マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

2年7ヶ月ぶりに北海道へ

2022年06月17日 | 

 6月10日から帯広・音更に出掛け、2年7ヶ月ぶりに孫たちにも再会し、息子夫婦宅に2泊し、帰路は釧路に1泊して霧多布湿原を訪れ、13日(月)の夜遅く帰京した。妻は楽天を通じて、往復の航空券と釧路の宿がセットのものを32.200円で予約購入しておいてくれた。その妻は残念ながら体調絶不良のため私の一人旅となってしまった。
 初日 6月10日(金)
 羽田発8時のJAL573便は十勝帯広空港着9時40分頃。ここからバスで帯広駅へ。孫たちは保育園へ通っているのでいきなり息子宅へ行っても誰もいない。そこで、まずはお気に入りの六花亭本店でお代わり自由のコーヒーを味わいながら、持参した『花散る里の病棟』(著:帚木蓬生)を読了。ここのコーヒを飲むと帯広にやって来たことを実感出来る。更にお気に入りのパン屋さん「萬寿屋商店」で“ベビーパン”などを“爆買い”して音更へ向かった。
 孫たちはバス停で待っていてくれた。自宅では“おじいちゃん ようこそ”の紙の垂れ幕で歓迎してくれた。











 私達が用意していたお土産はジブソーパズル。6歳の長女も3歳の次女も大のジグソーパズル好きで、長女からは208ピースの「鬼滅の刃」、次女からは80ピースの「アンパンマン」を頼まれていた。早速お土産を渡すと、パズルに夢中になってしまった。その日のうちに80ピースは完成したが、208ピースは翌日に持ち越し。(写真:完成したアンパンマン)

 そうこうするうちに仕事を早めに終わらせて息子が帰宅した。一家で食事に行くものと私は思っていたが、まだ孫たちと一緒の夕食は無理とのことで、息子と私のみ近くの回転寿司店へ。息子と一献傾けたのはいっだったか全く思い出せない。車運転の息子は飲めないので私のみ日本酒で再会に乾杯。
 帰宅すると孫たちはトランプで遊びたがり、5人で七並べとババ抜きをやった。2年7ヶ月前には1歳1ヶ月だった次女は私の顔をみては泣いていたのに、それがトランプが出来るまでに成長していたことは驚きだった。最後に次女と“神経衰弱”をやると、大差をつけられて私の負け。子供の成長の早さを痛感した次第。

 二日目 6月11日(土)
 この日は一日中雨だった。朝の散歩にも出られずにいると、やよいちゃんから「毎週土曜日はダンスの練習に行きます。一緒にどうですか」と誘われて帯広市内にあるダンス教室に出掛けた。もう2年くらい続けているダンスは動画で見ていて、長女の上達は良く分かっていた。それを“生”で見ると、その上達ぶりが一層はっきり分かった。ジジ馬鹿だが、運動神経が良いらしい。「柳月」でご褒美にプリンなど購入して帰宅すると、後縄跳び2回転も披露してくれた。
 お土産に持参した「鬼滅の刃」は親たちも加わり漸く完成。その後2度3度繰り返し楽しんだ。次女はこのパズルに対する勘が鋭いことに私は気が付いた。今年の9月には10ヶ月遅れの七五三をやろうということになって、少なくとも私は行けるので次女用の「鬼滅の刃」を用意しようと心に決めた。(写真:ダンススタジオで)

 三日目 6月12日(日)
 朝方に雨は漸く止んだが寒い一日で、孫たちは外遊びはせずにこの日も室内遊び。1階のリビングは子供たちの遊び道具が処狭しと並べられているが、まだジグソーパズル「鬼滅の刃」が遊びの主役で、親たちも加わり何度も並べ直していた。私は参加するも戦力外。(写真:完成した鬼滅の刃)
 何かのはずみに長女が既に簡単な足し算が出来ることを知ったので、足し算の問題を出してあげると面白がって何度も出題を頼まれた。問題集もやっているので、エクセルのマクロを利用した足し算プログラムを送ろうと密かに決めたのだった。
 夕食後に別れの時が来た。泣かれはしなかったが、悲しげな表情に「又来るね」と言ってハイタッチ。私はバスで帯広駅へ。20時8分発の特急「おおぞら9号」で釧路へと向かった。
 一家4人が健康に恵まれ、孫たちは順調に成長していることを目の当りにすることが出来て一安心の音更行だった。
 


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