浅草21世紀の座長 橋達也さんがなくなられた。
浅草21世紀といっても、ご存じない方が多いと思う。
エノケンを代表に、浅草軽演劇、浅草喜劇が大流行した時期があった。
その火を消さないようにと、故・談志師匠のすすめもあって
橋さんが座長となって浅草木馬亭を本拠地に始めたのが、この浅草21世紀。
江戸糸あやつり人形にいろいろあったとき、人の紹介があって、
年に2度ほど出演するようになった。
「楽屋は明るくなくちゃいけないよ」
というだけあって、ともかく楽屋が楽しい。
私たちは、座長に救われたと思っている。
楽しいだけではない。
芝居を見ているだけで、喜劇の勉強になった。
また古き良き時代の芸人の話しも、可笑しく、そしてためになった。
毎月8日間11ステージの公演である。
出演していなくても、できるだけ毎月観に(遊びに?)通っている。
ただ、毎月興行を打つということは、それは大変な事である。
そんな心労がたまっていたのであろうか。
74歳では、あまりにもわかすぎる。
もっと生きていて欲しかった。
ご冥福を、、心より祈るばかりである。
浅草21世紀といっても、ご存じない方が多いと思う。
エノケンを代表に、浅草軽演劇、浅草喜劇が大流行した時期があった。
その火を消さないようにと、故・談志師匠のすすめもあって
橋さんが座長となって浅草木馬亭を本拠地に始めたのが、この浅草21世紀。
江戸糸あやつり人形にいろいろあったとき、人の紹介があって、
年に2度ほど出演するようになった。
「楽屋は明るくなくちゃいけないよ」
というだけあって、ともかく楽屋が楽しい。
私たちは、座長に救われたと思っている。
楽しいだけではない。
芝居を見ているだけで、喜劇の勉強になった。
また古き良き時代の芸人の話しも、可笑しく、そしてためになった。
毎月8日間11ステージの公演である。
出演していなくても、できるだけ毎月観に(遊びに?)通っている。
ただ、毎月興行を打つということは、それは大変な事である。
そんな心労がたまっていたのであろうか。
74歳では、あまりにもわかすぎる。
もっと生きていて欲しかった。
ご冥福を、、心より祈るばかりである。