1月19日(土)の昨日、高校勤務の帰り、東西線を日本橋で下車し、三井記念美術館に廻った。今回も、家人の知人Fさんからチケットを頂いていた。茶道具鑑賞よりは円山応挙の国宝「雪松図屏風」を是非観たかった。
ここ三井美術館は、昨年末には、辰年の掉尾を飾るべく「雲龍図」を展示していたが、12月24日で終了し、残念ながら訪れる機会を逸していた。しかし、毎新春には所蔵してある「雪松図屏風」を公開しており、鑑賞の機会を得ての来訪が叶った。
「雪松図屏風」を鑑賞するのは初めて。それ程混みあわなかった土曜の夕方、椅子席にゆったりと座っての鑑賞をするも、目線を遮る方は疎らで、じっくり鑑賞することが出来、ラッキーだった。
絵画鑑賞素人の愚想を書き綴れば、描かれているのは松とその枝に積もった雪だけの構図であるが、観て直ぐ絵に気品を感じた。更には、明るさも観てとれる。雪明から来る明るさでは無く、金箔が放つ光の明るさだ。
偶然にもこの数日間、雪の積もった樹木を見て来た。例えば富士神社の社殿に詣で、雪の重さに耐えきれず本体から折れ落ちた枝をも目にした。反対に、雪を抱きながら、そのその重みに耐え、すっくと立つ木々をもあった。それらの残像が影響したのかも知れないが、「雪松図屏風」に描かれた、雪を冠した松の木に、力強さと生命力を感じた。
(雪松図屏風 左隻)
(雪松図屏風 右隻)
国宝「志野茶碗 銘卯花檣」や重要文化財「黒楽茶碗 銘雨雲」(本阿弥光悦作)も展示されていて、訪れる度に感じることであるが、旧財閥三井家が所蔵する文化財を引き継いだ、三井美術館の所蔵品の質量の豊富さは如何ばかりかと思う。
『脱原発宣言』をした城南信用金庫が、東京電力との契約を解除し、自前の火力発電所や風力発電所などで作った電力を供給する「エネット」からの電力購買に切り替えて久しい。
11月9日の東京新聞には『城南信用金庫は城南総合研究所を設立し、研究の第一弾として「原発問題」のレポートを作成した』と書かれていた。研究所所長は自民党歴代政権のブレーンだった加藤寛慶応大学名誉教授。その点には違和感を覚えたが、理事長吉原毅が設立趣旨説明で「加藤所長は、原発は即時廃止すべきで、原発ゼロは国民経済の新たな成長発展につながるという見解を持っていると方」と書いてあるのを見て、研究レポートの「調査報告書」を読んでみようと思った。
12月18日(火)、80円ビールのお店を探し始める前に、城南信用金庫神保町支店に寄って、調査報告書No1とNo2を貰ってきて、概略を読んだ。その内容を記す前に、城南信用金庫との長い付き合い(?)を書いておきたい。
実は、今から半世紀以上も前の1959年(昭和34年)、妹が中卒で城南信用金庫に就職した。その頃の金融機関が高卒以上しか採用しない慣習のなかでは異例のことだった。その城南信用金庫が、1992年に日本の金融機関で初めて不良債権のディスクロージャー(情報開示)を実施したことを知り、住宅ローンを銀行からここに移し替え、長い付き合いの末、定年の最終月に全額返済をした。今もここに何がしかの貯金をしている。そして今回の「脱原発宣言」である。
さて調査報告書。No1では「原発ゼロ」の根拠として、≪原発がなくても、電気は十分足りている≫として、昨年夏がそのことを実証したと書き、
≪原発を稼働し続けると、かえって電気料金は大幅に上がるはず≫と、経済産業省のコスト計算に対し、立命館大学の大島教授の試算をあげ、
≪使用済核燃料の問題≫でも、数年で保管場所がなくなることを指摘し、
≪結論≫では、とりかえしのつかない事故が再び起こる前に原発を廃炉にすることが、経済的にも正しい判断であると記した。
