私が師匠の元を離れ「江戸糸あやつり人形」を設立したのは、1992年2月。
今年20周年を迎えました。
独立したときは人形も何もなく、ただ自分が書いた人形の胴の設計図があったきり。
師匠に「良い人形遣いになりなさい」とは言われたものの、
実は人形を続けられるかどうかすらわからず、
私は敢えて人形とはまったく無関係の、トラックを運転してビールを運ぶ仕事を
アルバイトに選びました。
私自身を試したのですね。
全くの「無」から始めて、できるのかどうか。
今では私が作った「江戸糸あやつり人形」の名前を、人形の名前として使うところが
幾つかでてきました。
それだけ私たちの活動が確かなものと、認められたことになるのでしょう。
この20周年の記念に、私の父の絵を会場に飾る事にしました。
私の父・上條雄也は、92歳になる現役の画家で、口癖は
「印象派が白を使うことで絵をだめにした。絵の具は透明なのだ」
70を過ぎるころから自然に学ぶと風景画に取り組み、
自然の複雑な色の重なり合いを学びながら、奥の深い絵を描いています。
「5年長生きしたから、新しい発見ができた」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/17/f3/dbbd33bd938d5534d21e685fbe5c02ae_s.jpg)
父の書いた水彩画を5点展示します。
上の写真は2010年の作品「激流の中の岩」
私が小さなデジカメで撮影したもので、真ん中にガラスの反射が写っています。
実際にご覧いただければ幸いです。
ささやかな父子共演です。
今年20周年を迎えました。
独立したときは人形も何もなく、ただ自分が書いた人形の胴の設計図があったきり。
師匠に「良い人形遣いになりなさい」とは言われたものの、
実は人形を続けられるかどうかすらわからず、
私は敢えて人形とはまったく無関係の、トラックを運転してビールを運ぶ仕事を
アルバイトに選びました。
私自身を試したのですね。
全くの「無」から始めて、できるのかどうか。
今では私が作った「江戸糸あやつり人形」の名前を、人形の名前として使うところが
幾つかでてきました。
それだけ私たちの活動が確かなものと、認められたことになるのでしょう。
この20周年の記念に、私の父の絵を会場に飾る事にしました。
私の父・上條雄也は、92歳になる現役の画家で、口癖は
「印象派が白を使うことで絵をだめにした。絵の具は透明なのだ」
70を過ぎるころから自然に学ぶと風景画に取り組み、
自然の複雑な色の重なり合いを学びながら、奥の深い絵を描いています。
「5年長生きしたから、新しい発見ができた」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/17/f3/dbbd33bd938d5534d21e685fbe5c02ae_s.jpg)
父の書いた水彩画を5点展示します。
上の写真は2010年の作品「激流の中の岩」
私が小さなデジカメで撮影したもので、真ん中にガラスの反射が写っています。
実際にご覧いただければ幸いです。
ささやかな父子共演です。