マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

荒川5中の新年会で、大相撲見物(その1)

2015年01月18日 | スポーツ

 昨日の1月17日(土)は、私がボランティア教員として勤務する荒川5中の新年会。一次会は大相撲見物。二次会は割烹「吉葉」に河岸を変え、ちゃんこ鍋を囲んだ。荒川5中は昨年12月には上野「五臓六腑」で忘年会。正規職員ではない私にもお声が掛かり、この様な会の好きな私は、どちらにも参加させて貰い、温かいオモテナシをして頂いた。家族的とも思える、この学校の様子や雰囲気は次回ブログに譲って、今回は大相撲に触れたい。

 相撲見物の前日、豊真将の引退の記者会見があったそうな。それは見逃し、翌日の新聞記事で知った。怪我での右膝癒えずで、4場所連続の休場。来場所は三段目に落ちても相撲を取ると思っていたから凄く残念・無念。何度目かの再起を期待していたが・・・。
 「蜂窩織炎の悪化で日大相撲部を退部し、警備員や鳶職などの仕事を続けていたが、相撲への思い絶ちがたく、開設されて間もない錣(しこら)山部屋入門、親方(四股名寺尾)と二人三脚で漸く十両へ」の新聞記事を読んだ2006年以来のファンだった。私も逆境にもメゲナイ者を応援したくなるたち。最高位は東小結。

 記者会見で、思い出に残る相撲はの問に「2009年五月場所、14連敗中の千秋楽で漸くの1勝。勝ったことより温かい声援に泣けた」と語っていた。”深い友情には恋の味がする”とは聞いたようなセリフがだ、そこに”熱烈なファンとなるのはもう一つの恋”と付け加えたい。長いことお疲れ様ではなく、毎日声援を送り続けられてドキドキを有難う、と書きたい。所作と土俵態度の美しい力士だった。(写真:鶴竜土俵入の時の露払いをつとめる豊真将)

 2014年5月15日のブログには”鶴竜土表入り”を書いた。あの時の絶頂の日々は昨日の土俵の何処にもなかった。主役鶴竜は横綱として未だ優勝なしで、既に2敗。露払い豊真将は引退。”勢”は全敗。新たにファンとなった”勢”には「勢」と書いたカードを掲げて声援を送ったが、依然として全敗。

 それにしても凄い相撲人気である。昨日まで7日連続の満員御礼である。人気の秘密の一つを三役から幕内上位にかけて有望力士が目白押しで、終盤の9番全てが好取組となっているからと、私は見た。遠藤・逸ノ城・栃煌山だけではない。照ノ富士がいる、高安がいる。幕下から這い上がってきた栃ノ心もいる。碧山・魁聖・宝富士・常幸龍もいい。勢の捲土重来もあるだろう。おっと安美錦を忘れかけていた。

 テレビ観戦と直接観戦の最大の違いは、直に感じられる雰囲気・声援の凄さと改めて感じた。
 余ったチケットを頂き、中学時代の友人にして、将棋駒作名人北田(北田如水)君と一緒の観戦。
(付記:北田君の駒は、間もなく開始される将棋棋王戦第一局で使用されるとの事)




    (白鵬の横綱土俵入)


      (鶴竜の横綱土俵入)


      (日馬富士の横綱土俵入)


      (東方力士土俵入)


       (西方力士土俵入)






 


海老蔵の「石川五右衛門」を観る

2015年01月16日 | 映画・美術・芝居・落語

 1月9日(金)にも、頂いたチケットで、新橋演舞場で海老蔵の「石川五右衛門」を観て来た。海老蔵人気は凄い。大入り満員である。
 松竹は今年で創業120年になるそうで、それを記念しての「初春花形歌舞伎」は昼の部も夜の部も、海老蔵の「石川五右衛門」一本のみ。私がまだ歌舞伎を観なかった2009(平成21)年8月に、『金田一少年の事件簿』の原作者樹林伸に参加してもらい、新たなストーリーを構築し、海老蔵による五右衛門が上演されたそうな。今回も樹林伸を迎え、従来の作品とは違った構想での作品と、チラシには書かれていた。
 例によって早速イヤホンガイドに耳を傾けると、石川五右衛門の解説が流れて来た。公家の遺した日記に五右衛門のことが書かれていて、実在の人物と考えられ、更に釜茹も秀吉時代によく行われた残虐な刑、五右衛門も釜茹にされた可能性は高いとのこと。



 配役は五右衛門の敵役ワンハンに中村獅童、豊臣秀吉に市川右近、茶々に片岡孝太郎。
 舞台は煌びやかにして豪華絢爛。反面、ストーリーは奇想天外にして荒唐無稽。
 そのハチャメチャな物語の概略を追ってみると、

 第一部は日本国内での話。秀吉寵愛の宝物を盗まんと大阪城に忍び込んだ五右衛門はそこで茶々に一目惚れ。茶々も五右衛門に惹かれ、茶々は五右衛門の子を身籠り出産。そのことを五右衛門から聞かされた秀吉は狼狽えるどころか、「実はお前は私の倅。だから茶々の産んだ子は、ワシの孫。豊臣家跡継ぎなのだ」と誇らしげに語り、これには五右衛門もびっくり。南禅寺山門上からの海老蔵の睨みでは場内は割れんばかりの大拍手。

