マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

大相撲優勝決定戦が5人で争われた日(プレイオフ考 その2)

2015年03月22日 | スポーツ

 大相撲が終わってしまった。終わってみればまたしても白鵬の優勝だったが、千秋楽の結びの一番まで優勝決定戦(プレイオフ)の可能性があるという理想的な展開だった。春場所千秋楽結びの一番は、37代木村庄之助(青森県出身)の引退の一番でもあったが、久しぶりに興奮した。
 優勝が13日目に決定しないで本当に良かった。この日、白鵬に勝った照冨士が殊勲賞(敢闘賞とのダブル受賞)は当然であろう。(私は白鵬は嫌いではないが・・・)
 この7場所、優勝決定戦から遠ざかっている。私が待ち望んでいる「巴戦」など望むべくもないが、かっては5人で争われたこともあったのだ。優勝決定戦への期待を込めて、ここでは4人以上での過去の例を思い起こしておきたい。

 1997年3月場所は、12勝3敗の魁皇・貴乃花・武蔵丸・曙の4人による決定戦。大相撲放送で「なにわの名勝負」として紹介されていた。トーナメント戦で争われ、一回戦(魁皇●ー○貴乃花)、(武蔵丸●ー○曙)。 決定戦は(貴乃花○ー●曙)で貴乃花の優勝

 1996年の11月場所は、11勝4敗の5人で争われた。
    一回戦 (若乃花●ー○武蔵丸)、(貴ノ浪○ー●魁皇) (曙は不戦勝) 
 巴戦が(武蔵丸○ー●曙)、(貴ノ浪●ー○武蔵丸)の結果、2連勝した武蔵丸が優勝。
 私はこれを、板橋区の、とある銭湯で観ていた。この頃、私はマラソンに熱を入れていて、高島平に住む妹夫妻もその一員の3F会のメンバーと共に、あちこちのマラソン大会に参加していた。この時は多分、光が丘グランドがスタート・ゴールのフルマラソンだったかと。その帰路の、汗を流した折りに観たのだった。本割終了後に4番も見られ、場内の観客も大喜びだっただろうが、テレビ観戦の私もラッキーとの思いで観戦した覚えがある。

 5人の場合は3人に絞っての巴戦。その可能性はあってもそんなことは実現しないだろうが6人以上の場合はどうなるか調べると、これが面白い。
 6人→3人に絞り→巴戦
 7人・8人→トーナメメント戦
 9人→5人に絞り→3人に絞り→巴戦
 10人→5人に絞り→3人に絞り→巴戦
 11人→6人に絞り→3人に絞り→巴戦
 12人→6人に絞り→3人に絞り→巴戦
 要するに12人以下の場合、2・4・7・8人がトーナメント戦で、他はすべて巴戦へと収斂していく。

 これを数学上の問題にまとめられることに気が付いた。
  まとめ
 Nを4以上の整数として、
 『整数Nが偶数ならば2で割り、奇数ならば1を加え2で割った数をMとする。Mが4以上の場合これを繰り返す。その最終結果が3で終わるようなNは巴戦、2で終わるようなNはトーナメント戦、となる』

 今日の一葉:ご近所の定泉寺の深山含笑
 

 

 


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