江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

宿根木

2024-02-29 00:28:41 | 日記
またしても佐渡の話。

フェリーまで時間があるので、いろいろ案内してもらった。
最初に連れて行ってもらったところが宿根木というところ。



約1ヘクタールの土地に百十棟もの建造物がある。
道が狭い。
なぜか「世捨て小路」というらしい。





ところがこの集落、面白い。
なんと江戸時代は集落全体で千石船を建造していた。
だから船大工だけでなく、鍛冶屋もあれば
船に必要なものを作る職人がすべてそろっていたという。
廻船の寄港地でもあり、非常に豊かなところだったそうである。
ところが明治18年、政府は大型の和船の製造を禁止してしまう。

話は横にそれるが、
現在日本全国から船大工がいなくなってしまった。
そこで問題なのが、伊勢神宮の遷宮。
内宮にある宇治橋を作るのに、船大工の技術が必要なのだが、
先の遷宮で務めた船大工さんたち、
もう自分たちで最後になるかもしれないということで、
後で研究できるようにと道具一式を神社に残したそうだ。

集落をぐるっと1周して港に戻ると
女の子とお母さんとすれ違った。
すると「あのう、糸あやつりの・・・」と声を掛けられた。
「昨日の公演、見ました。蝶で遊んでいます。」
嬉しいではないか。
するとかみさんが手拭いを渡したいと言い出し
すぐに車に取りに行ったのだが、二人は消え、
どこに行ったか分からなくなってしまった。
ところが、この集落で女の子というと一人しかいないらしく
人に尋ねたらすぐにわかってしまった。

港には舟留めが何本か立っていたが、
港は岩がゴロゴロしていて、船が着けられそうにない。
港に沿って何軒か家があり、1件から煙が出ている。
声を掛けたが、だれもいない。
ふと隣を見たら、なんと傾いていて、
かろうじて電柱に引っかかって倒壊を免れている。
でも車庫に車、大丈夫なのかと思う。



隣の家から人が出てくる。
そう、その人から女の子の家を教えてもらった。
その人は木地師さんで、
能登地震の時、裏のがけから岩がその作業小屋に飛び込んできて、
やっと片づけたところだとか。
港は60センチほど隆起しているという。

小木地区に宿泊していたが、
石畳に砂が撒かれていて、それは液状化のせいだと聞いた。
それぐらいの被害と思いきや、
この宿根木は、
もう少し被害があるようだ。
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