ここのところ滅多に芝居を見に行かなくなってしまった。
わくわくする、元気をもらったと言う経験がなくなり、却ってエネルギーを
吸い取られる感じがするからだ。
そしてもう一つ、どんなに小さな劇場でも客席から見て舞台が遠くに感ずる
ことが多くなったからかもしれない。
先日知り合いの舞台を見た。
ベテランの知り合いが若手を率いて10周年、その記念の公演だった。
若手が随分上手くなったと思う。
確かにテクニックは付いたと思う。
でも、芝居が届いてこない。
芝居に引き込まれること無く、最後まで他人事だった。
舞台が遠くに感じたのだ。
この感じはこれまでに度々経験してきた事だ。
その度に「舞台に掛けるとはどういうことだろうか」と自問している。
演劇にしろ人形劇にしろ、大衆的な娯楽から離れてしまって久しい。
それは何からきているのだろうか、いつも考えている。
テレビやゲームなど娯楽の対象が多岐に渡るからといわれるが、
それは逃げの言葉にも思える。
いろんなことを考えるが、常に自分に返ってくる。
わくわくする、元気をもらったと言う経験がなくなり、却ってエネルギーを
吸い取られる感じがするからだ。
そしてもう一つ、どんなに小さな劇場でも客席から見て舞台が遠くに感ずる
ことが多くなったからかもしれない。
先日知り合いの舞台を見た。
ベテランの知り合いが若手を率いて10周年、その記念の公演だった。
若手が随分上手くなったと思う。
確かにテクニックは付いたと思う。
でも、芝居が届いてこない。
芝居に引き込まれること無く、最後まで他人事だった。
舞台が遠くに感じたのだ。
この感じはこれまでに度々経験してきた事だ。
その度に「舞台に掛けるとはどういうことだろうか」と自問している。
演劇にしろ人形劇にしろ、大衆的な娯楽から離れてしまって久しい。
それは何からきているのだろうか、いつも考えている。
テレビやゲームなど娯楽の対象が多岐に渡るからといわれるが、
それは逃げの言葉にも思える。
いろんなことを考えるが、常に自分に返ってくる。
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