 第二部は明時代の中国での話。女真国の王ワンハンは”日の本”の国の絶世の美女茶々を攫って来いと女将軍に命じ、彼女は海の彼方の日本までやってきて、茶々を拉致。茶々を助けんと、女真国に乗り込んだ五右衛門は幾多の闘いの末に、部族の内部抗争乗じてワンハンを打ち破り、二つの部族を統一して王となってしまう。
 義経がジンギスカンと同一人物という伝説を彷彿させる物語ではある。

 しかし、最後に秀吉が弓を持って満州国に乗り込むというクダリは頂けない。架空の物語とはいえ、秀吉の朝鮮出兵へ厳しい批判精神が全く欠けている。荒唐無稽はまだしも、相手国に不愉快な思いをさせるような展開は避けたほうが良いと感じた。右近の秀吉の演技が味わい深いものだけに、そこが残念だった。五右衛門は宙乗で凱旋というサービスに観衆は拍手喝采だったが・・・。


新春浅草歌舞伎を観る

2015年01月14日 | 映画・美術・芝居・落語

 昨日、浅草公会堂で新春浅草歌舞伎を観て来た。この数年、新春の浅草歌舞伎に出かけて来たが、今年は例年と趣向が変わっていた。一昨年は海老蔵、昨年は市川猿之助・片岡愛之助など、人気役者が舞台の主役をつとめてきたが、今年は、若手俳優が中心の舞台となった。尾上松也・中村歌昇・坂東巳之助・中村種之助・中村米吉・中村隼人・中村児太郎ら20代の花形俳優7人が浅草に集結ときた。しかし、私が知っている役者は坂東巳之助のみ。その若手による第一部(昼の部)は次の3作で構成されていた。
 1.
春調娘七種(はるのしらべ むすめななくさ)
 2. 一條大蔵譚(いちじょうおおくら ものがたり)
 3. 独楽売

 どの芝居も、新春に相応しく、溌剌として華やかで、観ていて非常に楽しくなる舞台だった。
 この4年間、随分歌舞伎を鑑賞させて頂いているので、初めて観る芝居は春調娘七種のみ。幕開きは曽我兄弟を題材にした、舞踊の中では最古の作品と言われる春調娘七種。
 イヤホンガイド「くまどりんカード」の会員となり、6000円をチャージしておいた。こうしておけば、毎回、供託金1000円は不要で、使用料700円のところ600円で済む。そのイヤホンから「新春歌舞伎では、曽我ものの舞台上演が恒例となっています」と流れてきた。同行の友人は「丸谷才一が、曽我ものが必ず上演される謂れについて書いています」と言っていたので、帰宅後調べているが未だその地点に到達していない。
 曽我五郎を尾上松也が、十郎を中村隼人の二人が、息の合った舞踏を観せてくれる。

 続いてが一條大蔵譚。前回は吉右衛門の一條大蔵を観た。ストーリ展開は殆ど同じ。阿保を装う大蔵長成が、時折真顔になる。阿保と真顔の切り替えがこの芝居の見所と思うが、歌昇の演技より、年期の入った吉右衛門の演技の方が強烈な印象であったことは否めない。
 独楽売では特に中村米吉の粋筋に強烈な色気があった。同行の友人とその艶やかさを同感しあうほど色香が匂い、彼のファンになってしまった。坂東巳之助の発声は、独楽売の千吉のみならず、冒頭の舞台挨拶も、耳に難点のある私の耳に、はっきりと快く届いた。細長い顔とともに、この役者をしっかりと覚えてしまった。
 独楽の曲芸は、「後見」が独楽を針金の先に着け、巧みに操作していたが、種之助と巳之助の二人が実際に曲芸を演じていると見える場面があり、これは驚きだった。
 会場は大入りで、和服姿の多くの女性が新春の雰囲気を醸し出していた。私は、友と二人浅草の飲み屋街へ。


 


 


山手七福神を巡る

2015年01月12日 | 東京散歩

 1月4日、山手七福神を巡った。赤旗日曜版に入っていたチラシを見ての応募。チラシには「目黒七福神」と書かれていたが、この七つ福神様のうち4つは港区にあり、今は、”目黒”を冠せず山手七福神と呼ぶ。
 七福神信仰は、江戸時代中期には庶民にとっては娯楽の一つとして多くの人に親しまれていたらしい。私たち二人にとっても娯楽のひとつ。昨年の谷中七福神に次いでの七福神めぐり。
 ここの七福神は看板に『江戸最初  山手七福神』と書かれ、江戸最初の七福神、とは今年初めて知った。
 瀧泉寺(目黒不動・恵比寿神)→蟠竜寺(弁財天)→大圓寺(大黒天)→妙円寺(福禄寿尊・寿老人尊)→瑞聖寺(布袋尊)→覚林寺(清正公・毘沙門天) とめぐった。

