マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

山手七福神を巡る

2015年01月12日 | 東京散歩

 1月4日、山手七福神を巡った。赤旗日曜版に入っていたチラシを見ての応募。チラシには「目黒七福神」と書かれていたが、この七つ福神様のうち4つは港区にあり、今は、”目黒”を冠せず山手七福神と呼ぶ。
 七福神信仰は、江戸時代中期には庶民にとっては娯楽の一つとして多くの人に親しまれていたらしい。私たち二人にとっても娯楽のひとつ。昨年の谷中七福神に次いでの七福神めぐり。
 ここの七福神は看板に『江戸最初  山手七福神』と書かれ、江戸最初の七福神、とは今年初めて知った。
 瀧泉寺(目黒不動・恵比寿神)→蟠竜寺(弁財天)→大圓寺(大黒天)→妙円寺(福禄寿尊・寿老人尊)→瑞聖寺(布袋尊)→覚林寺(清正公・毘沙門天) とめぐった。

 第一次集合が三田線千石駅。第二次集合が東急目黒線不動前。参加者は全部で18名。ラジオ体操前立の中村さんもいた。
 10時過ぎ不動前駅よりスタート。スタート直前に、私は道案内を依頼された。私がここ目黒の生まれであることを主催者は知っていてのことで、私が先頭に立ってまずは目黒不動へ。お不動さんと呼ぶほうが懐かしい。かっては幼馴染が住んでいた辺りはすっかり様変わりしていた。恵比寿神は階段を上らず、下の池の畔にあった。
 
お不動さんの思い出は3つ。毎月28日の縁日が待ち遠しかった事。行者達が滝(独鈷の滝)から落ちる水流を浴びて修行していた池で、私も水遊びをしたこと。小学生のころ、お不動さんの塔が赤々と燃え上がるのを怖々と見たこと。
 今日は100人ぐらいの野球部員が初詣に来ていて、ユニホームの名前を見ると、我が母校小山台。私も母校の甲子園出場を祈願した。(写真:目黒不動山門)


 続いて向かったのが蟠竜寺。とういより、我が家の菩提寺にして、岩屋弁天と呼んだほうがピッタリ来る。この機会に父母の眠る墓に詣でた。ここには弁天様は2つ(?)おわす。岩屋の奥にまします弁天様と、新たに祭られた弁天様。(蟠竜寺本堂)










 続いての大圓寺は目黒雅叙苑すぐ上の、行人坂を上る右手にある。ご住職は小学校時代の同級生。江戸三大火事の一つ「行人坂火事」の火元。五百羅漢の石仏群はこの大火の犠牲者供養のために当時に建てられたものと伝えられている。(写真:大圓寺石仏群)










 急坂を上り終えると白金台地。特に印象に残ったのは瑞聖寺。ここ
の大雄宝殿は重要文化財。布袋様より、こちらの端正な建造物を長いこと鑑賞してしまった。布袋様スミマセン。最後に訪れた覚林寺は別名清正公(せいしょうこう)と呼ばれ、加藤清正縁のお寺。
 無事巡り終えて昼食のお店を求めたが、正月4日のこのあたりで営業しているお店なし。一献を傾ける事無く終わったのが残念だった。

(写真:瑞聖寺大雄宝殿)


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