはしゃいでいたのに、私にはカレシができませんでした。それで、「私はどうしてカレシができないのかな。」と思っていたところへ、「うちの高校の男の子達は髪の長い女の子が好きだから、髪を伸ばすといいかもよ。」と、同じ演劇同好会にいた先輩に言われたので、髪を伸ばすことにしたのでした。でも、結局高校時代にカレシはできませんでしたが…。
 高校卒業と同時に髪を切ろうかと考えたのですが、なぜかもったいなくなって切れなくなってしまいました。でも、だんだん洗うのも手入れも面倒になり……、しかも私は医療関係の専門学校に通っていましたので「長い髪はちょっとまずいかも。」と思うようになりました。それで、二十歳の誕生日の一週間前にばっさり切りました。美容院の人に「もったいない。」と言われたのですが、切ってしまうととてもすっきりしました。そして、「もう二度と髪の毛なんか伸ばさない!!」と決心したのでした。

 ところが、二十歳の時にそんな風に思っていた私、現在髪を伸ばしているのです。
 どうしてそんなことになったのかといいますと、一昨年の5月に京都仁和寺で行われた「日本文化フォーラム21 紫の心~源氏物語の世界」というフォーラムに参加したことがきっかけでした。
そのフォーラムは、平安時代についての講演が聴け、王朝料理が食べられ、十二単が着られるという、平安時代好きの私にとっては夢のような内容でした。
 特に十二単の着用は15年来の夢でしたので、思い切って参加させていただいたのです。でも、当時の私の髪の毛は肩よりちょっと長いといった程度でした。なので、十二単を着て幸せ気分でしたが、短い髪はどうも衣装に映えないのですよね…。
 それで、フォーラムに参加なさっている方々を見渡したところ、髪の毛を膝のあたりまで伸ばしていた方がいらっしゃいました。私よりずっと若い方でしたのでうらやましかったです。でも、四十代の方できれいなストレートの黒髪を腰のあたりまで伸ばしていた方がいらっしゃったのを見て、「私も髪を伸ばすのはまだおそくないかもしれない!!」と思ってしまったのでした。
「髪を伸ばして、もう一度十二単を着よう。」と決心したのです。

 そのようなわけで、現在髪の毛を伸ばしています。正確に長さは測っていませんが、現在70センチ弱といったところでしょうか。

 昨年の秋、平安時代の姫君の普段着でもある袿を、京都の風俗博物館で着せていただきました。すでに髪の毛は腰のあたりまでありましたので、とてもいい感じで写真を撮ることができました。風俗博物館には、きれいな長い髪の毛の姫君のお人形がたくさん展示されていますので、いつもわくわくさせられます。
私も、これからも平安時代の姫君のようなきれいな髪の毛を目指して頑張ります。いつか十二単を着られる日のために……。