 第一次集合が三田線千石駅。第二次集合が東急目黒線不動前。参加者は全部で18名。ラジオ体操前立の中村さんもいた。
 10時過ぎ不動前駅よりスタート。スタート直前に、私は道案内を依頼された。私がここ目黒の生まれであることを主催者は知っていてのことで、私が先頭に立ってまずは目黒不動へ。お不動さんと呼ぶほうが懐かしい。かっては幼馴染が住んでいた辺りはすっかり様変わりしていた。恵比寿神は階段を上らず、下の池の畔にあった。
 
お不動さんの思い出は3つ。毎月28日の縁日が待ち遠しかった事。行者達が滝(独鈷の滝)から落ちる水流を浴びて修行していた池で、私も水遊びをしたこと。小学生のころ、お不動さんの塔が赤々と燃え上がるのを怖々と見たこと。
 今日は100人ぐらいの野球部員が初詣に来ていて、ユニホームの名前を見ると、我が母校小山台。私も母校の甲子園出場を祈願した。(写真:目黒不動山門)


 続いて向かったのが蟠竜寺。とういより、我が家の菩提寺にして、岩屋弁天と呼んだほうがピッタリ来る。この機会に父母の眠る墓に詣でた。ここには弁天様は2つ(?)おわす。岩屋の奥にまします弁天様と、新たに祭られた弁天様。(蟠竜寺本堂)










 続いての大圓寺は目黒雅叙苑すぐ上の、行人坂を上る右手にある。ご住職は小学校時代の同級生。江戸三大火事の一つ「行人坂火事」の火元。五百羅漢の石仏群はこの大火の犠牲者供養のために当時に建てられたものと伝えられている。(写真:大圓寺石仏群)










 急坂を上り終えると白金台地。特に印象に残ったのは瑞聖寺。ここ
の大雄宝殿は重要文化財。布袋様より、こちらの端正な建造物を長いこと鑑賞してしまった。布袋様スミマセン。最後に訪れた覚林寺は別名清正公(せいしょうこう)と呼ばれ、加藤清正縁のお寺。
 無事巡り終えて昼食のお店を求めたが、正月4日のこのあたりで営業しているお店なし。一献を傾ける事無く終わったのが残念だった。

(写真:瑞聖寺大雄宝殿)


ソラシオ汐留へ

2015年01月10日 | お気に入りの店

 1月3日(土)、浜離宮で放鷹術を見学した後に向かったのが、目の前にソソリ立つ電通ビル。そこの46階に「ソラシオ汐留」はあった。そこがオシャレなレストランだとは、数週間前に、女子会でここを訪れた妻の感想。偶然にもクルーズの最終地点に「ソラシオ」があり、しかも新年は3日からの営業と知って、13時半からの予約をしておいた。(写真:ソラシオのHPより)






 やや時間に余裕があったので、46階の展望室からの見晴しを楽しんだ。先ほどクルーズしてきた隅田川や浜離宮が眼下に広がり、その向こうに東京湾。湾の果てには房総半島と三浦半島。壮大な展望である。ただ西に位置する富士山と東の東京スカイツリーはここからは望めなかった。(写真:眼下の浜離宮)

 

 「ソラシオ」は妻が絶賛するだけのことはある、創作フランス料理のお店だった。ランチは3000円とお高かったが、今年の正月は何処にも宿泊旅行をしないのだからと、私が”財務省に陳情し”実現した昼食。最初に、料金内での飲み物が出る。私は生ビールを妻は白ワインをオーダー。前菜のビーストローフは量が豊富で柔らかい。続いてズワイガニのスープ。


     (レインボーブリッジ)

      (隅田川と高層ビル群)

 生ビールでいい心持ちとなり、食事をしながら、先ほど見た風景をゆったりと鑑賞する。窓際のベストの席を用意してくれたこともあるが、このロケーションこそ「ソラシオ」の最大のセールスポインだろう。「ソラシオ」の「ソラ」は空をイメージし、「シオ」は当然汐留から取ったものだろう。HPには天空レストレンとも、夜景こそ素晴らしいとも書かれている。

 風景に見惚れているうちに、メインディッシュが来た。妻はスズキの、私は肉の料理。これも量が多い。その後のデザートはバイキング形式で、お好みの量だけとれるのがよいが、体重が増える量を食してしまった。最後にコーヒー。これは最近飲んだコーヒの中でも格別に美味だった。

 このレストラン、特に女性に人気が高く、予約するのが大変と聞いた。女性だけでなく男性の私でも何度でも利用したいが、値段からそうは利用出来ない。いとせめて、記念日などに夜景を楽しみたい、と思わせるレストランだった。
 同じ階にある「北海道」からはスカイツリーの展望が良い。撮影を依頼すると快くOK。ここは、午後の2時間飲み放題は無料とのこと。こちらのお店も袖が引き込まれそうだ。(写真:「北海道」からのスカイツリー)