マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

赤水門の上を蒸気機関車は走っていたか?(その2)

2020年08月25日 | 江戸の川・東京の川

 以前のブログを調べると、前回荒川知水資料館を訪ねたのは2011年3月19日のことだったから、9年以上の前のことになる。その時はクロスバイクで行ったが、8月18日(火)の今回は南北線を利用することにした。志茂駅徒歩15分とあった。
 「志茂銀座」通りに沿って進めば最短だったが、通りを離れ隅田川を目指し、川に突き当たって左折し川沿いを上流に進んだ。予約時刻より早めに着いてしまったので、赤水門の対岸にある小公園を散策した。ここから上流側を眺めると、荒川が滔々と流れていることが良くわかる。(写真:荒川上流側を望む)





 10時少し前資料館玄関に立つとまだ戸は開いていない。インターホーンを押すと係員到着。現在は、予約者が到着するごとに戸を開けるようになっているらしい。資料は1階から3階までに展示されているが、企画展「ありがとう 岩淵水門」は2階を中心に展示されていたので、まずは2階へ。この企画、本来は4月26日までだったのだが、コロナの影響で資料館は一時閉館となり開館後8月まで延長となっていたのでラッキーだった。(写真:青水門)
 ①数字で知る岩淵水門(その歴史を中心に)
 ②台風19号接近時
   ③水門に携わる人々
 ④岩淵水門を体験しよう
   などのコーナーが設置されていた。


 今回見学の最大の目的はこれら多数の写真の中から赤水門の上を走る機関車を見つけることだった。慎重にすべての写真を見たがそれらしき写真はなかった。ただ荒川放水路の建設を指揮した青山土(あきら)のコーナーに右写真が展示されていた。赤水門の上に電気機関車!かと思ったが、はっきりとは確認できない。




 機関車よりも昨年の台風19号時の水門の役割に興味がいった。その時の写真が展示されていて、荒川の増水の様子がよく分かる。青水門が閉門され隅田川は危うきを逃れたのだった。(右は増水時の、下は平常時の荒川)






 その重要性が認識された岩淵水門。感謝の声も多数寄せられていた。「信頼しています」「感謝しています」「守ってくれてありがとう」など多数の声が寄せられたそうな。
 結局、赤水門の上を電気機関車が走っていた写真は見つけられなかった。
 3階には学芸員かと思える方がいたので聞いてみた。造られた当初、水門は上下ではなく左右に開閉され、それを動かすのに用いられたのは電気機関車だったとの話。具体的にどのように動かしたかはイメージ出来なかった。
 
 


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