江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

同根

2015-07-22 00:50:42 | 日記
安保法制と新国立競技場、どうも同じような臭いがすると思っていた。
丁度読み始めた本(纐纈厚著 「日本降伏」)の冒頭に
気になる言葉が書かれていて、
臭いの元を見た気がした。

太平洋戦争当時の日本陸軍の重要人物・堀場一雄は
戦争指導上押えるべき要点として
「戦争目的の確立、進軍限界の規整、終結の把握」
の3点を挙げていた。
結局そのどれも実際は曖昧になり
しかもポツダム宣言という形での降伏勧告を受けながら
徒に時間を引き延ばすことで
東京や大阪をはじめとする大空襲や、沖縄戦、そして原爆投下と続き
国民に多大な犠牲を強いた。

新国立競技場の一連の経過を見ていると、
まるで大学受験生のように合格することだけが目的化され、
あの安藤さんの発言を聞いていると、
受かるためにわざわざ目立つ奇抜なデザインを選んだと聞こえ、
私から見ると、大きなプロジェクトを手掛ける建築家なのだから
おおよその予算の見当ぐらいつけられるだろうと思うのだが、
逃げの一手だけだった。
上に書いた3点を思い出してほしい。
今東京にオリンピックを招致しなければならないことって、なんだろう。
景気以外に目的が見えないのだ。

あの設計士には10数億円が支払われるらしい。(違約金は別)
最終プレゼンテーションまでプロデュースした英国会社には
いくら払われたのだろう。
招致運動からオリンピックを終えて後始末が終えるまで、
いくらの予算を組んだのだろう。
その収支によっては、撤退も考えているのだろうか。

さて安保法制である。
アメリカから流される情報だけをもとに自衛隊が出動して、
隊員は国民を、そして国を守っている目的意識・気概が持てるのだろうか。

日本は満州事変以降現地が主導して、戦線は拡大の一方だった。
アメリカのアフガンやイラクを見ても、同様に言える。
ベトナムは10数年戦って、負けた。
一旦戦争がはじまると、戦線は拡大し、長引く。
それに伴って自衛隊は泥沼に入っていくのだろうが、
それ以上は集団的自衛権を逸脱する、と言えるのだろうか。

そして日本独自に終結を判断することができるのだろうか。

結局新国立競技場と同様、リーダーシップ無きままの混迷しか見えてこない。

戦後70年を迎えると、世間は騒いでいるが、
70年間、何も考えてこなかった、ってことなのか。

安保法制も、白紙に戻し、1から考えるべきだろう。
新国立競技場でできたのだもの、できないはずがない。
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