マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

遠山郷上村でクレーターに出会う

2014年11月08日 | 

 一口に”遠山郷”と言ってもその範囲は、それほど明確ではない。遠山という、行政単位としての村や町があるわけではない。一般的には、南アルプス(=赤石山脈)と伊那山地の間にある渓流沿いの谷間と、それを包む山間部の、それも信州最南端を指している。標高差1000メートルはある谷と山。谷側の秋葉街道沿いには和田宿などがあり、山側にはしらびそ高原がある。
 10月21日(火)、私たちは和田宿を後に、下栗の里に向かった。山の急斜面にへばりつく様に建てられた家々からなる村里。ここへ至る道も険しく急峻だった。初めてここを車で通過した妻は「ここへは二度と来たくない」との感想を漏らすほど不安を感じる、断崖沿いの山道。実は運転者の方が恐怖を感じない。日光の”いろは坂”などでは、バス最後部の乗客ほど、下を見て恐怖心を感じると同じ心理。兎も角、無事駐車場に到着し、下栗の里を展望台から眺めた。下栗の里展望台へ
の様子は8月12日のブログに書いたのでここでは右写真に留め、詳細は割愛する。(写真:下栗の里)


       (しらびそ高原の紅葉)

 下栗の里展望台駐車場からしらびそ高原への、標高差600メートル程度の道路も狭く険しかった。途中”クレーター 丘の上の展望台”の掲示板を見かけたが、運転に疲れていた私は、そこで途中下車する気にもならず、そのまま通り過ぎた。”クレーター”悪い冗談の様にも思えたのも事実。
 遠山郷上村(正確には飯田市上村
)に存する”しらびそ高原”。その一角にある宿「ハイランドしらびそ」に到着し、入浴後、ロビーに展示されている内容を見て驚いた。そこには、ここ遠山郷の御池山(おいけやま。標高1905m)に、2万年~3万年前に、隕石が舞い落ちたと書かれていた。

 以前から、地勢に詳しいごく一部のハイカーは、この山の独特の地形から、隕石クレーターではないかとの疑問を持っていたそうな。その疑問をもとに岩石サンプルを採り、岡山理科大学に鑑定依頼した。依頼主は当時小学校教頭だった坂本正夫氏。彼のこの努力により、ここのクレーターは、直径40~50メートルほどの天体が衝突した痕跡であることが確認された。隕石衝突による痕跡が日本で初めて確認された、唯一のクレーターとなった。
 坂本氏を中心に、その後25年以上にわたって研究が進められ、2010年(平成22年)には国際学会誌「隕石と惑星の科学」に論文が掲載され、国際的な隕石クレーターとして公表された。
 御池山クレーターは直径900mで、直径45mの小惑星が、およそ2~3万年前に御池山南東斜面に衝突したと推定され、現在、御池山の尾根沿いを中心にクレーターの地形の40%が残っている、ともか書かれていた。その展望台が私たちが素通りしてきた”丘の上展望台”だったのだ。
 隕石の衝突であったことを示す主要な証拠は、石英の結晶内に形成された面状
微細変形組織(PDFs)で、世界中にある約180個の隕石の中で、最も多く研究発表されている物質、とのこと。宇宙をめぐる壮大なドラマの一端が、明らかになったのだ。
 明くる22日は朝から雨。クレーターの展望は諦め、私たちは「物味遊産手形」に載る温泉を目指して、駒ヶ根へとハンドルを切った。

  

 
 
 
 
 


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