マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

玉川上水を歩く(その1)

2021年11月19日 | 江戸の川・東京の川

 11月6日(土)の、NHK番組『ブラタモリ』は「江戸の水~江戸の水が東京を潤す?~」と題して「玉川上水」を取り上げていた。何時かは歩こうと考えていた玉川上水、この番組に背中を押された格好で、全コースの完歩目指して歩き始めた。
 多摩川の水を羽村取水口で取り込み、四谷大木戸までの約43km。現在も水路として機能している部分もあれば、暗渠となり旧玉川上水路と呼ばれ、下水路や排水路に変貌した部分もある。兎も角その全行程を歩こうと思った。1日で全行程を歩いてしまう猛者もいるらしいが、私は5・6回に分割して散策することにして、まずは11月11日(木)に四谷大木戸をスタートし京王線笹塚駅付近まで歩いた。 



 歩き始める前に江戸の六大上水を俯瞰しておこう。
 開設された順に、神田上水、玉川上水(1653年に開設)、本所上水(別名亀有上水)、青山上水、三田上水(別名三田用水)、千川上水となるが、三田上水と千川上水は玉川上水を分水して開削されたので謂わば子筋、玉川上水こそが最大水量を誇り、長さも最長だった。(この地図は東西が逆になっている)




 「東京都水道歴史館」のパンフレットによれば「玉川上水の歴史」には次の様に記されている。
 「承応元(1652)年、幕府は多摩川の水を江戸に引き入る計画を立てました。庄右衛門、清右衛門兄弟を工事請負人に任命し、工事の実施が決定しました。承応2(1653)年4月4日に工事に着手し、羽村取水口から四谷大木戸までをわずか約8ヶ月で開削しました。羽村から四谷大木戸まで約43キロメートルの区間を約92メートルの標高差(100メートルでわずか21センチメートルの高低差)を利用して水を流すように設計されており、当時の水利技術の高さがうかがえます。(中略)工事に尽力した兄弟は、褒美として玉川の姓を賜りました」

 さて、11月11日は次の様に進んだ。
 四谷大木戸跡→新宿高校脇→新宿南口陸橋→文化学園前→代々木緑道→初台駅→玉川上水緑道→五条橋→三田上水分流点→笹塚駅 
 (写真は「四谷大木戸跡」の碑)









 四谷大木戸から先は石樋や木樋で江戸城はじめ、四谷、芝、京橋方面に至る市内南西部に給水されたが、上水の終点としては四谷大木戸。その地点に水番小屋が置かれ水量の調節をしたと思われる。新宿通りに面して、大きな「水道碑記」が建てられている。
 


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