11月1日は恒例となった沖電気主催の養護施設の子供たちを集めたイベント。
いつもならスケジュールで紹介するのだが、
演目が「瞼の母」とあって、子供たちがどう反応するかわからず、
敢えて紹介するのをやめた。
養護施設は、何らかの理由で親元を離れなければならなかった
子供たちのための施設。
その子供たちに、
5つの時に生き別れした母親を探す息子の話を見せるのだから、
無謀といえば無謀な訳で、
かみさんは結構反対した。
ただ、「笑い」を入れることで対比とメリハリがはっきりして、
ドラマとして見応えのある作品に仕上がっていること、
そして、この作品を観たことで
子供たちが将来考えるきっかけになったらと考え
敢えて上演することにした。
実はもう一つ理由があって、
ブラジルではどんな舞台が待っているかわからないので、
舞台として非常に条件の悪いところでやっておきたかった。
子供に対する私たちの危惧は、全く杞憂だった。
初めこそ子供たちは緊張しているようだったが、
次第にほぐれ、
おはまと忠太郎のくだりなどは食い入るように見ていたそうだし
最後の立ち回りでは子供たちは声を上げて反応し、
海外に出発する前の公演として、申し分ないものだった。
僅か20人足らずの観客だったが、
だからこその充実感は生まれるし、
こういう舞台を大切にしたいと思う。
その後のストロー人形つくり、そして竹とんぼつくりでも
盛り上がったのだが、
最後の竹とんぼのゲームで大人気なく楽しんでいたのは
私と大上こうじだった。
いつもならスケジュールで紹介するのだが、
演目が「瞼の母」とあって、子供たちがどう反応するかわからず、
敢えて紹介するのをやめた。
養護施設は、何らかの理由で親元を離れなければならなかった
子供たちのための施設。
その子供たちに、
5つの時に生き別れした母親を探す息子の話を見せるのだから、
無謀といえば無謀な訳で、
かみさんは結構反対した。
ただ、「笑い」を入れることで対比とメリハリがはっきりして、
ドラマとして見応えのある作品に仕上がっていること、
そして、この作品を観たことで
子供たちが将来考えるきっかけになったらと考え
敢えて上演することにした。
実はもう一つ理由があって、
ブラジルではどんな舞台が待っているかわからないので、
舞台として非常に条件の悪いところでやっておきたかった。
子供に対する私たちの危惧は、全く杞憂だった。
初めこそ子供たちは緊張しているようだったが、
次第にほぐれ、
おはまと忠太郎のくだりなどは食い入るように見ていたそうだし
最後の立ち回りでは子供たちは声を上げて反応し、
海外に出発する前の公演として、申し分ないものだった。
僅か20人足らずの観客だったが、
だからこその充実感は生まれるし、
こういう舞台を大切にしたいと思う。
その後のストロー人形つくり、そして竹とんぼつくりでも
盛り上がったのだが、
最後の竹とんぼのゲームで大人気なく楽しんでいたのは
私と大上こうじだった。
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