No2では11月1日に開催されたシンポジウム「自然エネルギーによる安心できる社会へ」でのパネリスト、例えば桜井勝延(南相馬市長)や加藤登紀子(歌手)の発言内容がまとめてあった。No3以下では代替エネルギーの研究が載るものと期待している。
「社会貢献企業」を目指す城南信用金庫がより一層活動を充実して欲しいし、日本のより多くの企業が、己の利益を求めるだけでなく、少しは「世の為、人の為」を目指してほしいものとも思う。
この10年間に限って言えば、ミステリ-では横山秀夫の作品を一番多く読んで来た。その理由は、兎も角面白いからである。読んだ10数冊の本の中でも、「陰の季節」(松本清張賞受賞)、「動機」(日本推理作家協会賞受賞)、「第三の時効」(山本周五郎賞候補)、「半落ち」(直木賞候補)、「クライマーズ・ハイ」(山本周五郎賞候補)などの、受賞作品や候補作品が、私の中でも取り分け印象深い作品だ。しかし、2005年に書き上げた「震度0」以来、作品発表が途絶えていた。
昨年11月の朝日新聞インタビュー記事を読んで驚いた。『横山秀夫、7年の沈黙を経て原点 64』と題して、凡そ次の様に書かれていたからだ。
『「64}は、「陰の季節」で始まる「D県警シリーズ」の書き下ろしとして、2000年ごろから書き始めたが2度も中断。宙に浮いた作品をどうにか仕上げられないか、と考えるうちにうつ状態になった。毎晩0時から朝8時までパソコンの前に座っても、1行も進まないまま画面を見つめていた。書こうにも書けない状態でした』とある。うつの状態になっていたとは!
『作家になれ、読者が付いてくれたという数少ない僥倖(ぎょうこう)を簡単には捨てられないという思いがあった。横山秀夫の第2ステージの始まりだ、と作品を位置づけると意識が切り替わった。これを書かずに死ねるか、との気持ちに切り替えて、再び書き始められた。』と続く。
彼の真骨頂は、大きな組織に押し潰されそうになりながら信念を貫く男たちを描くところにある。組織の中で生きる個人を書いていく、と改めて決意し、警察小説の誕生に繋がった。
そんな彼に関して忘れられない”事件”あった。2003年に「半落ち」が「このミステリーはすごい!」、「週刊文春ミステリー10」の両方(以下両紙と略記)で1位となり、第128回直木賞受賞の最右翼と目されながら、受賞を逸した。「この作品は、ミステリーとして根本的な部分でミスがある」とその原因を指摘する選考委員もいて、その後幾多の経過をへて、横山秀夫は上毛新聞のインタビューで”直木賞との決別宣言”をするまでになってしまった。
「64」が今回も両紙で第1位の人気を博そうが、直木賞受賞はないだろう。その当時も横山寄りで、事件の推移を注目していた私としては、彼の再起と、再度の”ナンバーワンのランクイン”がとても嬉しい。
(付記。彼は都立向丘高校を卒業後、大学を経て上毛新聞入社の経歴を持つ)
1月14日(成人の日)の昨日、首都圏も”大雪”に見舞われた。東京国立博物館の新春特別公開が2日(水)~14日(月)までだったので、13日の前日から鑑賞予定を組んでいた。まだ雪が降らない11時頃に自宅を出発するも、春日での昼食前に雪がチラつき始め、食事後外へ出るとかなりの積雪となっていた。ママヨと、引き返すことなくそのまま、家人と上野に向かった。
国立博物館の本館では特別展「飛騨の円空」が開催されていたが、今回はこちらはパスし、新春特別公開へ直行した。新春展示の目玉は、長谷川等泊の国宝「松林図屏風」と光琳の重文「風神雷神図屏風」。常設展の他の作品鑑賞は短時間で済ませ、目玉作品を重点に鑑賞した。雪の為か見物客は極端に少ない。
