江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

憲法を考える その2

2014-05-15 00:37:39 | 日記
先日電車に乗っていたら、
若い男性に席を譲られた。
私は素直に感謝を述べ、席に着いたが、
かみさんは
「あなたも譲られるようになったのね」と喜んでいた。
もちろん私は初体験だった。
これから譲られることが多くなるのだろう、
と思った時、
もう私は戦争に行くことはないのだろうな
そんな思いが頭をよぎった。
しかし席を譲ってくれたこの人が、
もしくはこの人の子供が戦争に行くことはあるのかもしれない、
そう思わせる動きが、世の中にはある。

連立与党間の駆け引きで
閣議での決定だけで憲法の解釈を変更してもよいものだろうか。
そもそも「憲法の解釈」と言うこと自体がおかしなことで
閣議の決定が憲法の上に立つことは許されることではない。
それを許せば憲法自体ないがしろにされ、
その時々の内閣が、すべてを決定してしまうことになってしまう。

保阪正康氏は、昭和6年から軍部が政治的実権を固めていく過程と比較し
今の流れを批判している。
軍部が実権を握っていく時に、「統帥権干犯を許さない」という言葉が
脅しとして使われていく。
「統帥権」は明治憲法上天皇の大権だが
「統帥権の干犯」は、憲法の条文にはない。
軍事費の内容や戦況について官僚や政治家が訪ねても、
「統帥権の干犯」を盾に、軍部は教えない。
質問自体が「統帥権の干犯だ」とされてしまう。
そして終いには、戦争の内実や戦況の真実を天皇にも知らせなくなっていく。

閣議決定で憲法解釈の変更を認めれば、
その時々の内閣の都合で憲法は歪められ
しかし「特定機密保護」の元、国民はもちろんのこと官僚も議員も
知らされない状況に置かれる可能性がある。
小手先の手段でなし崩しにしてはいけない。
必要ならば憲法を変えるべきなのだ。
私たちは自分たちの子孫にどんな国を残していくのか、
それが問われているのだ。

コメント
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