「松林図屏風」は3年前、ここ国立博物館で観たが、凄い人出だった。この日は祝日にも拘わらず雪の為、人が途切れる時間帯があり、じっくり鑑賞することが出来た。おまけにこの作品、フラッシュさえ使用しなければ撮影が可能。国立博物館は太っ腹だと感心しながら、作品をカメラに収めた。(写真:松林図屏風左隻)
「風神雷神図屏風」は昨年暮れに、出光美術館で抱一図を鑑賞したが、光琳図は「千葉市立美術館」以来。こちらには観客は全くいない。作品を直接撮影していると、一人の若者が私達に近づいてきて、作品を背景にスナップ写真を撮って欲しいと事。比較的良い写真が撮れ、大いに感謝された。彼曰く「午前中は混んでいたのですが、午後から急に空いてきて、今は写真撮り放題です」と。彼は一日中鑑賞しているらしい。私達も彼に倣って「風神雷神図屏風」を背景にして撮影をした。普段では決して味わえない経験である。奇跡の瞬間と、家人と二人喜んだ。(写真:風神雷神図屏風)
(写真:雪の東博 本館)
明けて15日(火)の今日、ラジオ体操は平常通りあり、参加者は8名。終了後、こちらも珍しい雪景色を撮影して来た。雪もまた奇なり。(写真:このラジオの音に従って体操)
横山秀夫の7年振りの新作「64(ロクヨン)」が昨年10月に発表され、11月7日の朝日新聞に、彼へのインタビュー記事が載った。長い事、新作を心待ちしていた私は、早速文京区の図書館にオンライン予約を入れるも未購入だった。この様な場合、有難い事に文京区の場合「資料リクエスト=購入依頼」が可能で、オンライン上で、早速その手続きを完了した。これで1番に借りられると思いきや、「貴方の順位は3番」とのこと。私の前にリクエストをした方が二人もいた。それでも12月上旬には順番が回ってきて、12月中旬に読み終えた。
この本、昨年度「このミステリーがすごい!」と「週刊文春ミステリー10」の両方でNO1のランクイン。発売から3ヶ月もたたない集計での快挙。ファンの一人として拍車喝采を送りたい。1位になった相乗効果か、今、文京区の図書館にオンライン予約すると523位である。
この小説、ジャンルで言えば「警察小説」。横山の最も得意な分野である。舞台はD県警の広報室。そこの広報官となった三上警視が物語の主人公。描かれるのは、三上の属する広報部と、かって彼が長い間席を置いた刑事部との間での、警察内部の熾烈を極める縄張り抗争。更には広報部に完全な情報開示を迫る記者クラブとの鬩ぎ合いが絡み、深く悩む三上。警察小説なのに、300ページを過ぎても事件はなかなか起こらない。
僅か7日間しかなかった昭和64年に、県内で起きた少女誘拐殺害事件は、昭和64年に起きたという意味で刑事部で「ロクヨン」(これが小説の題名となった)と呼ばれ、未解決のまま14年が過ぎていた。主人公の三上は「ロクヨン」の捜査にもあたったことがあった。その捜索が再開された最中、ロクヨンをなぞるような誘拐事件が再発する・・・。
読み進むにつれ、物語前半の展開は終盤のクライマックスに向けての巧みな伏線であることがわかってくる。最後には、あっと驚く結末が用意されいていて、ミステリー読書の醍醐味を味わえた。私にとっても昨年度読んだ本の中で、ナンバーワンの面白さ。
物語の最初から描かれる主人公とその家族が抱える辛い状況が底流に流れ、最終章でもその問題は解決を見ない。これは続編を書きますとの含みと私は理解した。600ページを超える長編だが、読み終えて、続編を読みたいという気持ちにさせらている。
(付記:12月26日の朝日新聞で池澤夏樹は、今年の読書3点で▼『64(ロクヨン)』(文芸春秋)▼『ソロモンの偽証』(全3部、新潮社))▼スコット・トゥロー『無罪 INNOCENT』を挙げていた)